【10】迫る死の運命


「この絵は、甥が中学一年の美術の授業で同級生を描いたものだそうです」

「美術の授業で、こんな絵を……」

「この同級生は、その授業の翌日に行方不明となり、それから五日後に屋見野市郊外で死体となって発見されました。もう二十年以上も前の事です。首をロープのようなもので絞められていたらしいです」

 篠原は再び画用紙に目線を落とす。 

 この絵は当時物議を呼び、光司の母親は学校に呼び出されたらしい。警察も同級生の死体が発見されてから、彼に任意での事情聴取を求めたのだとか……。

「結局は事件との符合は単なる偶然で、甥は同級生への悪戯で深い意味はないと言っていたらしいのですが」

 篠原はもう一度画用紙を見ながら唸る。

「……それから、これは、あの子がしゃべり出して間もなくの頃らしいのですが……」

 と、かよ子が陰気な声音で切り出す。

「……姉さんが夕御飯の後片付けをしているとき、旦那がやって来て、奇妙な事を言い出したんだそうです」

「奇妙な事?」

「ええ。甥とリビングでテレビを見ていたそうなんですが、窓に向かって指を差し、死ぬ、死ぬ、死ぬ……って」

 時刻は夕食のあと……つまり、外は暗く窓には室内の様子が映っていたはずだ。

「どこで、そんな言葉を覚えたんだって、姉さんたちは不思議に思っていたそうですが、その翌日、旦那は脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人に……。それに、姉さんが死んだときも……」

 と、そこで言葉を詰まらせてうつむくかよ子。篠原は信じられない思いで言葉を発する。

「じゃあ、それでは、まるで……」

「そうです」と、かよ子は首肯する。

「理屈は解りませんが、甥は人がいつ死ぬのか解るらしいのです。だから、もし不審な言動が甥にあったとしたら、それは、その力のせいなのです。きっと……信じてはいただけないかもしれませんが」

 この世には人智の及ばない出来事が存在しているのは理解している。しかし、本当に未来を予知する事が可能なのだろうか。

 篠原の背中に薄ら寒いものが走った。




 少しだけ時間はさかのぼる。

 そこはシダーハイツよりほど近い場所にある杉光司の自宅であった。

「くそ……くそ……何で……俺が……」

 そのリビングで、杉は壁に背をつけて両手で包丁を握り絞め、血走ったまなこをぎょろり……ぎょろり……と、彷徨さまよわせていた。

「くそぉ……もう少しで上手く行きそうだったのにぃ……」

 彼にはどういう訳か幼い頃から目の前にいる人の死の瞬間が視える事があった。

 それは突然、己の目蓋の裏側に焼きつくように出現する。同時に杉は、その人物に残された寿命がどれくらいなのか、感覚的に悟ってしまうのだ。これが、彼が秘めた特殊な力であった。

 この死の予言が外れた事は未だかつてなく、阻止できた事もなかった。

 近い未来に訪れる確実な死……。

 だから、自殺する角脇登美江の姿を視たとき、杉は歓喜した。

 これで、まとまった金が入る、と……。

 そこまでの道筋を彼は一瞬で閃いたのだ。

 しかし、解っているのは、角脇が自殺するだいたいの日時と、彼女が自らの腕に注射器の針を刺す事だけだった。

 だから、杉はA02号室に盗聴器を仕掛けた。彼女を監視するために。

 その甲斐かいあって、彼の望み通りに事が運んだ。

 多少のハプニングはあったが、このままいけば少なくはない金銭を得る事ができるはずだった。

 しかし、昨日の朝だった。

 目覚めて顔を洗おうとして、洗面所へと向かったところ、鏡に映った自分の死の瞬間を視てしまった。

 しかも、タイムリミットは一日以内。もう時間がない。

 だから、杉は昨日から、ずっと迫る死の恐怖に曝され続けている。

「畜生……どこから来やがる……?」

 昨日の朝、鏡で視た死ぬ間際の自分は、酷くおびえていた。

 両目と口を大きく開き、眉間には深いしわが刻まれていた。

 それは絶叫する顔。

 しかし、自分がにそこまで脅えているのかが、まったく解らない。

 ひとつ確実に言えるのは、そのかこそが、自らに破滅をもたらす死神であるという事だった。

 この死神の正体を探ろうと、記憶を頼りに鏡の中で視た死の瞬間をスケッチしてみた。

 だが、けっきょく、何も解らない。

 死ぬ間際の自分は、いったい何にそこまで脅えていたのか……。

 そう自問自答したとき、ふと頭に思い浮かんだのは、あの頭のおかしい少女たちの事であった。

 角脇登美江の部屋へ侵入した二人の奇妙な少女……。

 

 あの夜、杉は自宅から近所のコンビニへと向かった帰り、シダーハイツの前を通り掛かった際、A02号室の扉が閉まるところを偶然にも見かけた。

 角脇と連絡が取れない事を不審に感じた彼女の親族か知人が訪ねてきたのだろう……そう思った杉は急いで自宅へと戻り、A02号室の様子を探るために盗聴器の電源を入れた。

 そして、聞こえてきたのは、彼の想像を絶する音声であった。


 『……とりあえず、まずは急に家人が帰ってきたときのために、身を潜める場所やベランダに出られる窓の位置を確認しましょう』

 『らじゃー』


 ……空き巣だろうか。

 しかし、若い女だというのが引っ掛った。

 若い女の空き巣だっているかもしれない。だが、その声音は信じられないくらいにお気軽なものであった。

 まるで、深夜の墓地で不意にどこからともなく聞こえてきた童謡のような、違和感と不気味さに背筋が震える。

 更に……。


 『……たぶん、死亡推定時刻は丸一日から二十時間くらいってところか。梨沙さん、ちょっと、この死体を裏返してくれないかしら?』

 『らじゃー』


 何と、角脇登美江の死体を発見して驚くどころか、冷静に淡々と検屍をし始めたではないか。

 いったい、この二人組の目的は何なのか。いくら考えても解らない。

 薄暗い他人の部屋で検屍をする二人の女。あまりにも異常で奇怪である。

 杉は自らの二の腕にびっしりと鳥肌が立っている事に気がついた……。

.


「……あいつらなのか。俺の死の運命は……」

 彼が能力で感じた死亡推定時刻はすぐそこだ。

 もう、いつ来てもおかしくない。

 杉は血走ったまなこをぎょろり……ぎょろり……と、動かして視線を彷徨さまよわせる。

 この場所からは、室内の入り口や窓すべてを見渡せた。誰が来てもすぐに解る。背中は壁で不意を突かれる心配はない。

「はぁ、はぁ、はぁ……どうした!? 来いよ? 俺には解ってんだ! オイ! オイッ! オイイイイ……」

 顔面を紅潮させて、震える手で包丁を握り直す。

 すると、その瞬間だった。

 ばさり、と、視界を黒い何かがさえぎった。

「な、何だ?」

 杉は気がついた。その鼻先ほどの距離に垂れさがるものが、誰かの長い髪の毛・・・・・・・・であるという事に・・・・・・・・……。

「あぁ……あぁ……」

 彼は気がついた。

 上だ。

 頭上から誰かが覗き込んでいる。

「あああ……」

 杉は言葉にならない声を漏らし、ゆっくりと顎をあげた。

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 それ・・と目が合う。

 死んだはずの角脇登美江だった。

 青ざめた彼女の顔が憤怒に歪む。


 杉の盛大な断末魔が轟いた。

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