【11】老婆の霊


 少しだけ時間をさかのぼる――。


 八月十七日の十一時過ぎだった。

 東藤綾と佐島莉緒は、東藤家の使用人が運転するアルファードによって、桜井、茅野、九尾に先んじて長臑村近くのキャンプ場へと到着していた。

 荷物をおろし、使用人には翌日の昼過ぎくらいに迎えに来てもらうように頼んで駐車場で別れる。その後、テントを設営してから長臑村を目指す予定となっていた。

 移動手段はサイクルキャリアで積んできたマウンテンバイクである。

 ともあれ、管理人小屋でサイトを借りる手続きを済まそうとしたところ、雑談となる。その際に、長臑村の旧村道まで続く道の途中で地滑りが起こっていて通行止めとなっている事を知る。

 他に長臑村へ通じる道がないかと、佐島が管理人に尋ねたところ、村まで続く杣道そまみちの存在を教えてもらった。

 二人はさっそくテントを設営したのち、マウンテンバイクに乗ってキャンプ場をあとにした。その杣道の入り口がある登山道を目指す。

 茅野循は村まで四時間と見立てたが、脳筋の東藤はもちろん、アウトドアやサイクリングが趣味の佐島も体力には自信があった。

 アップダウンが激しく、足場は悪かったが、特に何のトラブルも起こらず、二人は順調に村までの道程を辿る。

 そして、キャンプ場を出てから三時間ほど経った頃。

 時刻は十五時四十分ほどだった。

 東藤と佐島は、杉林の山肌を降る坂へと差し掛かる。すると、木立の隙間の向こうに荒れ果てた田畑と、その間に建ち並ぶ家々がうかがえた。

 長臑村である。

「そう言えば、アヤちゃん……」

 と、少し前を歩く佐島がおもむろに切り出す。

「何? 莉緒……」

「長臑村が、心霊スポットとして有名だっていう話はしたよね?」

「うん……」と、表情を曇らせる東藤。

「そっち方面を色々と調べたんだけど、どうも村の中で、鈴懸すずかけ姿のお婆さんの霊が現れるらしいんだけど……もしかして、アヤちゃんが見た白い着物を着たお婆さんの霊ってさ……」

「鈴懸って、山伏みたいなやつ……?」

「そうそう。山伏とか天狗が着てるやつ……」

 そこで、東藤は表情を引きらせ、短いかすれた悲鳴をあげた。

「それ! 夢に出てきたお婆さん……」

「ああ、やっぱりか……」

 と、佐島は苦笑する。

「ねえ、莉緒……」

「何? アヤちゃん」

「もしかして、あのお婆さんは、数珠を返して欲しいのかな……」

 佐島は少しだけ考え込み、かぶりを振った。

「さあね。でも、その可能性は高いかもしれない……」

 そう言って、見えてきた坂道の終わりへと目線を移す。

「取り合えず、そのお婆さんが目撃されたところに行ってみよ?」

「う、うん……」

 東藤は涙目で頷く。やはり、幽霊と対峙するのは怖いらしい。


 ……もうすぐ、二人は長臑村へと到着する。





 杉林の中をうねる坂道を降ると、あしすすきなどの背の高い雑草に覆われた田んぼに挟まれたコンクリートの道が延びていた。ひび割れており、そこからも雑草の束が顔を覗かせている。

「はぁ、はぁ、はぁ、もう無理……ちょっと、休ませて……お願い……」

 案の定、へばって四肢を突く最強霊能者、九尾天全。

 目を大きく見開き、息を荒げている。まるで、飢え死にする寸前の犬のような有り様であった。

 そんな残念極まる様子を、何か可哀想なものを見る目で見おろす桜井梨沙と茅野循であった。

 時刻は十七時五分過ぎ。

「センセ、もう少し運動しなきゃ駄目だよ」

「いざというときに動けなくては、せっかくの霊能力も宝の持ち腐れよ」

 正論過ぎて返す言葉もなかった。

「……ほら。センセ。冷たいミントティーあげるよ」

 そう言って、くまさんの水筒を取り出す桜井。中の氷がカラカラと音を立てた。

「ひぃ……ありがとう……」

 地面に腰をおろしたまま、ミントティーで喉をうるおす。

 確かに情けない姿ではあった。

 しかし、金になる訳でもないのに、ここまでしてくれる九尾に対し、二人は改めて感謝の念と敬意を抱いたのだった。

 そもそも、桜井と茅野は彼女の体力や運動能力には、さしたる期待はしていなかったのであるが……。

 ひとまず、九尾が回復するまで、その場で立ち止まって休息を取る事にした。

「そう言えば、この村って、スポットとしても有名なんだよね? もう八尺様はいないのに」

 その桜井の疑問に茅野は答える。

「そうね。どうも、ネットによれば、修験者の格好をした老婆の霊が見られるそうよ。因みに、この村と八尺様の関連を示唆する情報は、検索した限りでは見られなかったわ」

「わたしたちの業界内では有名な話なんだけどね。あまり、表沙汰にはなっていないわ……」

 と、九尾。

 のそのそと立ちあがり、スカートの裾を払う。

 そして、視線をあげた瞬間であった。背の高い雑草に挟まれた道の先。まさに話にあった老婆がいつの間にか、ぽつんと立っているではないか。

 白い鈴懸姿に錫杖しゃくじょうを右手に持ち、何かを言いたげに九尾をじっと見つめている。

 どうやら、桜井と茅野の目には映っていないらしい。

「どしたの? センセ」

 そう桜井に声をかけられた直後だった。九尾の脳裏に映像が甦る――




 それは、篝火かがりびの明かりが揺らめく薄暗い場所だった。

 白い鈴懸を着た老婆が、古井戸に向かって一心不乱に何かの文言を唱えている。

 古井戸の前には九尾の知識にない奇妙な祭壇があった。

 何の儀式かは解らない。

 しかし、見当はついた。

 これこそ、かの存在を呼び出す儀式なのであろう。

 それは、長臑様、八束姫、または八尺様……。

 あの鈴懸姿の老婆こそ、遠い昔に八尺様を村へと招き入れた者なのだと……。

 そして、九尾は気がつく。

 彼女が印を結んだ手首にかかった赤い数珠を――




「センセ……センセ……」

 気がつくと、桜井に右手を掴まれて揺さぶられていた。

「何か、視えたのかしら?」

 落ち着いた声音の茅野の質問に、九尾は前方を指差す。そこには、まだ鈴懸姿の老婆が立っていた。

「あそこに、その修験者の老婆が……」

 その言葉を九尾が発した瞬間であった。

 桜井はネックストラップのスマホを手に取り、茅野は肩にかけたデジタル一眼カメラを持ちあげる。

 マカロニウエスタンのガンマンもかくやという、素早い動きであった。

 そして、老婆はというと、撮影を嫌がった訳ではないのであろうが、くるりと反転して九尾たちに背を向けて歩き始める。

 その小さな背中を眺めながら、九尾は一心不乱に撮影し続ける二人に向かって言った。

「……どこかへ連れて行ってくれるみたい。恐らく彼女が例の数珠の持ち主よ。ついていきましょう」

 桜井と茅野は黙って頷いて同意する。

 一行は老婆の霊に導かれ、村内へと足を踏み入れた。



 蝙蝠こうもりの黒い影が頭上を忙しなく飛び交い始めていた。

 太陽は山々の向こうに沈み、空はわずかな朱色を残して夜闇に染まりつつあった。

 九尾たちは老婆の霊に導かれ、村の端にある山門の前に辿り着いていた。瓦が剥げ落ちて蔦に侵食されている。その向こうには、苔むした登りの石段が山肌を割って横たわっている。

 山門の入り口の真上には古い木板の額があったが、そこに記された銘は既に読み取れない。

 三人は暗くなってきたので、その門前で立ち止まると、照明の準備をする事にした。

 桜井と茅野はヘッドバンドライトをそれぞれ装着して点灯する。

 九尾もまた筒状の懐中電灯をリュックから取り出してスイッチを入れた。

 そうしているうちに、老婆の霊は石段をするするとあがり、姿を消す。

 九尾が山門を潜ろうとすると、それを桜井が右手で制す。

「センセ。そろそろ、あたしが先頭になるよ……」

 一瞬、迷ったが、九尾は石段を見あげてから首を横に振る。

「この真上から、嫌な気配が流れてくる……」

 それは、あのリモート越しに感じた八尺様の気配とよく似たものであった。

「だから、まずはわたしが先頭に立つわ。……何かあったら、お願い」

 桜井はいったん石段を見あげ「解った」と、神妙な顔で頷く。

 彼女の戦闘者としての勘が、ここは専門家に任せた方がよいと判断したようだ。

 茅野が右手で抜いたスタンロッドのスイッチを入れて、故障がないか確認する。

 青い火花が闇夜に散った。

「行くわよ……」

 その言葉に桜井と九尾は頷く。

 こうして、三人は石段を登り始めた。

 時刻は十八時十分を過ぎたところだった。

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