【07】北方清十郎


 片山知己が北方清十郎と初めて顔を合わせたのは、高洗町の隣の市にあるファミリーレストランだった。

 七十四歳という年齢の割りには矍鑠かくしゃくとしていたが、顔中に刻まれた深いしわは年相応に思えた。

 どこにでもいそうな元気な老人といった風体で、山本の話にあったような狂人には、とても見えなかった。

 ともあれ、先に緊張しながら待っていた片山に対して、北方は気さくな笑顔を浮かべた。

「……あなたがフリーライターの片山さん?」

「ええ、そうです」

 片山は立ちあがり、初対面の者同士が交わす定型的なやり取りを済ませた。腰をおろし、テーブルを挟んで向かい合う。

 それから、ほんの少しだけ雑談を交わすと、北方は湯気立つ珈琲をすすりながら、片山の質問に答える構えを取った。

 さっそく、嶽地聖夜の事を覚えているかどうかを問うと、北方は複雑な表情で頷く。

 彼との出会いは、北方が五十七歳の頃。二〇〇〇年の夏だったのだという。

 敷地を取り囲むフェンスが破損していないか見回りをしている最中に、林の中で仔猫を殺そうとしていた嶽地と出会い、慌てて止めに入ったらしい。

「それから、妙になつかれてしまってな……」

 そこで北方は懐かしそうに目を細めた。

 次に片山は、なぜ嶽地聖夜と関わろうと思ったのかを訊いた。

 すると、彼は皮肉めいた笑みを浮かべる。

「坊主が自分と同じ・・・・・だったからさ。あいつも、俺も鼻摘み者だった。あの田舎ではな……あんたも俺の噂は聞いているんだろう?」

「まあ、そうですね」と、片山があっさり認めると、彼は噴き出した。

「正直だな! あんた。気に入ったよ」

 そうして北方はしばらく笑い続け、ようやく落ち着いてくると、黒々とした珈琲カップをぼんやりと見つめながら口を開く。

「俺があの坊主をあんな風にしてしまったのだろうな。本当に世間様には申し訳ない事をした。死刑に処されるのは、あの坊主ではなく、俺の方であるべきだ」

 なぜ、そんな風に思うのかという質問に、北方はたっぷりと逡巡しゅんじゅんする。

 どうやら、言葉を慎重に選んでいるらしかった。

 けっきょく、彼は次のように答えた。

「俺は、あの坊主を救えなかった。犯罪者にしてしまった」

 嶽地の手紙に返事を書かなかった理由も、この辺りの罪悪感に起因しているのだと彼は語る。

「もう、俺は、あの坊主と関わる資格はない。やつを救えたのは俺だけだったのに……」

 そう言って、北山は悲しげな顔で黙り込む。

 しばらく、その状態が続いたあと、彼はおもむろに顔をあげた。

「なあ、片山さん」

「何です?」

「あんた、何で、あの坊主に興味を持った? なぜ、あの坊主の事を調べようと思った?」

 片山は大して迷う事もなく、この質問に答えた。

「殺人を犯した者の気持ちを知りたかったからです」

「そうか」

 と、言ったあと、北方は珈琲に口をつけてから言葉を続けた。

木乃伊ミイラ取りが木乃伊にならぬようにな……」

「はい?」

 意味が解らなかったので、片山は聞き返す。

 すると、北方は仄暗い微笑みを浮かべながら、首を横に振った。

「解らないなら、それでいい……」

 初回のインタビューは、これで終わった。

 のちに片山は、このときの北方の言葉の意味を身を以て知る事となる。



 二〇二〇年八月十五日。

 片山知己は、ジープによって破壊された扉の前に立ち、フェンスの向こうをのぞき込む。

 黒々とした薄暗い杉林。

 その木立の向こうに、門から続く道が左手へとカーブを描きながら延びている。

 ジープの突撃で止んでいた蝉の鳴き声が、いつの間にか周囲の生温い木陰を一杯に満たしていた。

 片山は生唾なまつばを飲み込み、ささくれた喉を湿らせた。

 あのジープに乗った三人組の男。

 明らかにまともではない。これ以上、関わり合いになるべきではない。常軌じょうきいっしている。

 しかし、求める答えは、このフェンスの向こうにある。

 片山は確信に近い思いを抱いていた。

 すべての真実は北方清十郎の元に今もある。

 あの初回のインタビュー以降、二度ほど北方とは顔を合わせる機会があった。

 彼は人嫌いで出不精でぶしょうだという山本の話とは違い、気さくに片山の呼び出しに応じて、幼少期の嶽地とのエピソードを語ってくれた。

 その際に、何度か北方の住居を訪問したいと頼んだ事があった。北方と幼い嶽地が過ごした空間を見ておきたかったのだ。しかし、いつも話をはぐらかされて、了承を得ることはできなかった。

 また山本に紹介された北方を知る者によれば、彼は馬込祥子の事件があったあとに、何度かタイへと渡っているそうだ。

 本人に確認したところ「観光がてら、知り合いに会いに」と事実である事を認めた。

 何でもバンコクに知人がいるのだという。

 本当かは解らなかった。

 しかし、片山には、この北方の渡秦とたいと、嶽地が外国人女性ばかりを狙った理由に繋がりがあるような気がしてならなかった。

 一つ大きく深呼吸をすると、深淵へと踏み入る覚悟を決める片山。

 マナーモードに設定するために、スマホを手に取った。

 すると、いつの間にかメッセージの着信があった事に気がつく。

 サティーからだった。

「またか……」

 片山の指が震える。

 その文面は……。



 『待ってる』



「何で……サティー」

 片山は大きく目を見開き、唇を戦慄わななかせた。

 彼女がメッセージを送って来れるはずがない。

 さっきの電話といい何かがおかしい。

 しかし、もう後戻りはできない。

 片山はスマホの電源を落とし、再びカーゴパンツのポケットにしまうと、壊された門扉を踏みつけて境界をまたいだのだった。

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