【18】後日譚


 『死の舞踏』の音色響く薄暗い部屋で、再び姫宮あかりと魔術師hogは向き合っていた。

「もう、これだけで、いいのか?」

「構いません」

 hogの問いに姫宮あかりは頷く。

 結局、彼女のやった事といえば、高槻と江島の元に現れて「許さない」と囁いただけだった。

 たったのそれだけで江島は無惨な死を遂げて、高槻の人生は破滅した。

 その結果を目の当たりにした姫宮が抱いた感情は、恐ろしく平坦で虚無に満ちたものだった。

「もう自分の声を大勢の人に届ける事はできない訳だし、これ以上の復讐なんか意味はありません」

 と、言って諦感ていかんの籠った笑みをうかべた。

「その声を届けたがっている有象無象こそ、お前を死に追いやった直接の原因なのだが」

 確かに、その通りだと姫宮は思った。

 自分をまったく信じようとせずに、安全な場所から石を投げつけてきた醜い存在。

 だけど、それでも、まだ……。

「彼らを怨むつもりはありません」

「それはなぜだ?」

私がアイドル・・・・・・だからです・・・・・

「あれだけ、厭われていたのにか?」

「それでも、私はどこかにいるかもしれない応援してくれる誰かのいる方を向くべきだった。批判の声に負けて、そちらばかりを見てしまった」

「そんな、誰かなど存在しないかもしれないのにか?」

「それでもです」

 きっぱりと言い切る。

 信じていなかったのは自分もなのだと……。

「何と愚かな……どこまでも、愚かな」

 得心した様子で頷くhog。

 姫宮は生前を振り返り万感の思いを込めて言った。

「だから、もういいんです」

 すると、hogは、すっ……と右手の人差し指を立てて言う。

「……一つ。最後に」

「何をでしょうか?」

 小首を傾げる姫宮。

「このまま、舞台が終わるのも退屈極まりない。お前の声を届けてやろう」

「何の話ですか……?」 

 hogが告げる。


「まだ踊れ――」 




 二〇二〇年八月三十一日となった。

 その日の朝から、緩やかに冷房の利いた茅野邸のリビングで、桜井梨紗は苦悶の表情を浮かべながら唸り声をあげていた。

「うーん。まさか、夏休みの宿題がまだ終わってなかっただなんて……」

「まさかも何も、やってない宿題が勝手に終わる訳がないわ」 

「どっかのスポットの呪いとか祟りで勝手に終わるかなって」

「どんな理屈なのよ、それは」

 桜井はローテーブルの上に広げた問題集と懸命に向き合い、茅野はだらりとソファーに寝転がってスマホで動画鑑賞をしていた。

「……ところで循は、何の動画を観てるの?」

「さやぽんの動画よ」

「ああ……」

 姫宮あかりに憑依されていた、さやぽんこと土井咲耶は、あのあと後部座席で唐突に意識を取り戻した。

 パニックになり車外へと飛び出した彼女を、桜井がどうにか連れ戻して、茅野が落ち着かせた。

 それから、再び彼女の写真を撮影して九尾に送りつけたところ、姫宮あかりの霊は完全に抜け出たあとなのだという。

 彼女の霊がどこへいったのか、なぜ急に彼女の身体を離れたのか、その原因は九尾にすら解らないそうだ。

 そのあと、二人はえびす荘にやってきた県警の篠原に事後処理を任せ、土井に自分たちの存在を公表しないように固く口止めして帰路に着いたのだった。

 これが八月二十二日へと日付が変わった頃の事であった。

 因みにあとで篠原から聞いた話では、拘束された松崎健介はえびす荘の屋上に転がっていたらしい。あの存在しない六階や、そこへ続く梯子は綺麗さっぱり消えていた。

 ただ、五階の非常階段前を塞ぐようにブロック塀が積みあげられており、そこにはスプレーで扉の絵が描かれていたのだという。

 ともあれ、二十二日は失踪していた人気Youtuberが発見されたニュースで、朝から各メディアは大いに盛りあがった。

 そして、その日の夜の事だった。

 何と、さやぽんこと土井咲耶は自身のチャンネルに『ご心配をおかけしました』というタイトルの動画を投稿する。

 三分と短い時間のものながら、すでに再生数は四百万を超えていた。

「でも、彼女も助け出されて、すぐ次の日に動画投稿するってさあ、たくましいというか、プロ根性が凄すぎるというか……」

 流石の桜井も驚嘆きょうたんを隠し切れない様子で言った。

「その動画は、どんな内容だったの?」

 桜井は基本的に格闘と料理と動物にしか興味を示さないので、さやぽんの動画は見忘れていたのだ。そんな彼女の疑問に茅野が答える。

「どうやら、病室で撮ったものね。撮影機材はスマホだけだと思うけど、どこから調達したのかしら? まあ、内容を要約すると“お騒がせしてすいません。警察の捜査の都合上、言えない事もありますが、いずれ、このチャンネルですべてお話したいと思います。だからチャンネル登録してね”かしら。私たちの事は今のところ、黙っていてくれてはいるけど……」

「本当に商魂逞しいねえ……」

 と、桜井が感心したところで、茅野は話題の転換をはかる。

「……動画と言えば、姫宮あかりの動画も投稿されていたわ」

「ああ。何か話題になってるよね」

 それは、高槻志歩が例の事件で逮捕された直後だった。ある動画がYoutubeに投稿された。

 その内容は十年前に姫宮あかり炎上の切っ掛けとなった動画のノーカット未編集版だった。

 これにより彼女の発言の文脈や、その場に高槻志歩と江島柚希が居合わせていた事も明かされた。

 更に高槻志歩が警察の取調べに対して、この炎上事件の真実についての言及を始める。江島を殺したのは姫宮への罪滅ぼしであると……。

 なお、件の動画の投稿者や動画の出所については、依然として謎に包まれている。

 そして、さやぽんの監禁場所が、姫宮あかりと所縁ゆかりの深いえびす荘であった事がマスコミによって明かされ、更に松崎健介の自宅から大量の姫宮あかりグッズが押収された事も波紋を呼んだ。

 一連の事件はすべてが姫宮あかりの呪いなのではないか……などと、まことしやかに言い始める者がSNSで出始めた。

「……でもさ、江島柚希殺害と、あたしたちがえびす荘へ行ったのって、何か関係があるのかな?」

「さあ……」と、肩をすくめる茅野。

 そして、再びスマホの画面をなぞりながら言う。

「……でも、今回の一件で、みんなが気がついてくれれば、よいのだけれど」

「何に?」

「ネット上の表面的な情報だけで、誰かを批難する事の怖さによ……」

「ほんそれだね」

 と、桜井はいつになく真面目な顔で答え、再び夏休みの宿題に向き合うのだった。




 その公告動画が始まると、シークバーの上のスライドがゆっくりと右へ移動し始めた。時刻表示のカウントが始まる。

 軽快な音楽と共に画面中央のキャラクターが、ぺこりと頭を下げた。綺麗で丁寧な所作であった。

『みなさん、こんにちは。新人Vtuberのあかりんです。歌ったり、踊ったり……あ、あと、アニメも大好きです。みなさんと一緒に、たくさん語り合いたいな……』

 そのキャラクターは清楚な印象の外見で、一見すると地味だった。しかし、どういう訳か彼女の表情には3Dモデルの人形とは思えない魂のようなものが感じられた。

 ともあれ、たどたどしい自己紹介は続き……。

『……えっと、それじゃあ、最後に、ほんの少しだけ歌わせてください』

 画面の中のキャラクターが歌を口ずさみ始める。それは、もう誰もが聞き飽きた人気アニメの主題歌であった。


 しかし、近い将来、その歌声が大勢の人々を魅了する事となる――。





(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る