【05】自殺の動機


「……つまり、本来なら、その女性は自殺したあと、久保なにがしという人物に遺体を発見してもらうつもりだった。しかし、なぜか、あの部屋に彼は来る事はなかった。仕方がないから、あなたたちに発見してもらおうとした……と、いう事かしら? 瀬倉トンネルに以前からあった噂は、今回の件とは無関係だった」

 彼女たちの話を聞く限りでは、そう考えるのがもっとも自然であるような気がした。きっと、メッセージで死に場所を知らせたのも、化粧をしていたのも、死後の自分を彼に見せたかったからなのだろう。きっと、彼女にとって、久保という人物は特別だったのだ。

「遺体発見の経緯以外は、ただの自殺みたいね」

「本当に、そうかしら?」

 茅野循は悪魔のように笑う。

「どういう事?」

「まだ、何とも言えないけれど、どうにも引っ掛かるわ……」

 確かに、気になるポイントはある。

 なぜ、彼女たちが選ばれたのか。そして、なぜ、二人が瀬倉トンネルへ行ったタイミングだったのか。

 しかし、いくら気になると言っても、このままいけば単なる自殺で片付きそうな管轄外の案件を、“何か引っ掛る”という曖昧あいまいな理由で掘り返す事などできはしない。

 警察の捜査において、事件の解明に重大な支障をきたすレベルか関係者の命が危険に曝されるでもない限り、心霊現象の存在は無視される。

 この一件は不可解ではあるが、とても緊急的な対応が必要とされる案件には思えなかった。

「……確かに、なぜ、あなたたちが選ばれたのかについては気になるけれど、ちょっと引っ掛かるというだけじゃ動きようがないわ」

 篠原がはっきりそう言うと、茅野は肩をすくめて苦笑する。

「……ま、それなら、別に構わないわ。私たちも閑じゃないし」

「そだね。夏休みの宿題やらなきゃ」

 などと、桜井が、きりっ、とした顔つきで言った。

 やけにあっさりと引きさがったな……と、多少はいぶかしく感じたものの、まだ彼女たちとつき合いの薄い篠原は、特に疑いもせずに話を切りあげる事にした。

「兎も角、もう時間も時間だし帰りましょう。恐らく、この件は単なる自殺という事になると思うわ」

「そだね。いい加減、疲れたし」

 そこで桜井がふわりと欠伸あくびをした。茅野は背伸びをすると事もなげに感想を漏らした。

「まあ、それなりには楽しめたわ」

 こうして、三人は部屋を出ると屋見野署をあとにしたのだった。




 その翌日であった。

「は!?」

 県警本部のオフィスで篠原は受話器に耳を当てながら声を張りあげた。

 同僚の視線が痛い。周囲を見渡しながら申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべて頭を軽くさげる。

『……という訳で、その屋見野市の一件について調べて欲しい』

「えっ、や、ちょっ……」

『君の上司や屋見野署の方には、こちらから話を通しておいた』

 電話の相手は警察庁の穂村一樹であった。

 心霊など特殊な事象への対応を担当している。

 霊能者である“狐狩り”と連絡を取ったり、篠原のように、その手の事情に通じた各県警の人員に協力を要請したり、ときには自らの足で捜査や対応に奔走ほんそうする。

『あの二人が“引っ掛かる”と、言っているのだ。その屋見野市の事件の裏には何かがあるのかもしれない』

「裏って……」

 この件は、昨日の深夜にメールで報告した時点で終わったものと思い込んでいた篠原にとって、彼の言葉は寝耳に水であった。

「言っても、女子高生ですよ? 彼女たちの言う事なんか当てになるんですか?」

あれ・・は、そこらの“狐狩り”なんかより、よほど鼻が利く。彼女たちの話は軽視しない方がよいだろう』 

 確かに、あの二人の活躍は色々と耳にしていた。場数を踏んでおり、その経験値が侮れない事も理解している。しかし、どうにも信用ができない。

「いや、あれは絶対、面白がって話を大きくしようとしているだけですよ。あの子ら、基本的にこっちの事を舐めてますから。完全に」

 篠原はうんざりとした声をあげた。しかし、穂村は譲ろうとしない。

『それなら、それで構わない。何もなかったら、それに越した事はない。本当に自殺か否か、くだんのトンネルとの関係は何なのか……それを、調べて欲しい』

「しかし……」

『何かがあってからじゃ、遅いからな……』

 そこで、篠原は思い出す。

 穂村の父親は警視庁捜査一課に席を置く優秀な刑事であったらしい。しかし、ある事件の捜査の最中に不審な死を遂げたのだという。

 その彼の死には何らかの心霊的な要因が関わっていたのだ、という噂を小耳に挟んだ事があった。

 だから、彼は心霊的な被害をできるだけ未然に防ぎたいのだろう。自らの父親のような犠牲者が出る前に……。

 篠原は深々と溜め息を吐いて、受話器に向かって一言。

「解りました」

『すまない』

 申し訳なさそうな穂村の言葉。

「いえ。仕事ですから拒否はできません」

 きっぱりと言うと、穂村は『では、頼む』と言って、通話を終えた。

 次に篠原は屋見野署の森山刑事に連絡を取る事にした。




『……被害者の名前は、角脇登美江かどわきとみえ、二十九歳。市内のデイケアセンターで事務員として働いていたようです』

 受話口の向こうで、森山が淡々とした声音で事実を述べる。

『遺書の筆跡は彼女のものでした。遺族は母親と父親違いの歳の離れた姉が県南で暮らしていますが、ほとんど交流はなかったらしいです』

 篠原はメモを取りながら、気になっていた事を質問する。

「それで、死因は……」

『死因はペントバルビタールナトリウムによる中毒死で間違いなさそうです。安楽死の際に用いられるバルビツール酸系の鎮静剤ですね。検死の結果は出ていませんが、彼女の私物のノートパソコンに、海外のサイトで、この薬品を購入した履歴が残っていたので間違いはなさそうです。死亡推定時刻は十八日の〇時前後。現場に落ちていた注射器で、自ら静脈注射を行ったものと思われます』

 ここまで話を聞いてみても特に不審な点はなく、どう考えても単なる自殺である。

「自殺の動機は?」

『恐らくは痴情のもつれでしょうね』

「……というと?」

『彼女が最後にメールを送った相手……』

「ああ、久保……でしたっけ?」

『ええ。その久保から数度に渡って、うちの署に届け出がされていまして……』

「届け出?」

『元交際相手にストーカーされて困っている、と。その元交際相手というのが、角脇登美江なんですよ』

「ストーカーですか……」

『ええ。それから、彼女は何度か自殺未遂で騒ぎを起こしています。通報を受けたうちの署員が対応にあたった事もあったようです』

 そして、森山はどこか呆れた様子で鼻を鳴らして言葉を続けた。

『まあ、うちの生活安全課は、単なる痴話喧嘩のもつれとして、あまりまともに取り合っていなかったみたいですけど……』

 自殺の動機もあり、死因にも特に不審な点はない。

 やはり、穂村の思い過ごしなのでは……。

 篠原は森山との電話で、その思いをいっそう強くした。

 一応、久保には任意出頭を求めており、これから事情聴取を行うらしい。

 何か不審な点があれば教えて欲しいと半ば駄目元で言付け、篠原は電話を置いた。

 それから、篠原は黒のアリオンに乗り遺体発見現場である屋見野市のシダーハイツへと向かった。

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