【12】存在しない六階


「やあ。おはよう」

 唐突に現れた小柄な少女の何気ない挨拶に姫宮は戸惑う。二の句を継げずにいると、黒髪の少女が何かに気がついた様子で声をあげた。

「貴女は……」

 “姫宮あかり”である事に気づかれたと悟った姫宮は、先に名乗りをあげた。

「そうよ。私は姫宮あかり……元Girly7の……」

 そう言ったあと、二人の少女は何とも言えない表情で顔を見合わせた。

「ねえ、これ、やっぱり腹パンじゃない?」

「いや、もう少し話を聞いてみましょう」

 ……などと、よく解らない事を、ひそひそと言い始めた。

「ハラパン? ハラパンって、何なの?」

「いやー、それは、まあ気にしないで」

 小柄な少女は誤魔化すように笑った。そして、黒髪の少女が咳払いを一つして姫宮に確認する。

「あの、もう一度、聞くけど、本当に貴女は、あの姫宮あかりさんで間違いないのね?」

「そうよ」と、質問を肯定し、姫宮は慌てた様子で捲し立てる。

「そんな事より、私、頭のおかしい男に監禁されているの! 早くここを出て警察に……」

 すると、小柄な少女が右手をパタパタと動かし「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」と、全然大丈夫じゃなさそうな口調で言った。

「大丈夫って……」

 冗談か何かだと勘違いされているのだろうか。姫宮の胸中に疑念が渦を巻き始める。

 そもそも、この二人は味方なのだろうか……あの松崎との関係は……なぜ、この部屋にやって来たのか。

 それらの疑問が関を切ったように喉の奥から溢れ出す。

「あなたたち、いったい、何なの? だいたい、何で、ここに……」

 そこで、小柄な少女がさも当然と言いたげな口調で言葉を発した。


「何でって、そりぁあ、スポット探索だよ」



 

 その少し前だった。

 か細い上限の眉月が雲間に浮かぶ夜空の下、えびす荘へと続く緩やかな左曲がりの坂道に漂う暗闇をサーチライトが切り裂く。

 桜井と茅野は、九尾との通話を終えたあと、速やかにキャンプ地であった藤見川の河原から撤収する。銀のミラジーノに乗り込んで、かの地へと舞い戻ったのだった。

 やがて車は蔦に埋もれた門を潜り抜けて、ひび割れて荒れ果てたロータリーの奥に鎮座する、えびす荘の玄関前で停車する。

「……九尾先生がすっとぼけたという事は、単にあの五階の廊下へと戻っただけでは何も起こらないという事ね」

「だね。もしも、戻っただけで危険なら、センセはもっと必死にあたしたちを止めるはず」

 女子高生二人に、完全に思考パターンを読まれてしまう最強霊能者九尾天全であった。

 ともあれ、桜井と茅野は昼間と同じように荷物の点検を済ませてヘッドバンドライトを装着し、玄関を潜り抜ける。あの茅野が違和感を感じた五階へと向かい、くだんの廊下の前に立つ。

 その廊下は左右に五つずつ部屋が並んでいる。突き当たりに非常扉があり、客室の扉はすべて取り払われてなくなっている。

 床にはゴミが散らばり、壁の到るところにスプレーの落書きが描かれている。

「昼間と変わらないねえ……」

 桜井がしょんぼりとした口調で言った。

「取り敢えず、歩いて観察してみましょう」

 二人は横に並んで、ゆっくりと廊下を進む。

 そして、二人はもっとも奥の客室の前を通り過ぎて、あの開かない非常扉の前に辿り着く。

「……何もないね」

 桜井が非常扉のドアノブをガチャガチャと動かしながら言った。

「やっぱり、開かない」

 その隣で、顎に指を当てて考え込む茅野。

 ここに来るまでの道中、彼女は助手席で昼間の映像を何度も見返していた。しかし、それでも違和感の正体を発見する事はできなかった。

 実際に現地を訪れてみれば何か解るのではないかと期待していたのだが、そうは上手くいかなかったようだ。

「……何かが引っ掛かるのは確かなのだけれど」

「ヤバめの骨が喉にぶっ刺さる感じ?」

「まあ、そうね」

 と、答えたあと、茅野は思案顔を浮かべたまま言った。

「これは、比較対象が必要ね」

「……というと?」

「下の階にも、同じ廊下があったわよね? そこへ行ってみましょう」

「なるほど。それはいいね」

 二人はいったんその場を離れて四階へと向かった。




 四階の同じ位置にある廊下の入り口に立つ二人。

 左右に五部屋ずつ。すべての客室に扉はなく、突き当たりには非常扉。ゴミが散らばり、壁にはスプレーの落書き。

 さっきの廊下とまったく変わらないように思えるのだが……。

「やっぱり、おかしい」

「そーお?」

 確信を深める茅野と首を傾げる桜井。

 取り敢えず、再び廊下を歩いてみる……そして、何事もなく突き当たりの非常扉の前に辿り着いた。

「あ、こっちは開いた……」

 桜井が非常扉のノブを引くと、軋んだ音を立てながら開き始める。その直後だった。

「違和感の正体が解ったわ」

「おっ。まじで?」

「ええ。たぶん、間違いない」

 と、興奮した様子で言って茅野は語る。

さっきの五階の・・・・・・・廊下・・この四階の廊下・・・・・・・よりも少し・・・・・短いのよ・・・・

「短い……?」

 実感が湧かずに眉間にしわを寄せる桜井。対して茅野の表情は確信に満ちていた。

「歩数を数えていたから間違いない。ほんの一メートル程度、この廊下より向こうの廊下の方が短いわ」

「うーん、でも、だったとして、どゆことなの? 少しだけ廊下が短いとして、それにどんな意味が……」

 桜井がもっともな疑問を口にすると、茅野が非常扉を開けた。外の非常階段の踊り場に出る。

「……恐らく、あの五階の廊下の突き当たりにあった非常扉は本物ではないのだと思うわ。きっと、本物の非常扉との間にあるスペースに何か・・があるのよ」

「なるほど……面白くなってきたねえ」

 二人はそのまま非常階段で上を目指す。そして、五階の非常扉の前に辿り着いた。

「……鍵が掛かっているわね」

 茅野が扉の前でしゃがみ込み、ピッキングツールをリュックから取り出す。

「行けそう?」

「余裕ね」

 ……などと、答えてから、ものの三分程度で鍵が開いた。

 慎重に扉を開ける。

 すると、扉口から五十センチほどのところに梯子はしごがあった。

 赤黒い金属製で天井に開いた四角い穴の先に続いている。梯子の奥にはブロック塀の壁があった。

「点検口かしら?」

「取り敢えず、登ってみるよ」

 桜井がするすると梯子を登って、天井の穴に顔を突っ込んだ。すると……。

「循……このスポットって、五階建てだよね?」

「ええ。そうだけど。それが、どうかしたのかしら?」

「何か六階があるんだけど」

「天井裏じゃなくて?」

「天井裏じゃなくて」

 と、言って、桜井はそのまま天井の穴の向こう側へと姿を消した。

 そして、顔を出して茅野に向かって言う。

「循も来なよ」

「なかなか、面白くなってきたわね」 

 茅野は、ほくそ笑みながら梯子を登った。

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