【07】鉢合わせ


 篠原がドアノブを掴もうとする寸前で、がちゃり……と、目の前の扉が開いた。

 そうして、シダーハイツA02号室から顔をのぞかせたのは……。

「あっ」

 桜井梨沙であった。彼女の背後には茅野循の姿もあった。扉を開けようとしていた篠原は目を丸くする。

 彼女は遺体発見現場となった部屋に不審な点がないのか見聞するつもりだった。そのために、いったん電話で角脇の親族に許可を取ったあと、大家の元に向かい、この部屋の鍵を借りてきたのだが……。

「しまった、間違えた」 

 桜井が扉を閉めようとする。すぐに扉の隙間に足を突っ込む篠原。

「ちょっと、ちょっと、ちょっと! 間違えたって何よ!? ていうか、どうやって、部屋に入ったのよ!?」

「いや、鍵、開いてたけど……」

 桜井がしれっとした顔でのたまった。そして、茅野が鹿爪らしく言葉を続ける。

「これは、きっと、心霊現象よ」

「いやいやいや……」

 例えそれが本当だったとしても、鍵が開いていたからという理由で、他人の家に侵入していい理由にはならない。

 篠原が呆れて呆然としていると、二人は何事もなかったかのように玄関の外に出た。そのあと、茅野が篠原に向かって質問を発する。

「……それで、貴女は何の用でこんなところに?」

 それは、こっちが知りたいと、流石に突っ込もうとした、その瞬間だった。

 口を開き掛けた篠原の眼前に茅野の右手が突き出された。

 そこには、配線が飛び出た小さな黒いプラスチックの部品が乗っていた。

 その部品の名称に心当たりのあった篠原は口元を戦慄わななかせて、不敵な微笑を浮かべる茅野の顔を見た。

「これは、盗聴器……」

「この部屋に仕掛けられていたわ」

 茅野が背後のA02の扉を振り向いて言った。

「どうして……?」

 篠原の脳裏に森山の話がよみがえる。

 この部屋の住人であった角脇登美江は、元交際相手だった久保にストーカー行為を働いていたらしい。その角脇を誰かがストーカーしていたという事なのだろうか。

 そして、何よりいちばん不可解なのは、この目の前の少女は、なぜ彼女の部屋に盗聴器が仕掛けられていると解ったのか。

「嘘は吐いていないでしょうね?」

 篠原の言葉に茅野循は首肯を返す。

「私たちは、これがある事を確認しにきたの」

 なぜ……どうして……篠原の脳裏に疑問系が渦を巻く。

 どうやら、この事件は穂村の懸念通り、普通の自殺ではないらしいと認識を改める。

 それと同時に、なぜ穂村がこの二人の糞生意気な女子高生の存在を重要視するのかを実感できたような気がした。

 二の句が告げずにいると、桜井が極めて呑気な口調で茅野にたずねた。

「もしかして、循……もう・・だいたいわかった・・・・・・・・?」

 すると、茅野はかぶりを振った。

「まだ、何ともいえない」

「そっか。まだか……」

 桜井が残念そうに微笑む。すると、茅野は篠原に向かって提案を投げかける。

「でも、私の推測が正しいならば、この事件は単なる自殺ではないわ。そして、このままいけば、必ず理不尽な不幸・・・・・・に見舞われる人物が必ず出てくる」

「理不尽な不幸……」

 それが何なのか、篠原には皆目見当もつかなかった。しかし、目の前の少女は確信に満ちた様子で淡々と言葉を紡ぐ。

「それを防ぐには、子供の私たちの力では限界があるわ」

「そうそう。あたしら、言っても、普通の女子高生・・・・・・・だし」

 と、桜井がこくこくと首を縦に揺らす。

 そして、茅野は真摯しんしな眼差しを篠原に向けて言った。

「だから、大人の……貴女の力を貸して欲しいの。篠原さん」

 何か上手い具合に誤魔化された気もしないでもなかったが、散々、舐められていた彼女らに頼られるのは悪い気分ではなかった。

 篠原は……。

「解ったわ」

 と、彼女たちの要請を受け入れる事にした。





 まず茅野は同じアパートの住人に聞き込みを行う事を提案した。

 どうも、角脇の死亡推定時刻である十八日の〇時前後に、誰かが彼女の部屋へと出入りしていなかったかを知りたいらしい。

「もしかすると、角脇の死に第三者が関わっている……つまり、自殺を偽装した殺人を疑っているの?」

 と、篠原は茅野に聞き返す。

 しかし、彼女は思案顔でくすりとも微笑まず「まだ何とも言えない」と、さっきと同じように答えた。

 そこで桜井が苦笑しながら「循が『何とも言えない』と言ったのなら、本当にまだ何とも言えないんだよ」と、篠原の事をなだめるかのように言った。

 まったく釈然とはしなかったのだが、取り敢えず言われた通りA02の向かいの部屋から訪ねる事にした。

 幸いにも住民は在宅中で、篠原とあまり歳の変わらない女性であった。玄関に置かれた靴などから男性と同棲しているらしい事が窺える。

 名前を仲川智美なかがわともみと言った。

 さっそく玄関先で篠原は刑事である事を明かして、仲川に角脇の死亡推定時刻に向かいの部屋へと出入りした者がいなかったかを質問をする。

 すると、仲川は篠原の背後に立つ二人の少女の存在をいぶかしそうに見渡したのち、質問に答えてくれた。

「……その日、二十二時頃に寝たからよく覚えてないわ。ダンナも夜勤だったし……」

 それから生前の彼女の人なりについて訊くと、仲川は次のように述べた。

「……コロナの前は、よく彼氏や女友だちを招いて家で騒いでいたわね。深夜にコンビニへ買い物に行く事も、しょっちゅうだったわ。最近はあんまりなかったけど……それで下の部屋の権藤ごんどうさんとは揉めた事もあったみたい。大家さんが仲裁に入ったとか……」

 権藤とはA02の下階に当たるA01に昔から住む老人で、数年前に妻と死別してからはずっと一人暮らしをしているらしい。平日の午前は在宅している事が多いのだという。

 篠原は礼を言って仲川との話を切りあげ、今度はA01号室の権藤なるおきなを訪ねる事にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る