【11】両成敗


 アーティットが悲鳴をあげている。

 しかし、それに構う事なく、ダーオルングは何とかソムチャイの身体を押し退ける。

 立ちあがろうとしたが、右膝から先に力が入らず、凄まじい激痛が全身を震わせた。

 仕方がないので、両腕を床に突いて何とか這いつくばる。

 その後方で、ソムチャイの下敷きとなったままのアーティットが、うつ伏せで右手を伸ばして必死に叫んでいる。

 鶴嘴つるはしの男が梯子を降りてきた。ソムチャイごとアーティットを踏みつける。

 刹那、振りおろされた鶴嘴が彼の後頭部を貫いた。

 アーティットの大きく開けていた口から砕けた歯と粘度のある血糊が吐き出され、貫かれた鶴嘴の尖端が床を打った。

 その打撃音に反応し、弾かれるように身体を裏返すダーオルング。

 男はソムチャイの背中に右足を乗せながら、アーティットの後頭部から鶴嘴を引き抜いた。その双眸そうぼうは、酷く虚ろだった。

 まるで、よく磨かれた黒瑪瑙オニキスのように光を反射しているだけで何の感情もない。

 それは、他者の死を何とも思っていない人殺しの目だった。

 その人殺しが迫る。鶴嘴を振りあげながら、近づいてくる。

 ダーオルングは生命の危機を感じ恐怖した。

 一応、拳銃は持っている。しかし、リュックの中だった。しかも、マガジンは外してある。

 この平和な国でいきなり殺し合いが始まる事など、まずあり得ないと甘く考えていたのだ。

 今からリュックに手を入れて、銃とマガジンを取り出して装填そうてんするなど、間に合う訳がない。

 ならば……。

 ダーオルングは痛みに顔をしかめながら、ジャケットの内側に右手を突っ込み、内ポケットからバタフライナイフを取り出した。

 男が一瞬怯んだ。

 ダーオルングはバタフライナイフを指先で回転させながら、決死の覚悟で膝立ちになり、距離を詰めてきた殺人鬼に飛びかかる。

 暗闇に悲鳴が轟いた。

 バタフライナイフの刃は、男の右腿みぎももに突き刺さる。

 男は振り下ろす寸前だった鶴嘴を取り落とし、尻餅を突いた。

 苦痛を我慢して、どうにか立ちあがるダーオルング。

 まずはロビーに撤退して男を迎え討つ。

 反撃の算段をつけたダーオルングは、男に背を向けてロビーへ続く階段を目指した。




 片山は起きあがろうとした瞬間、左腿ひだりももに激痛が走り、顔をしかめた。そこにはバタフライナイフが突き刺さっていた。

 東南アジア系の男は、足を引きずりながら背を向けて逃げてゆく。

 狩らなければならない。あの男を……この殺人鬼たちの隠れ家を受け継いだ後継者として、狩らなければならないのだ。

 片山は足に刺さったバタフライナイフを抜いた。凄まじい激痛が全身を震わせる。

 耐えがたい痛みに吐き気が込みあげ、胃液を吹きこぼす。両手を床に突いて吐瀉物を床に撒き散らした。

 やがて、出るものがなくなり、片山は咳き込みながら右袖で口元をぬぐった。

 既に獲物は、ロビーの階段を登っていた。

 鶴嘴を杖代わりにして立ちあがり、逃げ去る獲物を追いかけた。




「これは、男の悲鳴ね」

「地下から聞こえたっぽいね」

 上がりかまちに立ち、ロビー内を撮影していた桜井と茅野は神妙な顔つきで目線を合わせる。

 すると、階段の手前の跳ね上げ蓋が勢いよく開き、中から青ざめた顔の東南アジア系の男が顔をのぞかせる。そのまま、這い出て立ちあがった。

「おっ。何か必死そうだけど、だいじょうぶ?」

「Do you speak japanese?」

 桜井と茅野は男の元に駆け寄る。

 すると、彼は興奮しきった様子で両腕を振り回し、何事かを喚き散らした。

「これ、何て言ってるの?」

「ちょっと、興奮しすぎてて聞き取り辛いわ。それと、残念ながら東南アジアの方の言語は、まだ詳しくないのよね……」

 すると、男はリュックの中から拳銃とマガジンを取り出して装填し出した。

「何だ!? 急にどうした!?」

TT33トカレフね。コッキングしてないうちは大丈夫よ」

 特に驚かない二人。

 そのリアクションに表情を凍りつかせ、男は銃口を二人の間で行き来させた。

 流石に両手をあげて一歩だけ後退りする桜井と茅野だった。

「Don′t shoot」

 そう言って茅野は、両掌を男に向けて“落ち着け”のジェスチャーを繰り返す。

「We are riskless hikers.Just calm down,It′s fine」

 再び冷静に英語で語り掛けるが聞き入れた様子は見られない。

 男は銃を構えたまま、再び大声で叫んだ。

「これは、駄目ね」

 肩をすくめる茅野。

「どうする? 怪我してるみたいだけど……」

 と、眉間にしわを寄せる桜井。

「でも、銃刀法違反は犯罪だわ」

「なら、やるね」

 桜井が、そう言って一歩前に出る。

 男が舌打ちをして桜井の額に銃口を向け、コッキングしてトリガーを引いた。

 しかし、その前に桜井が男の右手首を下からかちあげる。

 直後に銃声が轟いた。ロビーの天井に穴が空き、木屑が舞う。

 そのまま桜井は男の右手首を捻り、拳銃を奪い取って床に落とした。そこから小手返しを決める。

 男の背中が床に叩きつけられた。桜井は拳銃を茅野の方に蹴飛ばす。

「ほい」

「ありがとう、梨沙さん」

 茅野がその拳銃を拾った。

 すると、再び地下の入り口から別な男が顔を見せる。

「おわっ! また出たよ」

 桜井が目を丸くする。

 二番目に現れた男は日本人だった。

 左腿からかなりの血を流しており、目つきも胡乱うろんで怪しい。

 そして、何より右手に提げた鶴嘴の尖端は血にまみれていた。

 それを見た桜井は呟く。

「この人も、やっていいやつだな……」

「梨沙さん、こっちは任せて」

 と、茅野が奪った拳銃を東南アジア系の男に突きつけながら言った。

 桜井は「がってん!」と言って、二番目の男に飛び掛かる。

 男は少しだけ面食らった様子だったが、鶴嘴を右腕一本で横に払う。

 その攻撃をかい潜り、懐に入り込む桜井。

 そのまま、必殺の腹パンである。

「おおお……」

 鉄塊が内臓をえぐったかのような衝撃に、男はたまらず両膝を突いた。

 その顔面に桜井の右の膝小僧がめり込む。

 男の意識は、そこで途切れたのだった。




「ふう……」

 と、桜井は右手の甲で額ににじんだ汗をぬぐう。

 二人の怪しい男をぶちのめしたあと結束バンドで拘束し、それぞれの怪我の応急手当ても行った。

「それじゃあ、怪我人もいる事だし、救急に連絡しましょう。梨沙さん、お願い」

「らじゃー」

 と、桜井は答えてネックストラップに吊るされたスマホを手に取る。一方の茅野は……。

「私は篠原さんに連絡しておくわ」

 篠原結羽に電話をかける。

 彼女は県警の警備部に所属し、近頃“あいつら担当官”にされてしまった悲運の刑事である。

 スリーコール目で通話が繋がった。

『はい』

 と、眠そうな声が受話口から聞こえる。どうやら、非番だったようである。

「篠原さんかしら? 茅野です」

『ちょっ、急に……』

 目が覚めた様子の篠原。茅野はそのまま一気に状況を説明する。

「たまたまハイキングしていたら、偶然、銃を持った東南アジア系の外国人と血塗れの鶴嘴を持った男を捕まえたのだけれど」

『えっ、何? は!?』

「場所は高洗町にある山林の空き家です。住所は……」

『いや、待ちなさ』

「と、言うわけで、対応よろしくお願いします」

『いや、だから』

 そこで、茅野は通話を終えた。

「これで、よしと……」

 桜井も救急への連絡を終えたようだった。

 因みに二人のスマホはマナーモードにされており、篠原からの折り返しの電話は無視する構えである。

「それじゃあ、誰かが来るまでの間、できるだけ探索を楽しみましょう」

「そだね」

「……まずは、この二人が出てきた地下室からね」

 と、二人はロビーにダーオルングと片山知己を転がしたまま、地下室へと向かった。




 ロビーから続く階段を降りて、ワインセラーを通り抜ける。

「今回のスポットは、かなりハードだねえ」

「そうね」

 と、二人はソムチャイとアーティットの死体を横目に梯子を登り、眩しさに顔をしかめながら中庭に這い出た。

 そして、その中庭の中央で立ち枯れようとしている樹を目にした茅野は、楽しそうにほくそ笑む。

「どうやら、すべての元凶は、この樹にあるようね。大人が四人で殺し合うくらいだから、ただの樹であるはずがないわ」

「調べてみる価値はありそうだよね」

 そう言って、桜井は檻のような中庭を見渡した。

 そうして二人は、救急や警察のサイレンの音が聞こえるまでの間、謎の樹の調査を楽しんだのだった。

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