【14】ガチ恋勢
桜井と茅野が釘を抜き始めた頃だった。
松崎健介はえびす荘の裏手の雑木林に隠してあったバンに乗って帰宅した後だった。
彼の自宅は海沿いの丘陵地に広がる古い住宅街の一画に所在している。元々の住人であった老夫婦は五年前に他界していて、長らく空き家だった。
松崎が都内の住居であった高円寺のアパートを引き払い、この家に住むようになったのは、魔術師hogがえびす荘に“存在しない六階”と例の祭壇を作ってくれた事が切っ掛けであった。
以来、毎日欠かす事なく例の祭壇に、お供え物のお膳を捧げるためだけに車で三十分かけて、えびす荘へと通い続けた。
雨の日も、風の日も、嵐の日も……姫宮あかりの魂を現世に呼び戻したい一心で儀式を取りおこない続けた。
しかし、儀式は彼の情熱に反してなかなか上手くいってくれなかった。
呼び出された魂が姫宮あかりとは別人のものであったり、
そのたびに彼は憑代を
そして、新たな憑代を捕獲して、再び儀式を執り行う。その繰り返し、繰り返し――。
気が滅入るような試行の果てに儀式は遂に成功し、今までの苦労はすべて報われた。
しかし、その安堵がいけなかったらしい。
彼は夕御飯を食べ終わると、自宅の書斎机に向かって腰を椅子に埋めたまま、ついウトウトと眠ってしまった。
確かに儀式は成功したが、これから考えなければならない事はたくさんある。
最愛の姫宮あかりの今後のために、越えなくてはいけないハードルはたくさんある。
自分には眠っている時間などないはずだ……と、彼が目覚めて、己の不甲斐なさを嘆いたときには、すでに時刻は二十一時を大きく回っていた。
慌てて目を擦り、取り敢えず自分が寝ている間に異変は起こっていないかと、パソコンのキーボードを叩いて監視カメラをチェックしてゆく。
すると、彼はマウスをクリックする手を止めて、のめり込むように画面を凝視した。
「……何だ、これは」
それは、あの祭壇の部屋の入り口の監視カメラの映像だった。なぜか入り口の戸が開いている。そして、祭壇の間の映像には……。
「……何で、こいつらが」
祭壇の木板を無理やり剥がそうとしている二人の姿が映っていた。
それは昼間、えびす荘の五〇三号室でセネトをやっていた謎の少女たちであった。
松崎の顔が青ざめる。
「……不味い」
なぜ、施錠していたはずの戸が開けられていたのか……そもそも、あの二人がなぜ再びえびす荘にいるのか……しかし、それらの疑問はどうでもよかった。
もしも、姫宮あかりを発見されて警察に通報されてしまえば今までの努力はすべて水の泡となる。
松崎は勢いよく椅子から立ちあがると、手早く準備を整えてえびす荘へと向かった。
松崎健介はフリーランスの在宅SEという職と投資で生計を立てており、金銭面と時間に関しては、ある程度の自由が利いた。
しかし、以前の彼は今よりも二十キロほど体重があり、己の容姿にコンプレックスを持っていたため人付き合いが苦手で、いつも孤独であった。
そんな彼が姫宮あかりを見初めたのは、Giry7がまだデビューしたての頃だった。
切っ掛けは、電車の中で目が三回も合った事。そして最寄り駅が同じだった事。何より姫宮が真面目で大人しそうだった事。優しそうで、こんな自分でも受け入れてくれそうだと思えた事。何をやっても文句を言わなそうに見えた事。
松崎はその日のうちに姫宮を尾行して住居を突き止めた。以降は彼女の家庭ゴミを漁ってコレクションしたり、盗撮に勤しんだ。
彼はアイドルとしての姫宮あかりのファンになるよりも先に、彼女のストーカーだったのだ。
そして姫宮がアイドルと知ったあとはGirly7のライブの常連となったのだが、決して握手会やチェキ撮影などのイベントに参加する事はなかった。
容姿にコンプレックスのあった松崎は、彼女に己の姿を見られてしまう事を恐れていた。そして、何より自分がイベントで他の有象無象のファンと同じように扱われるのが我慢ならなかった。
当初の彼は、一歩離れた位置から姫宮あかりを見守っているに過ぎなかった。それで、満足できると思い込んでいた。
しかし、本気で彼女に恋をしていた松崎の歪んだ想いは徐々に膨張していった。
そして、あるとき、ついに我慢できなくなり、あの暴行未遂事件を引き起こす。
その結果、姫宮と岸田が交際する切っ掛けを作ってしまった事について、彼は人生で最大の失策であったと未だに悔やんでいた。
ともあれ、粘着質で偏執的な性格の松崎は、姫宮あかりを諦める事も憎む事もできず、彼女が別の男と仲を深めてゆくのを陰からじっと見守るという地獄のような日々を過ごす事となった。
その屈折した時間が、彼の異常性と狂気を更なる領域にまで育んだ事は言うまでもない。
そのまま月日は流れて、週刊誌に例の熱愛報道の記事が掲載され、あの動画がYouTubeにアップされた。
そのとき、松崎は特に根拠もなく、ようやく自分の元に最愛の姫宮あかりが戻ってくると安堵した。そして、もう二度とこんな事が起こらないようにと、スキャンダルを起こした彼女を
姫宮あかりは、少し有名になり始めて調子に乗っていたのだ。初心を忘れてしまったのだ。
だから、アイドルであるにも関わらず男にうつつを抜かしたり、あの動画のように
あの動画の姫宮の発言について松崎は、その他大勢の有象無象と同じように“ファンを侮蔑した”と捉えていた。彼女よりも大衆を信じ、それが誤解である事など思いもしなかった。
兎に角、松崎はネット上で連日連夜、彼女の誹謗中傷を繰り返した。
これは愛の鞭なのだと……姫宮あかりへの教育なのだと……推しのアイドルのために厳しい言動も辞さないのが真のファンであると信じて、これが彼女のためになるのだと確信し、松崎は狂アンチのORIONと化して姫宮あかりを叩き続けた。
その松崎の独善的な所業が他のアンチたちを扇動し、姫宮あかりの心を取り返しのつかないところまで追い込んでしまった事に、彼は気がついていなかった。
「循、これは……」
「姫宮あかりね。Girly7の……」
えびす荘の“存在しない六階”の祭壇の間で、打ち付けられた木板をすべて剥がし、納戸の扉を開けた桜井と茅野は、何とも言えない表情で顔を見合わせた。
そこにあったのは、生々しい生活感を覚える誰かの家庭ゴミと一枚の写真立てがあった。
写真立てには、このえびす荘で宿泊中に自ら命を絶った、姫宮あかりのサイン入りポラロイド写真が納められていた。
桜井は顔をしかめ「キモっ……」と一言、吐き捨てた。
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