【07】自供


 それは、二〇二〇年八月二十一日の事だった。

 都内某所の占いショップ『Hexenladen《ヘクセンラーデン》』二階の居住スペースにて。

 時刻は二十時を回っていた。

 ようやく帰宅した九尾天全は、ルイヴィトンの鞄を胡桃ウォルナットの応接卓に投げ置くと、猫脚ソファーにどかりと腰をおろした。そして、深々と溜め息を吐いて項垂れる。

 この日は昼から埼玉の東藤邸までおもむき、八尺様との戦いでバラバラになった不動明王の数珠に関しての説明を、東藤綾の祖父である喜八朗きはちろうに行った。

 彼はずいぶんと気難しい人物であったが、話すうちになぜか気に入られてしまい、どうにかすべての事情を納得してもらう事ができた。

 そして、当初の予定通り、数珠の修復は九尾が無償で請け負う事となったのだが、それとは別に喜八朗のコレクションの中でも“曰くつき”とされる品々の鑑定と除霊も依頼される事となった。

 けっこうな報酬を積まれたために、一も二もなく飛びついた九尾であったのだが……。

「何なの……あの数……」

 喜八朗のコレクションの中でも“曰くつき”とされる品々を納めた蔵を覗いて、九尾は度肝を抜かれた。

 なぜなら、何十……下手をしたら百は越える数の呪物が薄暗い蔵の中にひしめいていたからだ。おまけに蔵の中を、謎の落武者の霊が凄まじい形相で練り歩いているではないか。

 一応、蔵には高度な封印が施してあった。しかし、効果は焼け石に水といったところで、ほとんど機能していなかった。

 かろうじて呪いの力が蔵から溢れ出ていないのは、呪物がお互いに干渉し合い、力を打ち消し合っているからだった。それも、いつ決壊してもおかしくないくらい絶妙かつ微妙なバランスで……。

 これは大変に不味いと感じた九尾は、取り敢えず魔除けの結界を新たに張り直し、いったん家に戻ってきたところであった。あれは一日二日でどうこうできるようなレベルではない。しっかりとした準備をして臨まなくてはならない。

「これだから、霊能力のない素人は……」

 九尾は力なく独り言ち、何気なく鞄の中からスマホを取り出した。

 すると、こちらにも霊能力のない・・・・・・素人・・からメッセージが届いていた。

 桜井梨沙である。

『センセは彼氏いる?』という文面に、どこかの廃墟の廊下の画像が添付されていた。どうやら、どこぞの心霊スポットのようだ。

 そして、その画像から漂う微かな魔術の痕跡を、九尾天全は見逃さなかった。かなり巧妙に隠蔽されており、並みの霊能者であれば気がつく事はできなかっただろう。しかし、そこは、業界屈指の力を持つ九尾天全である。

「また、あの二人は……次から次へと……」

 九尾は桜井に電話をかけた。通話はすぐに繋がった。

『お、センセ。どしたの?』

 と、聞き慣れた桜井の声が耳に飛び込んできたあと、パチリ……と、燃えた木の爆ぜる音がした。その奥から川面かわものせせらぎが微かに聞こえる。

 九尾は眉をひそめながら質問した。

「ねえ。今、あなたたち、何をしてるの?」

 すると、茅野の声が聞こえてくる。

『家から程近い場所にある川原でキャンプ中よ』

「ん? 心霊スポットに行ってたんじゃないの? この梨沙ちゃんが送ってきた写真は?」

『実は帰り道に事故に遭うという心霊スポットに行ったのだけれど、何も起こらず家に着いてしまったのよ……』

 酷く残念そうな声だった。九尾は苦笑しながら茅野の話に耳を傾ける。

『……それで、私たちは、まだ諦めてないの』

「は? 何を?」

 訳が解らずに聞き返す。すると受話口の向こうで桜井が声をあげた。

『そりゃあ、おもしろイベントだよ。帰り道では何も起こらなかったけど、家に帰ってから、何かが起こるかもしれないでしょ?』

「いや……」と、九尾が絶句していると、茅野が話を引き継ぐ。

『……ただ、本当に自宅にいるときに何かが起こっても困るわ。家には可愛い弟がいるもの……』

『あたしも心霊絡みで家族に迷惑を掛けたくないしね』

「変なところで良識的なのね……」

 呆れるやら、ほっとするやらで、複雑な心境におちいる九尾。そして、茅野が話を締めくくる。

『……という訳で、今日は人気ひとけのない川原で夜を明かす事に決めたのよ』

「それで、キャンプを……」

 この世で最も厄介なのは、行動力のある頭のイカれた人間なんだな……と、改めて思い直す九尾であった。

 それはさておいて、特に受話口越しには嫌な気配は感じられなかった。二人が何かの霊的被害を受けているのでなければ、あの画像の事は黙っていた方がよいと、九尾は判断した。

 あれは何かを人目から隠すための目眩ましの魔術だ。恐らく余計に突っつく事をしなければ安全であろう。

 取り敢えず、その事は黙っておいて、現時点では何も感じない事を伝える。

「……でも、電話越しには嫌な気配は伝わってこないし、心霊的な何かは起こらないと思うわ」

 すると、クソでかい溜め息が二つ聞こえた。明らかに落胆しているようであった。

 九尾は生暖かい微笑みを浮かべながら、二人に言い聞かせる。

「……だから、安心して家に帰って、もう寝なさい」

 しかし、桜井と茅野は……。

『……いや、まだだ! まだ、諦めないよ! 心霊的なおもしろイベントが起こらなくても、あのカメラを仕掛けたサイコ野郎の襲撃があるはずだよ』

「いや、何の話か解らないけど……」

 もう、頼むから家に帰りなさいよ……と、続けようとした、その直前だった。茅野が先に声をあげる。

『ところで、先生』

「な、何……?」

 不穏な気配を感じる九尾。茅野は淡々と言葉を続けた。

『……先生がわざわざ電話を掛けて来たっていう事は、梨沙さんが送った画像のあの廊下……何かあるのね・・・・・・?』

 大きく目を見開き息を飲む九尾。これが漫画なら“ギクゥ……”とか、そんな書き文字が彼女の背後に踊っていた事だろう。

『その沈黙は自供と同意よ』

 茅野が受話口の向こうで鼻を鳴らした。

「……いっ、いや、その、あの……あなたたちの声が、何となく聞きたくなっただけよ。本当に……何をして、何をしてるんだろうなーって……」

『ふーん……』と、桜井。明らかに疑わしげである。

「とっ、兎に角、元気そうでよかったわ。じゃ、じゃあ、キャンプ楽しんでね!」

 ……と、できる限り平静な調子を装い、九尾は強引に通話を終えた。

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