【05】取材


 それは二〇一六年の事だった。

 まだ一連の取材を始めたばかりの頃、まず片山は嶽地の母親について掘りさげてみようと考えた。

 彼女の行った虐待が、のちの嶽地聖夜の人格形成に多大な影響を及ぼしたであろう事は、考えるまでもなかったからだ。

 片山は複数の関係者を当たり、丹念に長谷愛結の足跡を追った――



 嶽地聖夜の母親、長谷愛結は一九七三年三月四日、県庁所在地に生まれる。

 父親は地方公務員で母親は小学校教師だったのだという。

 愛結の少女時代は大人しく、どちらかといえば引っ込み思案であったらしい。

 同年代の友だちはおらず、中学を卒業するまでの彼女を覚えている者は、ほとんどいなかった。

 しかし、高校に入ってからの愛結は、その印象を一変させる。

 格好も派手になり、男に対して奔放ほんぽうになり始めたのだ。

 素行のよくない者たちとつるみ始め、学校を休みがちになった。これにより、何度も両親と衝突を繰り返していたらしい。

 それでも、どうにか高校を卒業し、実家を出て飲食店でアルバイトをし始めた。

 すると、その一年後に愛結は妊娠する。

 父親が誰であるかは、未だに解っていない。

 当時の愛結は、客や職場の同僚、高校時代の同級生など、複数の男性と肉体関係を持っていた。そして、その誰もが彼女のお腹の子供を認知しようとしなかった。

 当時の友人によれば、愛結は中絶も考えていたらしい。しかし、けっきょく彼女はシングルマザーになる道を選んだ。

 こうして、産まれてきたのが聖夜であったのだという。

 聖夜を出産後、愛結は経済的な事情から、しばらく実家に身を寄せていた。

 だが、そこでも両親と衝突を繰り返す。

 けっきょくは当時の交際相手だった十七歳の土木作業員と共に聖夜を連れて実家を出た。

 そうして、高洗町のアパートへと移り住み、間もなく町外れの『スナック・みゆき』で働き始める。

 しかし、一年も経たないうちに交際相手が他の女と共に行方をくらましてしまう。

 それから、ほどなくして客とのトラブルが原因で店を辞めて、以降は複数の男から援助を受けて生活していたようだ。

 この頃から、育児放棄や虐待が始まったらしい。




「……まあ、酷いもんだったよ。取っ替えひっ替えね……男を釣りあげるのだけは上手かったよ。身体つきは悪くなかったからね」

 そう言って、ショートホープの煙を盛大に噴射する老齢の痩せた女性が志田深雪である。

 当時の彼女は高荒町の外れにある『スナック・みゆき』店舗裏の平屋に住んでいた。

 その狭い畳敷きの居間で、座卓を挟んで向かい合う片山。

 縁側の網戸の向こうには、庭先の物干し竿で春風にそよぐ洗濯物が見えた。

「あの子も気の毒だよ……」

 当時を思い出したらしい志田は、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「……ここだけの話、あんなアバズレの元に生まれてこなければ、もっとマシな人生を送れていただろうさ」

 そう言って志田は、アルミの灰皿を手繰り寄せる。右手の人指し指に挟んだショートホープの灰を落とした。

「……でもね、逮捕されたって聞いたときは驚きゃしなかったけどね」

 彼女の話によれば、当初は聖夜に対して、手を差し伸べようとする者もいたらしい。

 しかし、次第に誰もが見て見ぬ振りをするようになっていったのだという。

「あの子は、あの子で、とんでもない子でね。悪知恵が働くっていうかさ」

「と、いうと?」

「近所の家に勝手に入って、冷蔵庫の食べ物や小銭を盗んだり、飼い猫や飼い犬に悪戯では済まない仕打ちをしたり……」

 明確な証拠が上がる事は少なかったが、住民は誰もが聖夜の仕業であると疑っていなかったのだという。

 愛結に訴える者もいたが、梨のつぶてであった。

 警察は警察で、子供の悪戯や地域住民間のいさかいであるとして、積極的な介入を行おうとしなかったのだという。

「……そんな事が繰り返されるうちに、誰も、あの子を相手にしなくなった。あの男以外・・・・・はね……」

「あの男……?」

 片山が首を傾げると、志田はぶわりと煙を吐き出して、その名前を口にした。

「北方だよ。北方清十郎」

 初めて聞く名前だった。

「その人は、どういった人物なのでしょうか?」

 すると、志田の眉間の縦しわが深まる。

「あいつも、鼻摘みものでさ……あっちの山の方に住んでいるんだけど……」

 そう言って、志田は山の方角に向かって顎をしゃくった。

「あの辺りは、山菜取りやハイキングにくる他所者よそものが多いけど、地元に昔からいる者は誰も近づかないんだよ」

「なぜです?」

 と、片山が理由を問うと、志田は暗い表情でショートホープを灰皿に押しつけた。

「そりゃ、あの北方が住んでいるからさ。あいつは“人さらい”だって、この辺りじゃ有名なんだよ。子供の頃は、両親からよく聞いたもんさ」

「人さらい?」

 志田は頷いて笑い、新しいショートホープをくわえた。

「聞いた話だと、あそこで行方不明になったり、他所から来た女が襲われたって噂もある。被害者が泣き寝入りして、表沙汰にはなっていないらしいけどね。全部、北方の仕業だって話だよ」

「それは、本当なんですか?」

「さてね。噂だよ。噂」

 そう言って、志田は自らの発言を笑い飛ばしたあと、神妙な表情になる。

「……ただ、アタシが二十歳ぐらいんときに、女の子の死体が見つかってね。だから、この高洗町でもっとも治安の悪い場所っていったら、あそこだよ。どこにでもある山ん中なのにさ……」

 肩を揺らして笑いながら、志田はショートホープの先に火をつけた。

「それが、その北方という男の仕業だと……?」

 片山の言葉に志田は頷いて、煙を吐いた。

「どうだかね。女の子の死体が見つかったときも、あいつが犯人だって町の誰もがそう思っていた。でも、なぜか捕まらなかったんだ。どうも犯人と北方の血液型が違うらしいんだけど……」

「なるほど」

 と、片山が相づちを打つと、志田はにやりとほくそ笑む。

「アタシは、たぶん北方には仲間がいると思っているんだけどね。共犯者さあ……」

「……で、その周辺では、他にもそういう事件が?」

「いや……あの祥子ちゃんの事件以降、何も起こっていないね……ずっと、今まで」

 それから、片山は馬込祥子の一件について知ってる事を教えてもらい、北方清十郎の住居の場所を聞いて、志田の元を辞した。

 その帰り際だった。

 玄関で不気味に笑いながら、志田は言った。

「あの男に会うのかい? 無駄だと思うけどねえ……」

 この言葉の意味を片山が知るのは、もう少しあとの事となった。

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