【11】後日譚
「
それは、二〇二〇年八月二十一日の深夜であった。
「……彼の書斎には鉛筆で描いた自画像があったそうよ」
と、スマホの受話口に耳を当てて自宅のリビングのソファーに腰を埋めるのは篠原結羽だった。
その彼女の言葉に『そう。それは残念ね……』と、答えたのは茅野循である。
篠原によれば杉光司の死因は急性心不全であったが、いくつか不可解な点があるのだという。
まず、通報者は隣家の住人で『許してくれ』という声と、杉の凄まじい絶叫を耳にして彼の家に駆けつけたところ、庭先に面した窓越しに倒れている彼の姿を発見したとの事だった。
更に書斎で発見された自画像の表情が、あまりにも彼の死に顔と酷似していたらしい。そこには、強い恐怖がはっきりと表れていたのだという。
そして、何より奇妙だったのは、彼は死してなお、両手で包丁を握り締めていた事だった。
『もしかしたら、彼女の幽霊に祟り殺された……?』
と、桜井が冗談めかした調子で言った。その言葉に茅野が答える。
『割りと本当にその通りかもしれないわね。それより、その自画像が気になるわ……』
そこで、篠原は先日の杉かよ子から聞いた話を含めた情報をすべて、茅野に聞かせてから質問を発した。
「……でも、本当に未来予知なんて、できるのかしら?」
すると、茅野は事もなげに答える。
『理屈は解らないけれど可能よ』
『クノギミカコとか、うちのピラコちゃんも予知夢を見せてくれたもんね』
と、桜井の声が聞こえてきた。
どうやら、二人は未来を予知できる怪異と遭遇した事があるらしい。
本当に彼女たちの経験値は侮れない。篠原は苦笑を漏らす。そして、問うた。
「……それで結局、今回の一件は何がどうなっているのかしら?」
『それを説明する前に、無花果畑の監視カメラはどうだったのかしら?』
「ああ……映っていたわ」
茅野に言われた通り、角脇の死亡した日の映像を調べてみると、だいたい一時十分過ぎに、無花果畑脇の農道を走る車のハンドルを握った杉光司の姿が映り込んでいた。
しかも、その車は
「彼はいったい何をしたの? 何の目的があって……」
そこで茅野が受話口の向こうで鼻を鳴らして微笑んだ。
『
「どうして、そんな……というか、どこから?」
『
そこで、桜井が声をあげる。
『確か元彼の久保さんは結婚話が進んでたんだよね?』
「ええ。そういう話だったわね」
と、篠原は森山の話を思い出しながら応じた。
『なるほど。それならいっそ、死んで彼の心にずっと残りたかった……みたいな?』
その桜井の見解に茅野が同意する。
『でしょうね。“思い出の場所”を死に場所にして彼を呼び出したのも、そのためでしょうね』
「杉はその彼女の思惑を邪魔したって事……?」
『そうね。自分の生命を投げうって、自分の想いを訴えかける人生最後の大舞台を邪魔されたんだもの。彼女が化けて出たとしても不思議はないわ』
篠原には訳が解らなかった。なぜ、わざわざ彼女の死体を、自らの所有するシダーハイツへと運んだのだろうか。
『……恐らく杉は彼女の死を予知した時点で、この計画を思いついた。まずA02号室に盗聴器を仕掛け、角脇さんを監視して死ぬタイミングを計った。そして、十八日の夜、自殺するために瀬倉トンネルへと車で向かった彼女のあとをつける。そして、恐らく彼女はトンネルの中に車を停めて、自らペントバルビタールナトリウムを注射したのではないかしら?』
『……で、杉は彼女の死後、自分の車をトンネルの近くに放置して、角脇さんの車に乗ってアパートに帰ってきたんだね』と、桜井が声をあげる。
『そうね。わざわざ遠回りしたのは、人目につく事を恐れたから。無花果畑の監視カメラについては知らなかったか、もしくは、知ってても、警察が角脇さんの自殺について不審を抱かなければ、そこまで調べないだろうと踏んでいたのでしょうね』
『……カメラに映る事より、知り合いに自分が角脇さんの車に乗っているところを見られたくなかったという感じ?』
『そんな感じね。……そして偽装が終わったあと、翌日になってタクシーか何かで自分の車を取りにいったと』
筋は通っている。監視カメラの映像を見る限り、そうとしか思えない。しかし、篠原は釈然としなかった。
「でも、何でわざわざ自分のアパートを事故物件に? そんな事をすれば物件の価値が下がってしまうのでは……」
その篠原の疑問に茅野が質問を返す。
『では、手持ちの賃貸物件が事故物件になって、その価値が下がった場合、持ち主は、その損失をどうやって
「ああ……」
ここまで言われれば、篠原にも理解できた。
「
『ええ。彼の狙いは、それで間違いないと思うわ。特殊清掃や祈祷などに掛かる原状回復費や、次の入居者が決まるまでの家賃、次の入居者の減額分の家賃、そして慰謝料などを民事で請求する事ができる。これらの総額は数百万から、ときには一千万近くにのぼる事もあるわ』
篠原は真相を
「……それは、理解できたけれど、でも……」
『でも、何かしら?』
「あなたはどこで、角脇の自殺に裏があると気がついたのかしら?」
この問いに茅野は数秒だけ思案してから答える。
『……どこで、というなら最初からね』
「最初から!?」
『ええ。あの夜、彼女の部屋から出た直後に、大家とばったり出くわして、警察に通報されたでしょう? あれが、そもそもおかしいのよ』
「いや……何で……?」
不審者の通報は健全な市民の義務であろう。篠原は、また茅野がふざけているのかとも思ったが……。
『だって、私たちが怪しい風体の男だったとしたら、解らなくもないわ。
「まあ……確かに、言われてみれば……」
例え真夜中だったとしても、女性である角脇の部屋から姿を現した彼女たちの姿を見て、警察にいきなり電話をしようとはしないかもしれない。まずは、少なくとも素性を
そもそも、権藤の話では一年近く前にはなるが、角脇はあの部屋によく友人や恋人を呼んでいた。そのため、真夜中でも人の出入りが
それは、かつて権藤と角脇が深夜の騒音で揉めた際に仲裁したという、大家の杉も知っていたはずである。
『それから、あの遺書も変よ』
「どこが」
『彼女は、久保に自らの死体を見つけて欲しかった。でも、彼をメッセージで呼び出したにも関わらず、遺書は母と姉に向けたものだった。少なくとも、あの部屋で彼女が自殺したのだとしたら、呼び出した彼の名前がないのはかなり違和感があるわ』
「ああ……あれは、後に遺品整理に来た遺族向けの遺書だったのね」
『そうよ。だから、この自殺に何か裏がある事は、最初から、うっすらと気がついていたの。きっと彼女の霊は、私たちに杉の犯罪を看破して欲しかった。だから、杉が自らの死体を運搬したルートを使って、私たちをあのマンションに呼び寄せた』
「ああ……そういう事だったのね」
篠原は自分が、あまりにも多くの事を見過ごしていたという事実に
そして、茅野がその思いを見透かしたように言った。
『仕方がないわ。一見すると、疑う余地のない自殺だもの。恐らく、あの日、運よく私たちがトンネルを通らなければ、誰も彼の計画に気がつけなかったでしょうね』
『いやあ、あたしたち、お手柄だよ』
と、桜井。
確かにそうなのだが……まったく、称賛する気になれないのは、どうしてだろう。篠原は顔を引き
『……と、言う訳で、他に疑問はないかしら?』
と、茅野が言った直後だった。
『循!』
桜井の鋭い声が聞こえてきた。
『お出ましのようね。梨沙さん、ここからが本番よ』
『らじゃー』
突然、受話口の向こうが慌ただしくなる。
「……あなたたち、今どこで何をやってるのよ!?」
『そりゃ、スポットだよ』
『ちょっと、忙しくなってきたから切るわ。またあとで電話を掛けるから』
そこで通話が途切れる。
篠原は、しばらくスマホの画面を見つめてから……。
「いや、宿題やれよ!!」
と、大声で突っ込んだのだった。
(了)
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