【15】本番


 松崎健介の運転するバンがえびす荘の門を潜ると、玄関前に停まっていた銀のミラジーノがヘッドライトの中に浮かびあがる。

 その後ろに車を停めると、松崎は運転席から飛び出す。左手には懐中電灯、右手にはスタンガンを持って非常階段まで駆ける。

「はあ……はあ……」

 しかし、少し走っただけで息が切れた。hogに取られた代償のせいだった。

 それが何かは解らない。手術室のような場所で寝かされ、気がついたら終わっていた。

 しかし、それ以来、明らかに体調がおかしい。体重がみるみる減り、少し動くだけで疲労が溜まるようになった。目が霞み、耳も遠くなった。

 まるで十歳近く一気に歳を取ったかのようだった。

 ……とは言っても相手は女子二人。武器も持っているし、どうにかなるだろうと甘く考えていた。

「僕の……僕の……あかりんへの愛を邪魔するやつは許さんぞ……」

 息を荒げながらほくそ笑む松崎の表情は、もはや人外と言っても過言ではない凄絶せいぜつなものであった。




「何でって、そりぁあ、スポット探索だよ」

「スポット……探索……?」

 その言葉の意味が解らずに、首を傾げる姫宮。

 すると、黒髪の少女が口を開いた。

「貴女はえびす荘に監禁されていたのよ。ずっと」

「えびす荘……?」

 ますます、訳が解らない。姫宮は室内を見渡す。彼女の記憶の中のえびす荘は古い旅館だった。しかし、こんな量販店で買えるような調度類は部屋に置いてなかったし、コンクリートの剥き出した壁や天井や床は、まるで廃墟のようだ。

「えびす荘って、あの、えびす荘よね……?」

 そこで、黒髪の少女が「ああ……」と、何かを察した様子で頷く。

「……そう言えば、今の貴女は姫宮あかりさんだったわね」

「今の貴女……?」

 意味が解らない。

 姫宮が言葉を失っていると、黒髪の少女はスマホを取り出して電源を入れた。

「……取り敢えず、これは篠原さんに知らせた方がいいわね」

 と、言って、どこぞへ連絡を取ろうとしたところで小柄な少女が声をあげた。

「待って」

「何かしら?」

 手を止めて応じる黒髪の少女。

「……まだ、本番が終わってない」

 その小柄な少女の発言に首を捻る姫宮。

「本番とは?」

「誘拐して監禁した犯人をぶちのめさなければ」

 その彼女の発言を姫宮は、当初は何かの冗談だと思った。

 しかし、その発言主である少女は、きりっ、とした顔つきをしており、二つのまなこは使命感に燃えていた。

「せっかくの犯罪者だし逃したくない」

「な、何を言っているの……?」

 と、姫宮が、この状況で誰もが自然に発するであろう言葉を吐いた直後であった。

 黒髪の少女の手にあったスマホが電子音を奏で始めた。

「……ちょうど、篠原さんから電話だわ」

 黒髪の少女が電話ボタンを押して、スピーカーフォンにした。すると彼女の掌のスマホから女性の声が聞こえてきた。

『ちょっと、今いいかしら?』

「こっちも、ちょうど貴方に連絡しようとしていたところよ」

 と、黒髪の少女が言うと、電話の向こう女性は明らかな戸惑いの感情を声音に滲ませた。

『えっ、何? 今度は何をやらかしたの……?』

 その質問に黒髪の少女は答えない。

「……まあ、私の話は長くなりそうだし、そこまで大した話・・・・・・・・でもないから・・・・・・、貴女の用件から先にどうぞ」

『……そう? なら、まあ、遠慮なく』

 と、電話の向こうの女性は釈然としていない風であったが、咳払いを一つ挟んで語り始めた。


『シダーハイツの大家の杉光司が死んだわ』





 ……そこからの少女たちと、電話の向こうの女性とのやり取りがしばらく続いた。

 事の経緯を知らない姫宮には意味の解らない部分が多かったが、横で話を聞いていて抱いた率直な感想としては“常軌を逸している”の一言であった。

 そして、この少女たちは、そうした異常な世界の住人であると深く実感できたのだった。

 次第に彼女たちが別世界からやってきた人間に似た何かであるかのように感じられ、背筋に怖気おぞけが走った。

 ……そして、その会話が終わりに差し掛かった頃だった。

「……と、言う訳で、他に疑問はないかしら?」

 と、黒髪の少女が通話相手の女性に問うた直後だった。小柄な少女が鋭い声をあげた。

「循!」

 部屋の扉の外から足音が近づいてくる。大股で荒々しい……怒りの感情が伝わってくる足音だった。

 あいつだ……ORIONがやって来たのだ。

 姫宮は恐怖に表情を歪めた。すると、循と呼ばれた少女が悪魔のように笑う。

「お出ましのようね。梨沙さん、ここからが本番よ」

「らじゃー」

 梨沙と呼ばれた少女は、何とも間延びした声で返事をした。すると、受話口から慌てたような声が聞こえた。

『……あなたたち、今どこで何をやってるのよ!?』

「そりゃ、スポットだよ」

「ちょっと、忙しくなってきたから切るわ。またあとで電話を掛けるから」

 そう言って、黒髪の少女は通話を切った。そして、よく意味の解らない言葉を続ける。

篠原さんあの人、こういうの煩そうだし、一応、電話は切ったわ。だから、思う存分やっていいわよ、梨沙さん」

「りょーかーい」

 すると、その直後に部屋の入り口の戸が勢いよく開かれた。




 松崎健介は存在しない六階への階段をあがると、祭壇の間へと一直線に向かった。

 鍵の開いた戸を開き室内を見渡す。

 すると、祭壇は無残に壊され、魂を呼び出す触媒として使った大切なコレクション・・・・・・が晒されていた。

 そして、反対側の戸も開け放たれている。

 松崎はギリギリと歯を軋らせ、腹の底から溢れた怒りを噛み潰す。

 己のセンシティブな領域を土足で踏み荒らされた不快感が込みあげる……。

「許さんぞ……メスガキ共がッ!」

 ドスドスと大股で足音を立てながら、祭壇の間を横切って反対側の戸を開けた。

 そして、そこから延びた廊下の奥へと急ぐ。

 その廊下の突き当たりには、姫宮あかりを閉じ込めていた部屋の入り口があった。

 松崎はその扉を勢いよく開け放った。

「貴様らッ!!」

 と、戸口で怒声をあげた瞬間だった。

 何か・・が凄まじいスピードで真っ正面から突っ込んでくる。

「う……おっ」

 松崎は慌てて右手のスタンガンを突き出す。しかし、それは虚空で青白い火花を散らすのみだった。既に何か・・は眼前に迫っていた。

「うわあああっ……」

 恐怖で全身が総毛立つ。

 松崎は驚いて一歩だけ後退しようとした。しかし、それより先に右足の爪先を踏まれ、胸ぐらを掴まれて強引に引き寄せられる。次の瞬間、何か硬いものが顎を突きあげた。

 凶悪なヘッドバットであった。視界に火花が散り、意識が遠退く。

 刹那、右手首を取られ身体が浮きあがった。前方に投げ出される。

 背中全体を突き抜けるような衝撃。

 松崎の記憶はそこで途切れた。

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