【06】デスマスク


 一九九五年の春先の事だった。

 当時、中学一年生であった田所愛たどころあいは、ふわりと欠伸あくびをして涙をにじませた。

 その視線の先にはクラスメイトの男子が真剣な表情で、画板に貼りつけられた画用紙に鉛筆を走らせている。

 彼は杉光司すぎこうじという。

 クラスでも目立たない存在で、ほとんど喋らない不気味なやつ……それが、彼に対する田所の評価だった。

 この日の授業内容は隣の席の者同士でお互いの肖像画を書き合うというもので、とうぜん田所は友だちでもなんでもない杉の顔なんか描きたくなかったし、自分の顔も描かれたくなかった。

 美術教師は早々に美術準備室へと引っ込んでしまったので、他のクラスメイトは適当に課題を終わらせて席を立ち、雑談に興じていた。

 田所も早くその輪に加わりたかったので適当なところで筆を置いたのだが、杉の方が描き終わらない。

 次第に苛立ちが募り、我慢の限界を迎えた彼女は勢いよく腰を浮かせて杉に詰め寄る。

「ちょっと、アンタさぁ。いつまで、すっとろく描いてんのよ!?」

 そう言って、杉の画板を覗き込む。

 すると次の瞬間、田所の表情が一気に青ざめた。

「あ……あ、アンタ、これ……何を……」

 画用紙に描かれていたのは、いつも鏡で見る自分の顔とは大きく違うものであった。

 腫れた目蓋の隙間からは白眼がのぞいていた。半開きの唇からは、だらしなく舌が垂れさがっている。

 何より目を引いたのは顎の下……首元に印された縄の痕だった。

 どうみても、生きている人間の顔ではない。

「アンタ……私を描いていたんじゃないの?」

 その田所の問いに杉は満面の笑顔で答える。


たぶん・・・明日くらいに・・・・・・なると思うけど・・・・・・・帰り道には・・・・・気をつけた方がいいよ・・・・・・・・・・


「アンタ、いったい何を……」 

「いや、たぶん、変質者とかじゃないかな? よく解らないけど」 

「変質者……?」

 その田所の言葉の言葉には答える事なく、杉は再び画用紙に鉛筆を走らせ始めた。






 『行方不明の中学一年女子、雑木林で遺体発見』


 4日早朝、屋見野市在住の60代男性から自宅近くの雑木林で若い女性の遺体を発見したとの通報があった。

 警察の発表によれば、遺体の身元は五日前から行方が解らなくなっていた市内在住の屋見野中学校一年生、田所愛さん(13)である事が確認された。

 田所さんの遺体の首には縄で絞められたような痕があり、暴行を受けた痕跡が見られた。

 警察は変質者による犯行と見て捜査を進める方針。


 (1995・5・11・北越日報)

 




 二〇二〇年八月十九日の早朝であった。

 都内某所の占いショップ『Hexenladen《ヘクセンラーデン》』二階の居住スペースにて。

 アンティークの調度類が並んだ寝室で、九尾天全は目を覚まし、のそのそとベッドから這い出した。リビングで脱ぎ散らかしたままだった部屋着をまとう。 

 寝ぼけまなこを擦りながらソファーに座り、スマホの画面を確認すると茅野から一枚の画像が届いていた。

 昨日は帰宅したあと早い時間に就寝し、そのまま泥のように眠ってしまった。スマホも充電したまま放置していたのでメッセージに気がつかなかったのだ。

 どうやら、走行中の車内からサイドウインド越しに撮影したものらしく、薄暗いコンクリートの壁が映り込んでいる。

 普通の人にとっては、単なるトンネルの中か高架橋下の写真にしか思えないだろう。しかし、この世ならざるモノの存在を認知できる彼女の目には、もう一つ別なものが写り込んで見えていた。

「あの二人……やっぱり、真っ直ぐ帰らなかったか……」

 九尾は盛大に呆れて二日酔いのときのように頭を抱えた。




 当然ながら桜井と茅野は、今回の件について静観するつもりはなかった。

 翌日の早朝から銀のミラジーノに乗り込み再び瀬倉トンネルへと向かう。

 もう一度、昨夜、心霊現象によって導かれた道を辿ってみようというのだ。

 特に何事もなくトンネルを抜けて、再び右手の峡谷に架かった橋の手前にある交差点を左折する。

 すると、そこで助手席の茅野が深々と溜め息を吐き、物憂げな表情で口を開いた。

「昨日は、薫に怒られてしまったわ」

 茅野は弟の薫に“真っ直ぐ家に帰る”と宣言しておきながら、帰宅したのは日付を跨いだあとだった。

 どうやら、八尺様の件のお礼に、その日の夕飯は腕によりをかけるつもりで様々な食材を買い込んでいたらしかった。

「……どうやら、随分と心配をかけてしまったようね」

「まあでも、循がカオルくんに怒られるのって、いつもの事でしょ」

「それも、そうね」

 と、茅野は一秒あまりで切り替え、スマホを手に取って画面をなぞり始めた。

「……それはさておき、昨日、九尾先生に、瀬倉トンネル内で撮った写真を送ったのだけれど」

 その写真は昨日、カーナビに異変が起こる前にトンネル内で撮影したものだった。

「反応は?」

「やっと返信があったわ。白いワンピース姿の女の霊がいるみたい」

「あの車に乗り込んできた幽霊かな?」

「恐らくは……」

 と、答えて、茅野は視線を上に向けて記憶を辿り始める。

「……確か、夜鳥島のときに九尾先生が言っていたけれれど、人が死んで幽霊になるまでの時間って通常は数週間から数ヶ月……稀に死後すぐに幽霊となる者もいるそうだけど」

「彼女も、そのパターンか……でも、やっぱり、何であのトンネルなのかが不思議だよね。自殺したアパートじゃなくてさ」

「そうね。大抵の幽霊は死んだその場所に現れるイメージだけど……」

 と、言い、茅野はスマホでメッセージを打ち始める。

「その辺りの法則について、九尾先生に聞いてみるわ」

 返信は早かった。茅野の携帯はすぐにメッセージの着信音を奏でた。

「センセ、何だって?」

「……幽霊は、その人物の生前にゆかりのあった場所や人、物にくらしいわ。大抵は死んだ場所に出現する事が多いみたい」

「まあ、死んだ場所は、ある意味、人生でもっともえんのあった場所といえるかもね」

 と、桜井が言った。そこで、茅野が思案顔をしてうつむいた。

「つまり、あのトンネルは彼女にとって、死んだ場所と同等と言えるほど、生前に縁の深かった場所と言う事になるのね……」

 そう呟いて黙り込む。

 桜井も彼女の思考を邪魔しないように、口をつぐんで運転に集中する事にした。

 二人を乗せた銀のミラジーノは、まもなく山間部を抜けて屋見野市の町中へ入ろうとしていた。

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