【12】後日譚


 二〇二〇年八月十六日の夜だった。

 冷房の静かな唸り声。

 瓶詰めの焼酎に浮かぶまむしと、草むらの中で振り返る奇妙な猿の写真……。

 その棚に陳列された怪しげなコレクションに新しく加わったのは、ホルマリン漬けの黒くしおれた木乃伊ミイラであった。

『……また、とんでもないものを見つけてくれたみたいね』

 九尾の溜め息がイヤホン越しに聞こえてくる。

 そこは、鮮血のような赤を基調とした部屋だった。照明は緑がかっており、慣れない者ならば一分もしないうちに不穏な気分が込みあげてくる事だろう。

 そんな狂った空間で、茅野循はヘッドセットを被り、机の上のノートパソコンへと向き合っていた。

 画面に映し出されているのは、桜井梨沙と九尾天全である。

 もちろん、話題は先日の高洗町の一件についてだった。

 因みに九尾には既に、あの中庭にあった樹の写真を送りつけてあった。そして、首都圏外国人女性連続殺人事件との関連性も説明済みである。

『……んで、けっきょく、あの樹は何だったの?』

 その桜井の疑問に茅野が答える。

「あれは、“ワクワクの樹”ね。そうでしょう? 先生」

 九尾は『ええ』と頷き、桜井が首を傾げた。

『わくわくの……き……?』

「ワクワクの樹は、我々の業界では、マンドレイクやアルラウネ、スキタイの羊のような“未確認植物UMP”に分類されているわ」

『我々の業界て……』

 九尾が苦笑しながら、江戸切子につがれた冷酒を一気に飲み干した。銘柄は“夜明け前”の純米酒である。

 一方の桜井もフルーツ餡蜜あんみつを食べながら、質問を発した。 

『……で、それは、どんな樹な訳? やっぱり、普通じゃないんだよね?』

「ええ。それは、もちろん……」

 と、頷いて、茅野はたっぷりと甘くしたアイス珈琲をすする。

「あの樹は、人間と同じ姿をした果実をつけるというわ」

『人間と同じ!?』

「ええ。果実は人間ほどの大きさになり、熟して樹から落ちたあとは人間のように喋ったり動いたりするらしいわ。因みに性別は樹によって違って、男が“マカリーポン”そして、女は“ナリーポン”というらしいわ」

 続いて九尾が補足する。

『ただし、寿命は樹から落ちて一週間だけどね。そして、死ぬと黒ずんで小さくしおれてしまうんだけど、その萎れた木乃伊を欲深い者が土に埋めると、また芽が出ると言われているわ』

「これね」と、茅野が棚に飾ってあったホルマリン漬けをウェブカメラの前に掲げた。

 それを見た九尾は首肯する。

 因みに木乃伊はできる限り早く埋めないと腐れてしまい芽が出ない。茅野が持ち帰ったものや、あの中庭に落ちていた他の木乃伊も既に時間が経ちすぎて腐っていた。

『……そして、この実は死の直前に“ワクワク”と鳴き、その鳴き声を聞いた者は呪われて重度の意識混濁と記憶障害を引き起こす』

「ナリーポンを妻とした男が四ヶ月も意識を失っていたという逸話があるわね……」

 その茅野の言葉に桜井は目を白黒させる。

『四ヶ月!?』

『実際は、そこまで酷くはないらしいけどね。特殊な霊薬を飲めば防げるし』

 と、言って、九尾は肩をすくめた。

『じゃあ、Kって人は自分の家で、こっそりとあの樹を育てていたんだね。それを狙って、あの外人さんたちと、目付きのヤバい鶴嘴つるはしの人は、Kさんに不法侵入して、鉢合わせた。それで、殺し合っちゃったんだね』

 桜井がそう言って餡蜜の汁を、ずずず……と、啜った。

 すると、茅野が悪魔のように笑う。

「あれはインドの軍神であるインドラが、聖者の煩悩を試す為にヒマラヤの奥地で産み出したと言われる代物。つまりは神話クラスのお宝という事よ。殺し合いの原因になるには充分な代物ね」

『それだけじゃないわ……』

 と、九尾が言葉を続ける。

『……あの樹の飼い主は、みのった果実を好きにできる』

『好きに? つまり、エロ目的か……』と桜井。

『まあ、だいたい、そういう方向に行くけど……』

 そこで、茅野がウェブカメラに向かって右手の人差し指を立てた。

「つまり、Kも、あの樹を自らの欲望のけ口にしていたという事ね。それが今回の騒動や、嶽地聖夜の起こした事件の元凶となった」

『……どゆこと?』

「これは、片山知己の書籍などの情報を元にした私の想像に過ぎないのだけれど……」と、茅野は慎重に前置きをする。

 因みに、あの鶴嘴男が片山本人である事は、まだ二人も知らなかった。

「嶽地聖夜は逮捕後に犯行の動機について“人間で我慢しようと思ったから”と述べているわ。では、何の代わりに人間を殺していたのか……」

『まさか、循ちゃん……あの樹の実を?』

 その九尾の言葉に首を縦に動かす茅野。

「そうよ。高洗町にいた頃の・・・・・・・・嶽地聖夜は・・・・・ナリーポンを殺して・・・・・・・・・いた・・しかし・・・町を離れてしまい・・・・・・・・殺せなくなったから・・・・・・・・・人間を代わりに・・・・・・・狙った・・・。外国人ばかりが狙われたのは、恐らく被害者たちがナリーポンに似ていたからなのよ」

『何で、そんな事に……』

 唖然とした様子の九尾。

 そして、桜井が麦茶のグラスに口をつけてから問うた。

『あの樹の実を嶽地に殺させたのは、Kって人なんだよね?』

「そうよ。片山の書籍によれば、Kは何人もの女性に暴行をくわえていて、そんな自分を恐れているようだったとあったわ。Kはナリーポンを殺す事で、自らの女性への嗜虐欲求しぎゃくよっきゅうを晴らしていた。それと同じ事を嶽地聖夜にもやらせようとしたのよ」

『でも、ちょっと、待って……』と、九尾が眉間を揉みしだきながら、ウェブカメラに右手をかざした。

『嶽地は高洗町にいた頃は、まだ子供なのよね?』

「そうね。確か八歳だったはずよ」

『その頃から、嶽地は人を殺していたの?』

 この九尾の問いに茅野は首を振る。

「違うわ。でも、当時の嶽地には後に連続殺人鬼シリアルキラーとなりうる兆候ちょうこうが現れていた。両親に虐待され、自らも動物を虐待していた」

『そういう人が、全員人殺しになる訳じゃないだろうに……』

 桜井が眉をハの字にして言った。

「まったくもって、その通りよ、梨沙さん。そういった生い立ちでも真っ当に生きている人はいるわ。でも、Kはそう考えなかった。嶽地が人を殺すのを止めたかったのか、それとも、自分と同類かもしれない彼にシンパシーを感じたのか……彼がどういうつもりだったのかは、今となっては解らないけれど」

『何にせよ、結果的にKが彼を人殺しにしてしまったんだね?』

「そうね。それから、彼を引き取った義理の両親も重要なファクターとなっているわ。その義理の両親の下で、彼は常に行動をコントロールされ、成人してからも自由にできるお金を与えられていなかったと、片山の書籍にはあるわ。そのお陰で・・・・・高洗町に帰る事が・・・・・・・・彼にはできなかった・・・・・・・・・

『ああ……』と、九尾は得心する。

「嶽地は“義理の両親には感謝している”とインタビューで述べているわ。それは、たぶん、本心だったのでしょうね。だから、両親を殺して自由を得るより、ナリーポンと似た被害者を殺す事で我慢・・しようと考えた」

『何か、全部の歯車が上手く噛み合ってないね』

 桜井が何とも言えない表情で言った。その彼女の言葉に九尾は頷いて同意する。

 あの都内を震撼させた連続殺人事件は、嶽地聖夜を取り巻くすべての人間の思惑が悪い方向へと向かった結果なのかもしれない。そんな風に思えた。

「……そうして、元々の持ち主だったKが死に、嶽地が死んで、あの樹だけが残った」

『その負の遺産を狙って、外人さんと鶴嘴男がやって来たと』

「そうなるわね」

 と、茅野は話を結んだ。そこで九尾がぽつりと呟く。

『でも、もしかしたら、みんな、あの樹に誘われていたのかもしれないわ……』

「誘われていた?」

 眉をひそめる茅野。

『ワクワクの樹は、飼い主の欲望を糧にする。あの写真の樹は、もう枯れかけていたわ。だから、新たに欲望をそそいでくれる新しい飼い主を探していたのかも。殺し合いをさせて、より欲深い者を自らの飼い主にするつもりだった……とか』

 そう言って、九尾は江戸切子を飲み干して、鹿爪らしく言う。

『もしかすると、あなたたちも、あの樹に誘われて、あの場所に辿り着いたのかもしれない……』

『お、ホラーっぽいシメだね、センセ』

「そうね、けっこう好きよ。それ」

『いや、そういうのじゃないから! 真面目だから!』

 既に酔いが回ってきたらしい九尾は、赤ら顔で二人に突っ込んだ。


 ……後日、あの中庭にあったワクワクの樹は切り倒され、田中太夫の指示で適切に処分された。






(了)

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