【03】導かれし者たち


 時刻は二十時過ぎとなった。

 二人を乗せたミラジーノは誤作動を起こし始めたカーナビの通りに走り続け、屋見野市郊外の砂利道へと辿り着いていた。

 左側には田園が広がり、右側には緑色のネットに囲まれた無花果いちじく畑が見える。その支柱の上部には農業用の監視カメラがいくつか取りつけられていた。

 その畑の前を通り過ぎた直後であった。

『……この先、百メートル、右折してください』

 カーナビの音声が鳴り響く。

 茅野は目線をルームミラーへと向けた。相変わらず後部座席には、あの白いワンピースの女が映り込んでいる。物言わぬまま俯いて、長い黒髪を垂らしていた。

「私たちをどこへ連れてゆくつもりなのかしら?」

 茅野の口にした疑問に、桜井は「さあ」と首を傾げ、ブレーキを踏みながらウインカーを出した。そして、事もなげに言ってのける。

「地獄だったらいいんだけどね」

 そこで、茅野がふと何かを思い出した様子で口を開いた。

「そう言えば、あったわね……」

「何が?」

「昔聞いた怪談話よ。カーナビに導かれるまま進んだら断崖の縁に連れていかれて、落ちる寸前でどうにかブレーキを踏んだら、声が聞こえてきて……」

「“死ねばよかったのに”?」

「そう。それよ」

「今回は、それかー」

 二人はゲラゲラと笑う。

 そして、車は右折のあと二百メートルほどで古びた住宅街の路地に入る。目的地を示すマーカーは、その先を指していた。もう五分ほどで到着するだろう。

 どうやら、そこは『シダーハイツ』というアパートらしい。

「それにしても、おかしいわ……」と、茅野がスマホをいじりながら切り出す。

「何が?」

「このアパートに向かうなら、あんな農道を通るより、もっと近道があるはずなのに、わざわざ、遠回りさせているわ」

「わざわざ、最短距離を辿らなかった事にも何か意味があるのかな? 例えば、この車が辿ってきた道を上から見ると何かの文字になっているとか……」

「中々、面白い発想よ、梨沙さん」

「それは、どうも」

「でも、どうやら違うみたいだわ」

「それは、そうだろうね」

 と、桜井が答えたところで、住宅街を割って横たわる狭い路地の前方左手に目的地が見えてきた。

 シダーハイツである。

 車道に隣接した駐車場の奥に建っており、二階建てで全四室。中央に外へと面した共用部分の階段と各部屋の玄関が向き合う形で配置されているタイプのアパートであった。

「さて、鬼が出るか、蛇が出るか……」

 桜井が車を停車させた。すると、サイドウインド越しにシダーハイツの方へと目線を向けていた茅野が声をあげる。

「梨沙さん、あれを見て頂戴ちょうだい

「どしたの?」

 桜井もアパートの方へと視線を向けた。すると共用階段を登る人影があった。それは、さっきまでルームミラーの中の後部座席に座っていた白いワンピース姿の女であった。

「あれは……」

 女の姿は二階の右手にある部屋の玄関前で、ふと消え去った。

 桜井と茅野は顔を見合わせて頷きあった。




 いったん、近くのコンビニの駐車場に車を停めて、再びシダーハイツに舞い戻った二人は、女の幽霊が消えた部屋の前に立つ。

 扉には『A02』という金色のプレートがあり、右脇には『Kadowaki』と記された木目調のファンシーな表札があった。

 茅野がその真下にあったインターフォンに手を伸ばす。ボタンを押して、しばらく待つが反応はない。「どうする?」

 桜井は隣に立つ相棒の顔を見あげて問うた。

 すると、茅野は屈み込んで片目をつむり、鍵穴をのぞきながら、ドアノブを捻る。どうやら施錠されているようだった。

「さて……どうするか……」 

 茅野は顎に指を当てて思案する。

 扉の鍵自体は簡単に突破できそうだった。

 しかし、流石の彼女も心霊絡みとはいえ、一見して何の変哲もない住居に不法侵入をきめるのは気が引けた。何よりも外出中の家人が帰宅して鉢合わせたりする可能性を考慮するなら、けっこうリスキーである。

 そこで、桜井が茅野の横顔を見あげて「どうする……?」と問うた。

 その瞬間であった。

 がちゃり……と、音がして、ゆっくりと扉が開き始めた。

 二人は目を見開き顔を合わせる。

「これは、入っていいって事だよね?」

「そうね。絶対に誘っているわ」と、茅野は頷き、リュックから二組のビニール手袋を取り出して片方を桜井に差し出す。

「……とりあえず、指紋はなるべくつけないようにしましょう」

「らじゃー」

 二人はビニール手袋を装着し、更にビニール靴下を靴の上から穿いて、シダーハイツ『A02』の中へと侵入を果たしたのだった。

 そして、玄関の扉を再び閉めると静寂と共に暗闇が周囲を覆う。人の気配はまったくなかった。

 すかさず、茅野がペンライトの明かりを灯す。

 すると、薄暗い空間に、うっすらと玄関から真っ直ぐ伸びた廊下が見えた。

 その中ほどの左側にはキッチンへの入り口があり、右側には浴室やトイレへの入り口が並んでいた。突き当たりには半透明のアクリル扉で閉ざされている。その奥はどうやらリビングらしい。

 外から微かに聞こえてくる車の走行音。

 そして、湿った有機物の臭いが微かに二人の鼻先をくすぐった。それは、廃墟にはない生活の臭いであった。

「どうやら、女性の独り暮らしのようね」 

 茅野が狭い三和土に並んだ靴を見おろしながら言った。

「……とりあえず、まずは急に家人が帰ってきたときのために、身を潜める場所やベランダに出られる窓の位置を確認しましょう」

「らじゃー」

 まず二人は真っ直ぐに廊下の突き当たりへと

向かった。

 そこは何の変哲もないリビングで、入り口の隣にキッチンへと通じる引き戸、正面には分厚いカーテンに覆われた掃き出し窓が並んでいた。右の壁に扉、左の壁には開かれた戸口がある。

 薄暗く室内は見渡せないが、どうやら寝室らしい。奥の窓際に横たわるベッドがぼんやりと見えた。

 リビングの調度類はパステルカラーを基調としており、家主の少女趣味がうかがえるものであった。

 茅野は真っ直ぐに部屋を横切り、掃き出し窓を目指すと、カーテンの隙間から外の様子を覗き込んでクレセント錠を開けた。

「いざとなったら、ここから逃げましょう」

 と、桜井の方を振り向いた瞬間だった。

「循!」

 密やかながら鋭い声が飛んだ。茅野は桜井の視線の先を追う。すると、それは寝室へと通じる戸口の向こう側だった。

 そこには、あの白いワンピース姿の女が佇んでいるではないか。相変わらず長い髪の毛を垂らしており、その表情は窺えない。

 そして、桜井が咄嗟に掲げたスマホのシャッター音が鳴り響いた瞬間であった。

 影の中に溶け込むように女の姿は消え失せた。




「……それで、そのあと、私たちは寝室へと向かって、ベッドの上に横たわっていた彼女の死体を発見したのよ」

 茅野がそこで一息吐く。

「いや……うん……」 

 篠原は唐突に幽霊が現れた事よりも、家主が現れたときの逃走経路をまず最初に確認した二人に、そら恐ろしいものを感じざるを得なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る