【16】Danse macabre


 茅野は扉が開いた瞬間にぶちのめされた松崎の両手を結束バンドで拘束する。彼はまだぴくりとも動かない。

 姫宮は恐れおののきながら問うた。

「……ま、まさか、こっ、こっ、こっ、殺したの……?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 と、桜井の放った言葉はあまりにも軽く、ますます不安になる。

「取り敢えず、外に出ましょう。後は警察に任せて……」

「そだね」

 と、松崎を転がしたまま部屋の外に出ようとする二人。

 その背中と松崎を交互に見渡し、姫宮は「ちょっと、待ってよ!」と叫んで、二人の後を追った。




 外に出ると、その建物の外観は確かに姫宮の記憶の中にあったえびす荘であったが、廃墟のように寂れていた。自分の知らないうちに何年もの時間が経過してしまったのではないかと思い至る。

 姫宮は非常階段を降りて、玄関前に停めてある二台の車の方へと向かう桜井と茅野を呼び止める。

「ねえ、ちょっと!」

 二人は立ち止まり、姫宮の方へと振り返った。

「……今は、何年なの? 西暦は……」

「ん? 二〇二〇年だけど……?」

 その桜井の答えを聞いて愕然がくぜんとする姫宮。

「にせん……にじゅう……」

 あの夜、発作的にえびす荘を飛び出し、近くの崖から飛び降りて八年も経っている……。

 その現実は姫宮にとって、到底受け入れ難いものであった。

「まあ、色々と戸惑いがあるのは理解できるけれど……」

 と、茅野が気遣わしげに言った。

「取り敢えず、どうすればいいか、センセにも相談してみようよ」

 桜井の言葉に頷く茅野。そして、再び二人は車の方へと歩き出す。

 姫宮は新たに出てきた“センセ”というワードの意味を考えながら、茅野と桜井に続いて銀のミラジーノに乗り込んだ。

 そして後部座席に、腰を落ち着けて早々の事だった。

 運転席の桜井が腰を捻って「ごめんよ?」と言い、スマホで姫宮の写真を撮った。そのまま、メッセージを打ち始める。 

 そして助手席の茅野は、スマホを耳に当てて再び電話をし始めた。

『どこが、大した話じゃないのよ!』とか『また、あなたたちは……』とか『本当に正当防衛だったんでしょうね……?』とか、怒声と諦感ていかんと疑念の入り雑じった声音が漏れ聞こえてくる。

 手持ち無沙汰ぶさたとなった姫宮は、ぼんやりと車内に視線を彷徨さまよわせた。

 すると、そこで、視界の端に何かが引っ掛かる。

「え……」

 彼女は、その違和感を覚えた物へ、ゆっくりと視線を合わせた。

「あ……ああ……」

 姫宮は恐怖と困惑のあまり、言葉を失って凍りつく。

 それはルームミラーだった。

 自分が映っている・・・・・・・・はずの場所に・・・・・・自分の姿がなかった・・・・・・・・・

 そこにいたのは・・・・・・・まったくの・・・・・赤の他人・・・・

 顔も知らぬ・・・・・別人であった・・・・・・

「あっ……あっ、なっなっななな……」

 運転席と助手席の二人が姫宮の様子がおかしい事に気がついて、彼女の方を振り向く。

 姫宮が溺れた金魚のように口を開け閉めしていると、茅野が何とも言えない表情で言った。

「気がついたのかしら……?」

 そして、桜井が鹿爪らしい顔で頷く。

「そうみたいだね」

「な……なな何を……」

 桜井はその事実を淡々とした口調で告げる。


「君は、もう死んでいるんだ」


 その言葉で、すべて理解する。

 なぜ、手首の傷がなくなっていたのか……。

 なぜ、あれから八年も経過していたのか……。

 なぜ、鏡の中の自分が別人なのか……。

 

 姫宮の視界が暗転する――




 見知らぬ部屋に立っていた。

 耳を突くのはサン=サーンスの『死の舞踏』だった。

 その音色を奏でる古びた蓄音器。

 中東の意匠が施された絨毯。

 仄暗い暖炉と悪魔の口のようなマントルピース。

 エミール・ガレのように捻れた照明。

 そして、その部屋の奥の壁だった。

 ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』の前に置かれた応接のソファーに腰をおろしているのは、まるで陶器人形ビスクドールのような金髪碧眼の少女であった。

 その少女が無機質な声音で姫宮に語り掛ける。

「……多くの人の魂は死の瞬間に砕け散り世界に拡散する。大抵の魂は、そのまま向かうべき場所へと向かう訳だが、中には再び集合し自我を取り戻す魂も存在する。それらの時間は、四十九日、一週間……あらゆる文化圏で様々に言い伝えられているが、その確固たる法則は未だに判然としない」

「いったい、何の話を……」

 姫宮は少女に問うた。そのとき何気なく自分の右手首に目線を落とすと、あの見慣れた傷痕がはっきりとついていた。

 ……あれは、夢なのか。

 すると、その思考を読み取ったかのように金髪碧眼の少女がゆっくりと首を横に動かした。

「夢ではない。とどのつまり、その集まった死者の魂こそが、今のお前なのだ」

 何と言葉を返したらよいのか解らずにまごついていると、金髪碧眼の少女が唐突な質問を発した。

「もう一度、踊りたいか?」

「……踊り?」

「そうだ。今一度だけ復讐劇の舞台上で踊るつもりがあるのならば、退屈しのぎに力を貸してやってもいい」

「復讐……劇……?」

 いまいち質問の意図がぴんと来ずに首を傾げていると、少女がすっ……と、人差し指を立てた右手を姫宮に向かって伸ばした。

「……では、見せてやろう」

「何を……?」


「過去を――」




 そこは白い簡素な部屋だった。

 中央に長机を合わせた島があり、その周囲にはパイプ椅子が並べられている。

 長机の上には、様々なお菓子の入った籠やペットボトル、弁当の包み、週刊誌、ファッション誌が並べられていた。それは、イベント会場か、どこかの放送局の控え室のように思えた。

 しばらく、すると、その部屋に二人の女が姿を表す。

 高槻志歩と江島柚希である。

 二人はそれぞれ少し離れた位置に座り、スマホを弄り始めた。

 そこから数分間、無言の時間が続き、高槻がスマホの画面に目線を落としたまま声をあげた。

「ねえ……」

「何?」と江島がスマホから目線をあげる。すると、高槻はスマホを机の上に置いた。

「知ってる?」

「だから、何が?」

「姫宮、死んだって」

「は!?」

 凍りつく時間。

 そして、どちらからともなく噴き出すと、手を叩いて大爆笑し始めた。

「ぶはっ、マジでぇ!?」

「マジ、マジ……ついさっき、たまたま、マネにその連絡が入ったときに私もいてぇ、まだ他のメンバーには話すなって言われてたんだけど」

「え、あいつ、何で死んだの?」

「自殺だって。飛び降り」

「うはっ、マジでウケんだけど……」

 そう言って江島は鞄からピアニッシモとライター、携帯灰皿を取り出す。

「いや、あんたのせいじゃん? 元はといえば」

「何でよ……」

 と、不服そうな顔して、江島は煙草を咥えてライターで火をつけた。

 そこで高槻は苦笑する。

「いやいや……あの動画、あんたが全部仕組んだ事じゃん。あれがあってから、あいつの惨めな転落人生が始まった訳だし」

 因みに、あの動画の飲み会のあと、姫宮のスマホに久保田のアドレスが登録されていたのは江島の仕業だった。姫宮がトイレに行った隙に勝手にスマホを操作したのだ。

 更に小久保が姫宮にしつこくつきまとったのも江島の指示だった。あの動画を公開したあと、小久保にスケープゴートとなってもらうための前振りである。

 事務所が姫宮一人に謝罪させようとしたとき、高槻と事務所に抗議したのも、どうせ無駄だと解っていたからだった。

 すべては姫宮を貶めるための陰謀であったのだ。

 しかし、江島は「いやいやいや……」と、にやつきながら首を振って、反論と煙を吐き出す。

「もう三年前……いや、二年くらいだっけ? 兎に角、もう、そんだけ経ってるんだから関係ないって。てかさー、元々、あんたが姫宮の事、ムカつくって言ったんじゃん。週刊誌にあいつの彼氏の事をリークしたのものあんただし……」

「そうだけどさー」

 と、高槻はヘラヘラと笑いながらペットボトルを手に取ってキャップを捻った。

「……まあ、前に電話したとき、あいつ、けっこう立ち直っているっぽかったし、やっぱ、あれとは関係ないか……」

「そうだよ。だいたい、あの事が原因だったとして、二年も経って、まだ引きずっていたのなら、あいつの責任だって。私たち関係ねーよ」

「ははは……言えてる」

「そんな事より、小久保くんに、すげーアガる・・・やつ仕入れて貰ったんだけどさ、どう? 今日の仕事終わりに」

「馬鹿! ここで、その話やめろ」

 と、高槻が鋭い声をあげたところで、他のメンバーがやって来た。

 そのメンバーと挨拶を交わしたあと、二人は再びスマホを弄り始めた。

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