【08】思い出の場所
「あのお嬢さんね……」
と、
玄関口から見える室内は、小綺麗ではあったが物が極端に少なく寒々しい。そこから、この
彼はやはり篠原の背後に立つ二人の少女に
「その時間にはもう寝ていたし、最近は耳が遠くなってね……ただ」
「ただ?」
と、篠原が聞き返すと権藤は落ち
「ちょうど、午前の一時か、そんな時刻だったと思うけれど、ふと目が覚めて便所へ行ったときにお嬢さんの部屋の玄関扉の音が聞こえたよ」
「それは、確かですか?」
篠原の言葉に対し、権藤はゆっくりと頷く。
「……間違いない。耳は遠くなったけど、あれは間違いないよ。でも、そんな事は、これまでにもよくあったからね。ここ一年くらいはなかったけど、男や若い女の友だちを呼んで、朝まで大騒ぎしてさ……だから、特に気にしていなかったよ」
嘘を吐いているようには思えなかったが、そう言ったあとに権藤は気まずそうに咳払いをする。
「ところで刑事さん。一つ聞いてもいいかい?」
「はい?」
篠原は首を傾げる。すると、権藤は次のような問いを発した。
「角脇さんは、本当に自殺だったのかい? 大家さんは、そう言っていたけどさ」
「どういう意味です?」
篠原が問い返すと、権藤は声をひそめて言う。
「……ここの向かいのB01に住んでいた若いの……何ていう名前だったかな? 鈴木……いや、違ったな……いや。歳は取りたくないね、本当に」
どうやら、思い出せないらしい。あとで大家にでも訊けば解る事なので、篠原は話の続きを促す事にする。
「……そのB01の住人がどうしたのです?」
「あいつ、 お嬢さんに気があったみたいでね。何度かアパートの前で言い寄っているのを見た事があるよ。それで、お嬢さんの恋人と、そこの駐車場のところで揉めてね」
「恋人? それは久保という人物ではなかったですか?」
この篠原の問いに権藤はしばし思案を巡らせてから、首を横に振る。
「名前までは知らないよ。でも、きっと、あのお嬢さんの事を恨んでいるだろうね。その一件のすぐあとに、そいつは、このアパートを出ていったけどね」
権藤の元を辞したあとB01室の現在の住人である
諦めて扉の前を離れようとしたそのときだった。
篠原の携帯電話が音を立てた。屋見野署の森山刑事からの着信であった。
「スピーカーにして
その茅野の言葉に頷くと、篠原は通話ボタンを押してスピーカーフォンにした。
すると、森山は開口一番で本題を切り出してきた。
『篠原さん、今、角脇登美江の元交際相手の
「何かありました?」
『それが、ちょっと、奇妙で……』
森山によれば、久保は角脇が死に際に送ったメールを無視した訳ではないのだという。
彼はくだんのメールを読んで、大慌てで彼女の元へと向かったらしい。
過去にも何度か同じような自殺をほのめかすメールをもらった事があったそうだ。
彼女に死ぬ気がない事は察してはいたが、万が一の可能性を考えると、どうしても無視できなかったのだと言う。
『それで、八月十八日も、メールにあった“思い出の場所”へ向かったそうなのですが、その場所というのが遺体発見現場のアパートから十数キロほど離れた瀬倉トンネルだというんですよ』
何でも彼女は三年前まで、ある山間の老人ホームに勤めており、当時の自宅から職場へ行き来するのに瀬倉トンネルを必ず通っていたらしい。
その頃は、久保も近隣の集落にある実家で暮らしており、日常的に瀬倉トンネルを通行していたのだという。
『……何でも、トンネル内でエンストして立ち往生していた角脇を偶然通り掛かった際に助けたのが、交際の切っ掛けだったみたいです。生前の角脇本人が、瀬倉トンネルの事を“思い出の場所”と、よく口にしていたらしいので間違いはないそうです』
篠原はアパートの外壁を見あげて問う。
「じゃあ、このアパートは……シダーハイツは……?」
『久保は遺体発見現場となったアパートに関して、住所も名前も覚えていないようでした』
何でも、このアパートに角脇が越してから数ヶ月あまりで別れたので、あまり印象に残っていないとの事だった。
『……結局、自宅から瀬倉トンネルに着いたのが〇時四十分ほどで、そこで彼女に何度か電話したらしいのですが、いつもならすぐに反応があるにも関わらず、彼女は電話に出る事がなかったそうです。それで、怖くなって、無視する事に決めたみたいですね』
当然ながら、今度は本当にどこかで自殺しているかもしれないという想像が頭を過ったらしい。しかし、現在交際中の恋人と結婚話が進んでいるらしく、それ以上は積極的に関わりたくなかったのだという。
『……以上が聴取の概要ですね』
と、森山は話を締めくくる。
そのあと、篠原はお礼と定型的な挨拶を経て通話を終える。
すると、茅野が声をあげた。
「
「何が、想像通りなの……?」
篠原には一連の事件の裏に何が隠されているのかが、まだ見えてこない。
しかし、この少女は違うらしい。その事が少しだけ悔しかった。
そして、もう一人の少女が問う。
「循……もしかして……」
「
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