【06】キレのない九尾


 桜井と茅野は田園を割って延びた道の先へと行く。すると、山の裾野に建ち並ぶ住宅街へと辿り着いた。

 この辺りは、あくまで町役場の周囲と比較してであるが、新しい区域のようだった。

 その住宅街の奥に、くだんの事件現場となった山林への入り口はあった。

 荒れ果てた砂利道が薄暗い雑木林の奥へと延びている。

 わだちは深く、道の真ん中には背の高い雑草が生い茂っていた。とても普通の車では走れない悪路である。

 おまけに途中、いくつかの分岐があり、まるで迷路の様相を呈している。

 桜井と茅野は、ネットの航空写真地図を見ながら目的地を目指した。

「……片山の書籍によれば、この辺りでは、三十六年前より以前から物騒な事件が起こっていたそうよ」

 と、前置きして、茅野は『Outside ~首都圏外国人女性連続殺人事件の真実~』に収録されていた『スナック・M』の元店主Sのインタビューのくだりを語る。

 そして話が一通り終わると、桜井は「ふうん……」と、いつものぼんやりとした相づちを打つ。

「馬込祥子さん殺害の容疑者とされた男……そのKという人物は、嶽地聖夜が死刑に処される一年前に死んだそうよ。享年は七十五歳だったらしいわ」

「死因は?」

「農道で車を運転中に脳卒中を起こしたみたい」

「うむむ……真実はやぶの中か」

 桜井は鹿爪らしい顔で両腕を組み合わせ、疑問をていする。

「……で、Kさんは、けっきょくシロなのかな? それともクロだったのかな……?」

「これは、今となっては、確かめようがないのだけれど……」

 と、茅野は慎重に前置きをする。

「……片山知己は本の中で、Kは非分泌型だったのではないかと推論を述べているわ」

 桜井が首を傾げる。

「ひぶんぴつ……がた?」

「体液や組織片などから本来の血液型を調べられない体質って事ね」

「そんなのあるんだ」

「一九七八年から一九九〇年までの間に五十二人を殺害した旧ソビエト連邦の連続殺人鬼シリアルキラー、アンドレイ・チカチーロも、この非分泌型だったと言われているわ」

「五十二人!?」

 桜井が目を白黒させる。

「それほど犠牲者が増えたのには、ソビエト民警による捜査体制の不味さなど、様々な要因があったと言われているけれど、チカチーロの体液が非分泌型であった点も、彼が十二年も野放しにされていた要因であったというわ」

「非分泌型、無敵じゃん」

 その桜井の言葉に茅野は右手の人差し指を横に振った。

「でも、いくら非分泌型であっても、DNA鑑定は誤魔化せない」

「DNAさん、無敵!」

「ただ三十六年前といったらまだ日本の犯罪捜査でDNA鑑定は導入されていなかった」

「そなんだ……じゃあ、Kが馬込さんを殺した犯人だった可能性は充分に考えられるって事だね?」

 この桜井の言葉に茅野は頷く。

「もちろん、これは片山知己の推測であって、彼が地元で噂されていたような人物であったかは解らないわ」

「そもそも、そのKって人は、どんな人な訳?」

 この疑問にも、茅野は片山の書籍の情報を元に答える。

「Kなる人物は、元々は東京の下町生まれで、若い頃は学生運動家だったらしいわ。かなり過激な活動をしていたようね。交際相手に対する傷害沙汰を起こしたのも、この頃だっていう話よ」

「へえ……やっぱ、かなり、やばい感じだったんだね」

「それで学生運動が下火となり始めた七〇年代初頭に、都心から移り住んできたらしいの。当時はこっちに親戚がいたみたいね。『元々、素封家そほうかの生まれらしくてお金には困っていなかったらしい』と本には書いてあったわ」

 そこで、前方の右手に生い茂る山紫陽花やまあじさいの中に埋もれた地蔵が見えてくる。

 茅野は、その地蔵を指差した。

「あそこよ、梨沙さん。あそこら辺で、馬込祥子さんは発見されたらしいわ」

「おーっ」

 と、言いながら、桜井はリュックの中からコンビニで買った紅白饅頭を取り出す。

「じゃあ、お参りしたあとに、写真を撮りまくって、全部、九尾先生に送りつけましょう」

「いいねえ」

 二人は饅頭をお供えして、地蔵の周辺を撮影しまくった。




 二〇一六年の春先。

 片山は志田深雪の紹介で、北方清十郎と懇意こんいにしていた者と会う事となった。

 そのいかにも堅気ではない風情の怪しい男の名前は、山本やまもとと言った。本名か否かも解らない。

 一応の肩書きは、ロシアや東南アジアにつてを持つ中古車ディーラーらしい。

 取り合えず、片山は山本を介して、北方を紹介してもらおうと試みる。

 彼とアポイントを取り、高洗町の隣の市のファミリーレストランで待ち合わせる。

 定型的な挨拶と自己紹介が済んで、早々に本題を切り出すと、山本は開口一番かいこういちばんに言った。

「やめた方がいいね。たぶん、無理だよ」

 理由を尋ねると、彼は以下のように述べた。

「元々、人嫌いだったけど三十六年前の事件から、ますます酷くなってね。今はよほどの事がない限り、表には出てこないよ」

 彼の住居は親族から相続した杉林の中にあり、その敷地の周囲は背の高いフェンスで囲まれているのだという。

 ときおり、フェンスの周囲を見回りに出歩く事もあるそうだが、基本的には敷地内から出る事はないらしい。

 因みにフェンスの門は常に閉ざされており、インターフォンなどはない。直接訪ねても大抵は無駄足に終わるらしい。

「……一応、北方さんに話を通してみるが期待はしない方がいい」

 と、山本は言った。

 最後に片山は、北方の人なりについて彼に尋ねた。

 すると、山本は声を潜めて、次のように述べた。

「歳を取ってから、ずいぶんと丸くはなったが、……女を虐げるのが趣味みたいな、頭のおかしいやつなんだよ。実際、表沙汰になっていないだけで、彼の犠牲者はかなりの数に昇る。俺も何人か知っている」

 片山はあの志田深雪から聞いた噂話を思い出して、はっとする。

「……ただ、そんな、自分を恐れてもいるようだった」

 そして、山本が右手の人差し指でこめかみを突っつき、にやりと笑った。

「あの人は、病気なんだよ」

 いずれにせよ、嶽地聖夜を語る上では、外す事ができない人物であるらしい。

 しかし、このあと、片山は北方を説得するのに大変な労力と時間を使う事になった。

 山本に協力してもらいつつ、自分でも手紙を書いたが、なかなか色好い返事はもらえなかった。

 そうして、なんとか取材の許可を得る事ができたのは、彼の存在を知ってから一年近くが経過した二〇一七年の冬の終わりだった。




 お参りと写真撮影を終え、大量の画像を九尾に送りつけた桜井と茅野は、沿道の木陰に腰をおろして休憩を取る事にした。

 しばし、桜井特製のタコライス弁当に舌鼓を打つ。

 そして、桜井が早々に食べ終わり、食後のデザートにと自分用に買っていた紅白饅頭に取り掛かろうとした、そのときだった。

 ネックストラップで桜井の首にぶら下がったスマホが鳴り、メッセージの着信を告げた。

 白い饅頭を片手で、もしゃもしゃやりながら画面を確認すると……。

「あ、九尾センセだ」

「先生は何と?」と茅野が聞き返すと、桜井が口の中の饅頭を飲み込んで文面を読みあげる。

「『もしかして、また変なところに行ってるの?』だってさ」

「疑問形なのが気になるわね……」

 と、思案顔を浮かべる茅野。

 桜井は素早く指を動かし、以下の文面を打ち込んで九尾に返信する。


 『何か見えた?』 


 すぐに次のような返事があった。


 『何もないけど、ほんの少しおかしな気配がする。近くに何かあるかも。いや・・あった・・・? 写真だけじゃ何とも言えないけど』


 そのメッセージを読みあげ、桜井は茅野と顔を見合わせる。

「循、これは……」

あった・・・? 今度は過去形ね」

「今日は九尾センセにしてはいまいちキレがない」

 その桜井の言葉に茅野は頷く。

「確かに今日は九尾先生にしては、ぼんやりした言い回しね」

「霊能力だけは一流なのに……」

 眉をハの字にする桜井だった。

「まあ、何にせよ、例のKさんの自宅へ行ってみましょう」

 そう言って、茅野はタコライス弁当を一気に口の中に掻き込み、甘ったるいカフェオレで流し込んだ。

「九尾センセを心配するのは、そのあとだね」

 桜井はそう言って、九尾に『どんまい、センセ』と返信して弁当箱を片付け始める。

 茅野も立ちあがり、地面におろしていたリュックを担ぎ、デジタル一眼カメラを肩にかけた。

 こうして、二人は九尾の『え? どういう意味!?』という返信を無視して、かつての北方清十郎の住居を目指したのだった。

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