【06】切り抜き動画


「いったい、何だったんだ……あいつらは」

 松崎健介は窓枠の陰に隠れながら、えびす荘から遠ざかる銀のミラジーノを眺めながら独り言ちる。

 彼は桜井と茅野の期待に反して、彼女たちを追いかけるつもりはなかった。今となっては・・・・・・あの秘密の扉・・・・・・さえ気づかれ・・・・・・なければ・・・・どうでもいい・・・・・・

 今、重要なのは、現世に再び舞い戻った最愛の姫宮あかりを守り抜く事だ。

「……もう、あんな事は絶対にさせない。今度こそ僕があかりんを正しく導くんだ」 

 松崎は割れ窓の向こう側に見える遠くの空を見つめながら、強い決意の籠った言葉を吐くと、姫宮あかりの待つ部屋へと戻った。





『別れよう。さよなら』


 二〇一〇年九月一日の事であった。

 その岸田良平から送られてきたメッセージ一つだけで、姫宮あかりはすべてを受け入れた。返信すらしなかった。

 彼の事を薄情だとか冷たいとかは思わなかったし、むしろ、もっと早い段階で自分から切り出しておくべきだったと後悔していた。

 薄暗い自室のベッドで寝転んだまま、スマホを枕元に放り投げて天井を見あげたまま泣いた。

 その日は彼女の心持ちをなぞるかのような雨降りで、掃き出し窓を覆うカーテンの隙間からのぞける世界は薄汚い鼠色にくすんでいた。

 断続的に鳴り響く雨音に掻き消されそうなほどの小さな声で、姫宮は胸の中に渦巻く罪悪感をそっと吐き出した。

「ごめんね、りょうくん……」

 あの一連の炎上が始まってから間もなくTwitterで岸田良平の住所が何者かの捨て垢によって晒された。以来、彼はずいぶんな目に合ったらしい。

 連日連夜マスコミや野次馬が彼の元に押し寄せ、悪意の籠った悪戯で物理的に危険な目にもあったらしい。仕事にも支障をきたしているそうだ。

「はあ……何でこんな事になっちゃったんだろう……」

 単なる熱愛報道なら、ここまでの騒ぎにはならなかっただろう。致命的だったのは、あの動画だ。

 あれがなければ、ここまで酷い騒動にはならなかっただろうし、事務所との関係をこじらせてクビになる事もなかっただろう。

 そもそも、動画は合コンの様子を撮影したという事になっているが、姫宮の認識は世間のそれとは大きく異なるものだった

 “単なる飲み会”という事で、Girly7のメンバーの高槻志歩たかつきしほ江島柚希えとうゆずきに、半ば強引に誘われた。三人の男が同席する事も店に入ってから初めて知った。

 正直、これは不味いのではないかと内心では思ったが、聞けば男側の面子メンツは大手事務所に所属するタレントと残り二名は彼の後輩の研修生なのだという。

 同じ業界の人間なら滅多な事は起きないだろうと、甘く考えてしまったのがいけなかった。

 そして、あの公開された動画も、姫宮がファンの事を侮辱ぶじょくしたように受け取られているが、これも本人から言わせると大きな勘違いであった。

 そもそも、あの会話の流れになった切っ掛けは、高槻だった。どういう変遷へんせんを辿ったのかは覚えていないが、話題はライブでの苦労話や愚痴に移り変わったあとだった。

『てか、汗だくで必死こいてビームサーベル振り回してるキモいおっさんのファンとかいらんわ。ファンはイケメンと女の子だけでいいわ』

 それを聞いた姫宮は流石にそれはないんじゃないかと思い、酔っていた事もあり高槻に苦言をていしてしまった。

『いや……せっかく応援してくれてる人たちなんだし……ファンはみんな大切にしなきゃ』

 すると、高槻が唇を尖らせて反論する。

『でも、あんた、前に駅でファンに待ち伏せされてヤバかったって言ってたじゃん。そういう輩もあんたにとっては、大切な訳?』

 そこから、あの動画の冒頭の『キモいファン? 無理無理。絶対に嫌』に繋がる。

 別にファンがキモい・・・・・・・とは言っておらず、厄介な迷惑行為を働くようなキモいファン・・・・・・は嫌だと言っただけなのだ。

 そして、次に江島が冗談めかした調子で発した言葉。

『……でも、ファンでもイケメンなら……』

 ここで姫宮は江島の言葉に乗っかり、おどける事にした。つい高槻に説教臭い事を言ってしまったのを誤魔化したかったのだ。

 実は真面目な姫宮と、奔放な高槻、江島の対立はグループ内でよくある事だった。

 ただ、姫宮の方は少なくとも同じグループのメンバーとして、できる限り二人と仲良くしたいとも考えていた。

 この“飲み会”の誘いを断れなかったのも、その辺りの心理が深く関わっている。

 ともあれ、姫宮は江島の言葉に対してノリノリで答えた。

『全然、アリ! ガンガンいくよ!』

 爆笑。

 高槻も手を叩いて笑っている。

 そして、姫宮は……。

『イケメンならね!? イケメンなら。でもファンはやっぱ無理かなー』

 この“ファンなら無理”は“ファンはキモいから無理”という事ではない。

 そもそも、真面目な姫宮は“ファンとは一定の距離感を保つべき”と考えており、冗談で“イケメンのファンならガンガン行く”とは言ったが、本音では“ファンは恋愛対象にならない”という意味合いであった。

 そして、次の江島の発言。

『でもさー。アンタが今、付き合ってる彼氏って、元ファンじゃなかったっけ?』

 これは、まったく事実とは異なる。岸田良平はファンでも何でもなかった。

 しかし、これも、世間ではなぜか“岸田良平は元々Girly7のファン”だという事にされてしまっていた。

 そして、この飲み会のあとだった。

 研修生だった男の一人から姫宮へのしつこいアプローチが始まった。アドレスを交換した記憶はなかったが、姫宮のスマホに彼のアドレスが登録されていた。連日、その男からのメッセージが送られてくる。

 あの日はずいぶんと飲まされて記憶が定かではなかったので高槻と江島に聞いたところ、彼とアドレスを交換した事は確からしい。

 自分には岸田という恋人がいるので、やんわりと断り続けていたら、そのうち連絡がこなくなった。

 その直後に週刊誌にあの写真が掲載されて、例の動画が公開された。

 どうやら、高槻と江島らの話では動画を公開したのは姫宮にアプローチを繰り返していた男だったらしい。

 週刊誌に姫宮と岸田良平との関係をリークしたのも彼の可能性である事が高いのだという。動機は姫宮に対する私怨であると思われた。

 その彼はすでに事務所を辞めており、連絡が取れなくなっていた。

 こうして、あの炎上騒動が幕を開けたのだった。



 炎上後、姫宮は事務所にすべての事情を説明して、メディアを通じて釈明したい旨を申し出た。これには高槻と江島も協力してくれたのだが事務所側の答えはNOであった。

 まず相手側が大手事務所の所属だという事。業界の力関係を考えると“弱小事務所であるこちらの都合で向こうを巻き込めない”との事だった。

 そして、もしも真実を語れば高槻と江島にも火の粉が飛びかねない。

 以上の二つの理由から事務所はアイドルにあるまじき言動を取ったとして、姫宮が一人で頭を下げるように提案した。それが最も被害が少なく済むなどと……。

 当然ながら姫宮は納得がいかず、これに反発。

 結果、事態は事務所を解雇されてしまうという最悪の結末を迎えてしまった。

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