【12】静かな怒り


 山肌の鬱蒼うっそうとした杉林を割って横たわる石段を登り切ると、そこには仁王門があった。

 屋根の所々から骨組みがのぞき、残った瓦にも緑の苔がこびり付いていた。

 門の左右に直立する阿吽あうんの像は、どちらもほこりと蜘蛛の巣にまみれている。

 その門を潜り抜けた三人の眼前に広がるのは、静まり返った山寺の境内であった。

 門から石畳が続いており、最奥の薄暗がりに本堂らしき建物が、うっすらと浮かびあがっている。

 その中間地点に古びた井戸があった。

 九尾が視た過去の風景の中にあった井戸と同じである。

 石段の下の山門で感じた嫌な気配は、そこから漂っている。

 九尾は慎重な足取りで、その古井戸に近づき、縁に手を触れる。

 すると、再び彼女の脳裏にある光景が過る――



 それは、どこかの田園地帯と住宅街の境目であった。こんもりと生い茂る木立と高い塀に囲まれた家が見える。

 その窓や入り口には、例のプリントアウトした御札が貼られている事から、茅野循の家だと九尾は悟る。

 そうするうちに、どこかから聞こえ始めた犬の吠え声と共に、それらの御札はすべて黒焦げとなって消え失せた。

 すると、その門前に白いもやもやとした細長い人影がやってくる。

 門を通り抜け、腰を曲げてひさしを潜り、両手のようなものを伸ばして玄関扉の両脇の壁に触れた。

 すると、家全体がまるで地震にでもあったかのように揺れ始めた――



「……この井戸、たぶん、八尺様を呼び出したときの憑代よりしろとして使われたものね。今も、ほんのわずかに繋がっている」

 そして、九尾は、ほぞを噛み言葉を続ける。

「不味いわ……今、ちょうど、弟くんに襲いかかろうとしている……もう結界が持たないかもしれない……何とか、こっちから向こうの気を逸らせれば……」

 すると、その言葉を聞いた茅野循が、足元にリュックをおろし、中から何かを取り出した。

 それは、ぱんぱんにふくれたビニール袋だった。じゃらじゃらと音がする。

「何それ?」と、桜井が尋ねると、茅野は悪魔のように笑いながら九尾に質問を投げかけた。

「この井戸は、八尺様と繋がっているのよね? 先生」

「え? ええ……」

 と、九尾が首肯すると、茅野は井戸の間際に歩み寄る。

「あの、循ちゃん……いったい、それは……」

 九尾が恐る恐る尋ね直すと、茅野は何も答えず、その袋の中身を井戸の中にすべてぶちまけた。

 がしゃがしゃと音がして、袋の中身が空になると茅野は、すっきりとした顔で述べる。

「今のは全部、鉄製のリベットよ」

「は!?」

 九尾が目を丸くする。

「けっこう、重かったのよ、あれ……」

 と、いい笑顔でのたまう茅野。

「リベット……何で?」

 流石の桜井も困惑気味であった。

 しかし、茅野は確信を持った表情で胸を張る。

「昔から水の怪異が苦手なものといったら、鉄と相場が決まっているわ。八尺様が私の推測通り水の怪異だとしたら、嫌がらせに使えると思って、持ってきたのだけれど……」

「そ、そ……そんな、馬鹿げた……」

 九尾は言葉を失う。

 そして、桜井は、やっぱり普段通りに見えていたけど、弟に手を出されて相当ブチ切れていたんだな……と、妙に納得した。

「いや、確かに水の怪異は鉄に弱い傾向はあるけど……リベットって……」

 と、九尾が言葉を発した瞬間だった。

 その音が地の底から近づいて来る。

 それは、気泡が弾けるような、ペットボトルからグラスに液体を注ぎ入れたときのような、何かが擦れ合うような、あの音だった。


 ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……。


 突如、井戸から水蒸気のようなもやが吹きあがる。

 それは、超自然的な脈動を繰り返し、大きな白い人影を形作る。

 その輪郭は、まるで鍔広つばひろの帽子を被った背の高い女性のようだった。

「うわっ、急に何だ!?」

 桜井が目を白黒させる。

「循ちゃんの嫌がらせが効いたようね。こっちに戻ってきたみたい……」

 九尾は険しい表情で井戸の上に直立する白い大女の影を見あげる。

「結果オーライ……ラストバトルといこうじゃないの」

 茅野が不敵に微笑んだ。

 しかし、九尾は「いいえ。まだよ……」と首を振り、白い影に向かって右手をかざす。

「わたしがこいつの動きを封じ込めている間に循ちゃんたちは、例の数珠を見つけてきて……」

 そして、右手を突き出したまま周囲を見渡すと、背後の仁王門の向こうで、階段を降りる鈴懸すずかけ姿の老婆の背中に気がつく。

「取り合えず、来た道を引き返して! 階段を降りて! 早くっ!!」

 桜井と茅野は頷き駆け出した。仁王門へと引き返す。

 九尾は再び八尺様へと向き直る。

 見えざる禍々しい力が、周囲のすべての闇を震わせる。

 顔をしかめる九尾。

「早くしてね。あんまり持たないかも……」

 自嘲気味に笑い、意識を目の前の強大な敵に向かって集中し始めた。

 このとき、時刻は十八時二十三分であった。




 東藤綾と佐島莉緒の二人は長臑村に到着すると休憩を挟んで、ネットの各所に投稿された体験談を参考に、くだんの鈴懸姿の老婆の霊が目撃されたというポイントを近場から順に巡る。

 しかし、特に何事もなく時間は過ぎ去り、気がつくと日が傾きかけていた。

「次で最後だけど……」

 と、廃墟が建ち並んだ通りを歩きながら、佐島は右手のスマホに目線を落とす。

 その隣で、東藤が頭上を、きぃきぃと飛び回る蝙蝠こうもりを見あげて表情を歪ませる。

「……も、もう、帰っても、いいんじゃないかしら? 私、頑張ったけど……」

「まあまあ。もうすぐで着くからさ……」

 佐島は苦笑する。

 因みに彼女は、あまりにも東藤がビクビクとしっぱなしなので、すっかりと冷静になっていた。

 彼女は周囲がパニックになればなるほど落ち着くタイプなのである。

 それはさておき、その路地を抜けると山のすそのに建つ山門の前へと辿り着いた。

 門の奥には、苔むして古びた登り階段が夕闇の奥へと続いている。

 佐島が懐中電灯を掲げて、門前から階段を見あげて言う。

「さる廃墟マニアのブログによれば、階段を登った先の廃寺の境内でも、老婆の霊が目撃されたらしいんだけど……」

「廃寺! 無理無理無理……」

 東藤が激しくかぶりを振る。

 すると、次の瞬間だった。

 石段を駆け降りる足音と共に、階段の上から揺れ動くライトの光がやって来る。誰かの息遣いと、話し声も聞こえる。

 一瞬、東藤は蒼白な表情で、悲鳴をあげかけるが……。

「人間、二人よ」

 鋭い小声でそう言うと、自らの右手にあった懐中電灯の光を落とした。その彼女の顔は脅えた小動物のものではなく、戦闘者のそれであった。

 佐島も東藤に倣い、懐中電灯の電源を落とした。

「莉緒。隠れて様子をうかがいましょう」

 その言葉に、佐島は黙って頷いた。

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