【13】祭壇


 梯子はしごを昇ると、そこは長い廊下の突き当たりだった。

「……五階とあまり変わらないわね」

 茅野が周囲に視線を這わせる。

 まっすぐに伸びた廊下の左右には五つずつ部屋が並んでいる。扉はすべて取り払われており、壁や床はコンクリートが剥き出しになっていた。

 しかし、スプレーの落書きはなく、床にゴミは一つも散らばっていない。そして、非常扉が本来ある場所にはコンクリートの壁があり、その反対側の廊下の端……下階ではロビーと繋がっているところには黒い戸があった。

 その扉には、大きなかんぬきと南京錠が掛けられている。

「……天井の高さもやっぱりおかしいね。普通なら屋上に突き抜けちゃってるよ」

 と、桜井が頭上を見あげて言った。

 そして、茅野がくんくんと鼻を鳴らす。

「……それから、この臭い、何なのかしら?」

「うん。生ゴミみたいな臭いが微かにする……だいぶヤバめの臭いだね」

「何はともあれ、本来なら存在しない六階……かなり、そそるわね」

 茅野はほくそ笑みながら、デジタル一眼カメラで周囲を舐め回すように撮影し出す。

 桜井もネックストラップに吊るしたスマホを手に取り、パシャパシャとシャッターを切り始める。

「どうやら、窓の外の景色は六階の高さになっているみたいだけれど、特におかしな点はなさそうね」

 近くの部屋の中を撮影し始める茅野。その扉口の反対側にある窓際に立ってライトを外に向けた。すると、裏手にある駐車場と周囲を取り囲む雑木林がうっすらと夜闇の中に浮かんで見えた。

「何か、あの来津の駅裏にあった旗竿地はたざおちの家とふんいきが似てる。何となく。勘だけど」

 窓際の茅野の背後で撮影していた桜井が、ぽつりと感想を漏らす。しかし、茅野はぴんと来なかったらしい。

「そうかしら?」と、首を傾げた。

 そうして、気が済んだところで、廊下を進み始める桜井と茅野。

 丹念に手前の部屋から覗いてゆく。

 やがて、二人は何事もなく黒い戸の前に辿り着く。

「いけそう?」

「こんなパドロックなんか私にとっては、単なるストラップと変わらないわ」

 と、頼もしい言葉を吐いて、再びピッキングツールで解錠を果たす茅野。

 桜井は扉の上部に仕掛けられていた防犯用のカメラに向かってスマホを向けて一枚撮影して、レンズに向かって、にこやかに右手を振った。

 そうしているうちに、茅野が南京錠を外し閂を抜く。戸を押し開いた。

 すると、その瞬間、室内から吹き出してきた悪臭に二人は思わず顔をしかめる。

「うっ……これは強烈……」

 鼻先を腕で抑えながら、桜井と茅野は戸口から室内の様子を見渡した。すると、そこは向かって右側に長い部屋だった。

 広さや形は各階の同じ位置にあるロビーと変わらない。しかし、その様相は大きく異なるものだった。

 まず窓がなかった。

 そして、桜井と茅野が立つ戸口から反対側にも、同じような閂と南京錠で施錠された黒い戸が見える。

 そして、右手の奥の壁だった。真ん中らへんに、何枚もの木板が折り重なるように打ちつけられてた。

 その釘には綾取りのように赤い紐が縦横に渡されており、そこには大量の紙のお札がぶら下がっているではないか。

 そして、木板が打ちつけられている場所の前方の床には、大量の残飯が散らばっていた。

 ピンクや緑のかびが生えたご飯や、黒ずんだ葉物。干からびた味噌汁の染みに焼き魚。茶ばんだ刺身と千切りの大根。しなびた串切りの林檎とバナナの皮……。

 割れた茶碗やお膳などの食器とごちゃ混ぜになって散らばっている。そして、それらの上空では、たくさんの蝿が耳障りな音を立てて飛び交っていた。

「この酷い悪臭の原因は、これみたいね」

「もったいない……」

 二人は残飯をできるだけ踏まないように、木板の打ちつけてある壁に近づいた。

「……どうやら、納戸の扉を木板で塞いでいるようね」

「本当だ……」

 と、桜井が言って写真を撮影する。すぐさま、九尾に送りつけた。

 すると、茅野は木板が打ちつけられた納戸を見つめながら言う。

「……これで、思い出すのは“リゾートバイト”ね」

「りぞーとばいと……?」

 桜井が首を傾げる。

 すると、茅野が少しだけ思案したのちに桜井の疑問に答える。

「“リゾートバイト”は、二〇一〇年に匿名掲示板のオカルト板に投稿された怪談よ」

「どんなの?」

「長い話だから概要は省くけれど、その話の中で、これと似たような儀式が出てくるわ」

「どんな儀式なの?」

海で死んだ死者・・・・・・・の魂を呼び戻す儀式・・・・・・・・・

「ふうん」と、桜井が話を聞いていない風の返事をしたところで、九尾から電話があった。

 さっそく、通話ボタンを押してスピーカーにする桜井。

 すると、呆れ返った九尾の声が響いた。

『また、あなたたちは、こんなものをどこから……』

「スポットだよ。さっき、送った廊下の写真のところ」

 と、桜井が答えると九尾の馬鹿でかい溜め息が聞こえてきた。

『それ、あまりよくないモノだから、早くそこから離れた方がいいわ』

 そこで、茅野が確認する。

「これは、海で死んだ者の魂を呼び戻す儀式で間違いないかしら?」

『……そうよ。その儀式に使われた祭壇でまちがいないわ』と質問に答える九尾。

 すると、茅野は「本物なのね……凄い」と黄色い声をあげた。

 対する九尾は鹿爪らしい調子で話を続ける。

『本来、呼び戻した魂は、その本人のへその緒を触媒に創りあげた、かりそめの肉体に宿るんだけど……臍の緒がない場合は祭壇の近くにいた人間に取り憑こうとするわ』

「ふうん」と、桜井がぼんやりとした返事をする。

『その祭壇自体は、もう儀式を終えたあとみたいだから危険はないけど近くに呼び出された魂が、まださ迷っているかもしれない。だからその場からすぐに離れて!』

 必死に二人を祭壇から遠ざけようとする九尾。しかし……。

「お、危険はないのね?」

「それは、重畳ちょうじょう

 茅野がリュックを漁り工具箱を取り出した。

 その、がさがさ……という音を聞いて不安になったらしい九尾は、恐る恐る質問を発した。

『……ちょっ、ちょっと、何をやってるのよ』

「もちろん、釘を外して納戸を開けてみようと思って」

『いやいやいや……だから!』

 と、そこで桜井は通話終了ボタンを人差し指で力強く押した。そこで、スマホの電源を落とす。

 茅野も 同じくスマホの電源を落とした。

「それじゃあ、作業を始めましょう」

「らじゃー」

 二人は釘抜きやペンチで木板に刺さった釘を抜き始めた。

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