【05】行きはよいよい


 桜井と茅野は各フロアを丹念に探索する。

 崩れかけた天井や壁、抜け落ちた床、ゴミや硝子片があるばかりで、かつて旅館であった頃を忍ばせるものは、ほとんど残っていなかった。

 しかし、それでも、廃墟マニアの心をくすぐるには充分な退廃とした魅力があった。

 それらを存分に堪能しつつ、二人は五階へと辿り着く。

 そして、フロア中央のロビーから問題の五〇三号室のある左翼へと延びた廊下の入り口で、茅野循は足を止めた。

「どしたの? 循」

 先へ行きかけた桜井が足を止めて振り返る。茅野は怪訝けげんな表情で廊下の突き当たりを見つめながら、顎に指を当てて首を捻る。

「何か、違和感があるのよね……この廊下」

「違和感? それは心霊的なやつ?」

「はっきりとは言えないのだけれど……」

「ふうん……」

 と、桜井は気のない返事をすると、茅野と同じように廊下の突き当たりを眺める。

 真っ直ぐに延びた廊下の左右には客室の入り口が並んでいる。既に扉は一枚もない。

 突き当たりには外の非常階段へ通じる扉があった。

「取り敢えず……」

 と、言って桜井は廊下の突き当たりに向かってスマホを掲げる。ぱしゃり……と、シャッター音が鳴り響く。

「この写真を九尾センセに送りつけよう」

 画面をなぞり、九尾の元へ写真を送りつける。

「これで、よし……と」

 すぐに返事は来なかった。どうやら、忙しいらしい。

 茅野は廊下の突き当たりまで行くと、何気ない調子で、非常階段の扉のドアノブを捻る。

 しかし、ドアは数センチも動かない。鍵は開いているようだったが、何かに引っ掛かっているらしい。

「どこかが歪んでいるのかしら?」

「どれ……」

 と、桜井が茅野と場所を入れ替わり扉を開けようとした。力任せに、ぐいぐいと引っ張る。

 がたん……がたん……と、けたたましい音が鳴り響くが、やはり開かない。

「駄目だ……」

「梨沙さんでも駄目なら、これは諦めた方がよさそうね」

「まあ、非常階段があるのは解りきってるし、開かないなら無理に開けなくても、いいんじゃない?」

「それも、そうね」

 茅野は肩の力を抜いて溜め息を吐いた。

「……取り敢えず、くだんの五〇三号室へ行って、くつろぎましょう」

「うん、そだね。それがメインディッシュだし……」

「ネットの情報によると、この廊下の手前から三番目の右側の部屋で間違いないそうよ……」

「何か出るといいねえ」

「そういえば、ちょっと、面白いものを持ってきたのだけど……」

「何?」

「まだ、秘密よ」

 茅野がほくそ笑む。

 二人は期待に胸を膨らませながら、かつて五〇三号室だった部屋の入り口を潜り抜けた。




 このえびす荘に散らばる瓦礫やゴミに紛れて、人感型の小型防犯カメラが到るところに隠されていた。

 その中の一つの映像をスマホで見ながら、松崎健介は驚愕していた。

 例の侵入者の二人組……ハイカーづらの少女たちは、えびす荘内をくまなく歩き回ったあとで五〇三号室に入るなり、レジャーシートを広げてくつろぎ始めたではないか。

「何なんだ……こいつら……」

 更に二人は、水筒に入った飲み物で喉をうるおしたあと、長方形の筒状の盤面を用いた奇妙なボードゲームをやり始めた。

 世界最古のボードゲームと言われるセネトである。

「何で、わざわざ、こんなところで……」 

 しかも、かなり盛りあがっている様子だった。マイクはないので音声は拾えていないが、身振り手振りでかなり白熱しているらしい事が窺える。

 初めは、またどこぞのYoutuberが馬鹿な思いつきで、はた迷惑な動画を撮影しているのだろうと、松崎は思った。

 『心霊スポットでセネトをやってみた』などと……。 

 しかし、スマホの映像を見るに、ゲームの様子を撮影している素振りは見られない。

「本当に何なんだ、こいつら……早く帰れよ……」

 松崎は忌々しげに舌を打つ。

 兎も角、あの秘密の扉・・・・さえバレなければ、どうでもいい……。

 もしも、あの二人が気がついてしまったら、これまで通りに・・・・・・・始末するしかない・・・・・・・・

 松崎はスマホ越しに二人の少女の動向を注視し続けるのだった。




「ひゃー、また負けた!」

 桜井が楽しそうに顔をしかめた。

「うーん……何も起きないわね……」

 茅野がキョロキョロと五〇三号室を見渡す。

 二人が部屋に入ってから、特に室内には何の変化もない。

「……で、この楽しいゲームは何なのさ?」

「このセネトは、古代エジプトでは死と再生を司る魔術的な意味合いがあったとされているの。だから、心霊スポットでやってみたら、何かが起こるのではないかと期待していたのだけれど……」

「……でも、スポットでたしなむボドゲもおつなものだね」

 と、言って、桜井はパーティー開きにしたポテトチップスを摘まんだ。

 海側に面した窓の向こうから緩やかな潮風が吹きつけ、蒸し暑さはさほど感じられない。

 二人はそのまま一時間ほど五〇三号室に居座り、何事もなく帰路に着いた。




 玄関前に停めていた銀のミラジーノに乗り込む二人。

「……にしても、当初の予想に反して、かなり平和的なスポットだったよね」

 桜井がエンジンを掛けたあとで呑気そうに言った。

 すると、茅野が悪魔のように笑う。

「そうでもないわ」

「え!? 何か心霊現象でも起こってた?」

 この問いに茅野は首を横に振る。

「……実はいくつか小型の防犯カメラが仕掛けられているのに気がついたわ。かなり、巧妙に隠されていたけれど私の目は誤魔化せない。気がつかない振りをしたのだけれど……」

「まじで!?」

 桜井は驚いた様子で目を白黒させて、助手席の方を見た。茅野は確信に満ちた調子で頷く。

「……それから、無関係だと思って言っていなかったけれど、ここ数年、このえびす荘の近隣の土地では何人かの失踪者が出ているらしいわ。まあ、調べてもそうした事件の記事は出て来なかったから、信憑性は薄いと考えていたけれど、警察が家出人として取り扱って大事になっていない可能性もあるわね」

「そういえば、ここに来たゆーちゅーばーも失踪してるんだっけ……」

「そうね。案外“帰り道に事故に遭う”という噂も本当の事なのかもしれないわ。そして、そのすべての元凶となっているのは心霊ではなく……人間」

 そう言って茅野は再びサイドウィンド越しにえびす荘の方へ目線をやった。

「いずれにせよ、ここは只の廃墟ではないわ」

「なるほど。それはエキサイティングだね」

「取り敢えず、いったん、帰ってみましょう。何かが起こるかもしれないわ」

「いいねえ」

 そう言って、桜井はサイドブレーキを下ろすと銀のミラジーノをゆっくりと走らせたのだった。

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