【04】Jane Doe
その遺体は左半身を下にして胎児のように身体を丸めた体勢で、簡素なパイプベッドのシーツの上に横たわっていた。
身にまとう服装は白いワンピースで、車に乗り込んできた幽霊のものと同じである。
死に顔は安らかで、よく見ると念入りに化粧が施されていた。
「死に化粧……?」
茅野はすかさず右目を指で押し開き、角膜の混濁具合を調べ始める。次に茅野は手足を軽く動かして、死後硬直の強さを確かめだした。
「……たぶん、死亡推定時刻は丸一日から二十時間くらいってところね。梨沙さん、ちょっと、この死体を裏返してくれないかしら?」
「らじゃー」
写真を撮影していた桜井が死体を転がすようにして、今度は左半身を上にする。
茅野は死体の左腕を取った。前腕の中央付近に明らかな注射痕が見られた。そして、その周囲に不気味な
「循!」
と、そこで、おもむろに桜井が声をあげてベッドの隅に手を伸ばし、何かを摘みあげた。それは使用済みの注射器であった。
それを桜井から受け取り、茅野は独り言ちるように言う。
「死に顔は安らかで、肘や足首の外側に水疱が見られる。死因はバルビツール酸系の薬物による中毒死かしら? バルビツール酸系の薬品による水疱は、かなり稀な反応らしいけれど……」
「ばるびつーる……?」
「強力な鎮静剤よ。この手の薬品は麻酔効果が表れる量と致死量の差が少ないの」
「ふうん。それはやばいね」と、桜井が全然やばさを感じない口調で言った。
「海外では安楽死なんかにも使われるわ。お手軽とまでは言えないけれど、知識さえあれば、入手できない事もない薬品よ」
「注射器が残されているって事は、自殺?」
「まだ、何とも言えない……」
そう言って、茅野は室内を見渡した。すると、その視線を書斎机の上で止めた。
そこには、閉じられたノートパソコンと白いポーチ、そして、一枚の
二人は遺体と注射器を元通りに戻すと、書斎机に近づき、その便箋を
すると、そこには……。
お母さん、お姉さん、ごめんなさい
と、だけ記されていた。
「遺書……やっぱり、自殺?」と、桜井。
茅野は「今のところは、その線が濃厚ね」と言って、ポーチの中を漁り始めた。そして、中からスマホを取り出して弄り始める。
「パターンロックね。指のあとが残っているわ」
そう言って、あっさりと画面ロックを解除して再びスマホを操作する。それから、数分後……。
「今日の〇時四分に、メールを送信しているわ」
「内容は……?」
茅野がスマホの画面を桜井に見せる。そこには、以下の文面が表示されていた……。
『今から貴方と私の思い出の場所で死にます』
「思い出の場所って、この部屋が?」
桜井が
「状況から考えると、そうなのだけれど……。それから、〇時四十七分から数分おきに三回、メールの宛て先の人物から電話があったみたいだけれど、すべて彼女は電話に出ていないわ」
「つまり、このメールの送信時間までは、少なくとも彼女は生きていた? そして、〇時四十七分には、既に死んでいた?」
「ええ、普通に考えるならそうね」
「メールと電話は誰からなの?」
「“
茅野は画面をスクロールさせて、過去のメール見てゆく。
「この遺体の女性は、過去にも久保昌信という人物に同じような自殺を仄めかすメールを送っているみたい。たぶん、この久保って人は、遺体の女性の元交際相手のようね」
「死ぬ死ぬ詐欺か……」
桜井は眉を八字にして、再びベットの上の死体の方を見る。
「それで、今度は本当に死んでしまったと……」
「
「ずいぶん、歯切れの悪い言い方だけど……」
「そもそも、何で私たちはこの部屋に招かれたのかしら? そして、なぜ、あのトンネルなのかしら? この屋見野市とは、かなり距離があるわ。特に繋がりもなさそうだけれど……」
「だよねえ……」
と、桜井は難しげな表情で腕組みをした。すると、茅野はスマホをポーチの中に戻して言う。
「それは兎も角、ちょっと、長居をし過ぎたわ。これぐらいにして、ずらかりましょう」
「らじゃー」
こうして、二人は再び玄関へと向かった。
桜井と茅野が遺体のあったシダーハイツの『A02』の玄関扉から外に出た瞬間だった。階段の下から鋭い声が響き渡った。
「何だ、お前らは!」
半袖のポロシャツを着た痩身の男であった。不審者に対する眼差しで、二人の事を見あげている。
「私たちは、この部屋のカドワキさんのポーチを拾って……」
と、茅野が出任せを口にしようとしたその瞬間だった。
「……けっ、警察……」
男は聞く耳をもたず、手に持ったスマホで警察へと通報をし始めた。
「……と、言う訳で現場から、ずらかる前に通報されてしまったのよ」
茅野が遠い目をして言った。そして、桜井は不服そうに唇を尖らせる。
「理不尽だよね」
理不尽も何も、お前ら不審者そのものだろ……篠原は心の中で、突っ込みを入れた。
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