【12】思わぬ影響


 茅野循は自宅に帰り、シャワーを浴びて自室に戻ると、九尾に自らの行おうとしている方法について、安全性を確認するためにメッセージを打った。

 しかし、返事はすぐに返って来ない。どうやら、寝てしまったらしく既読もつかない。既に日付は変わっており、八月十日となっていた。

 仕方がないので、自室で例のキズダメ盗作問題の検証に取り掛かる。

 まず茅野は『キズダメ』の作者が、どこでこの杉川の作品と出会ったのかを調べようと考えた。

 そして、ネットで彼に関しての情報を集めるうちに、あるウェブマガジンのインタビュー記事を見つける。

 そこで、てらいしゅうたはこんな発言をしていた。



 ――デビューの切っ掛けを教えてください。


 てらい『この作品は、僕がブログでひっそりと連載していたんですが、そのブログサービスが閉鎖される事になって、それで、どうせならばと、FW文庫大賞に応募したのが切っ掛けですね。ダメ元の記念応募というやつで、まさか、このときは大賞に選ばれるとは思いませんでした(笑)』



 ちなみに、これは、てらいがFW文庫大賞を受賞してから三ヶ月後の『キズダメ』一巻発売直後に行われたインタビューらしい。

 ここで、茅野は、杉川のハードディスクのコピーを確認した。

 すると、彼はあるブログ制作サービスのアカウントを所持しており、そのサービスが閉鎖された直後のFW文庫大賞で『キズダメ』が大賞を受賞している事が解った。

 茅野は、もしも杉川が生きていて、名乗りをあげたらどうするつもりだったのかと盛大に呆れた。

 しかし、後ろめたい部分を心に秘めた人間は、吐かなくてもよい嘘を平気で吐いてしまうものである。

 彼も盗作がバレてしまわないか、常日頃つねひごろから戦々恐々せんせんきょうきょうとしていたのだろう。これは、客観的に見れば悪手であるが、本人にしてみれば疑われたときの予防線のつもりだったのだ。

 実際、『キズダメ』一巻の発売後には匿名掲示板などで『この作品をどこかで読んだ事がある』といった指摘が少数ながらもあったようだ。

 しかし、こうした作品にありがちな“何でもかんでもパクリ呼ばわりするアンチレス”に紛れ、上記のインタビューもあり、その辺りの話題が大きく広がる事はなかった。

 そして、パクられ元の杉川の作品を知っている人間が極めて少なかった事、更に杉川本人が既に死んでおり、彼自身が声をあげなかった事……この二つの要因から、例のウェブマガジンにおける、てらいの発言をまともに検証しようというものは現れなかったようだ。

 結果的に彼の悪手は、最善手として最大限の効果をあげてしまう。

 そして、茅野が『キズダメ』二巻のパクリ検証に移ろうとしたところで、カーテンの隙間から朝日が射し込んでいる事に気がつき、茅野はベッドに横たわる。

 四時間ほど眠って起きると、九尾から昨晩の返信が届いていた。

 いわく『誰かが死ぬ事はまずないが、思いもよらないところで変な影響が出る可能性は充分にある』との事らしい。

 人死にが出ないなら、構いはしないだろう。

 これは、写経漬けの橘を救うだけではなく、未だに現世に留まり続けている杉川にとっての救いにもなるはずだからだ。

 やる価値は充分にある。

 もちろん、そんな事より単に面白そうだからという動機の方が強いのだが。

 ともあれ、茅野は当初の予定通りの作戦を決行する事にした。

 朝食を取ってから、ある物・・・の製作に取りかかった。





 八月十二日の昼過ぎであった。

 都内某所の家賃七万円の小綺麗なアパートのリビングだった。

 布張りのソファーに座り、座卓の上のノートパソコンへと向かって、スマホを耳に当てるのはFW文庫編集者の黒峰徹である。

 ただ今、彼は、コロナ禍による在宅ワークの真っ最中であった。

「……あー、という事で、続刊は不可能になりましたんで、また、頑張りましょーよ」

 電話相手が何やら悲痛な声をあげている。しかし、黒峰に相手の話を聞いている様子はまったくない。

 その口許はヘラヘラとしまりのない笑顔が浮かんでおり、とうてい仕事の電話をしているようには見えなかった。

「あ、プロットとか送ってこなくていいんで。あ、すいませーん。あ、他の仕事が忙しくて。あ、すいませーん」

 電話相手が語気を強める。しかし、黒峰の態度は変わらない。

「……んじゃ、また、なろうで十万ポイントぐらい取ったら連絡しまーす。はーい、失礼しまーす……切りまーす」

 相手はまだ何か言っていたが、強引に通話を終える。

 このように、売れない作家への黒峰の対応は物凄く粗雑そざつなものだった。

 スマホを耳から離して、疲れた様子で溜め息を吐く。

「……こいつも駄目か。使えねーな。本当に」

 苦々しい顔で舌打ちをする。

 黒峰は焦っていた。

 彼が担当した作品で、まともに売れているのは『キズダメ』ぐらいで他は見事なまでの全滅だった。

 そして、その『キズダメ』も十二巻の出来が悪いとネットの評価は散々で、刊行も一年半近く止まったままだ。

 今、編集部での黒峰の立場は、まさに針のむしろである。

 もちろん、こうなった原因は、彼の怠慢たいまんと、見る目のなさである事は言うまでもない。

「くっそ……てらいのやつの調子が戻ればなあ……」

 そこで、おもむろに電話が鳴る。

「ちっ」と舌打ちをして画面を見ると、噂をすれば何とやらで、てらいしゅうたこと寺井秀太からだった。

 この壊れかけのポンコツのせいで……黒峰は大して期待せずに、電話ボタンを押してスマホを耳に当てる。

「はいはい。先生、どうしました?」

 と、言い終わる前に受話口より、興奮した様子の寺井の声が響き渡った。

「黒峰さん、聞いてくれッ!」

「え……何ですか?」

 いつにない寺井のテンションに、引き気味の黒峰。

 しかし、それを寺井は気にした様子もなく、大声で捲し立てる。

「ついに『キズダメ』の十三巻のプロットを思いついたんだよッ!」

 黒峰の死んだ魚のようだった瞳が、みるみる間に瑞々しさを取り戻す。

「本当ですか!」

「ああ、本当だとも……本当だよッ! これなら十二巻で受けた不評を充分に取り戻せるッ! 会心のアイディアなんだよッ!」

「おお……」

 長かった。

 黒峰はあの十二巻発売以降の地獄のような日々の記憶を噛み締める。

 ネットでも叩かれたし、身内である上司からも編集者としての能力を疑われ、精神的に辛かった。

 もちろん、自業自得であるのだが……。

 それはさておき、黒峰は気になった。

 あの十二巻は、はっきり言って糞だ。

 あの失敗を帳消しにできるようなアイディアなど並大抵ではない。

 恐る恐る寺井に尋ねた。

「……で、先生。具体的にはどうするつもりですか? 十三巻は……」

 すると、その黒峰の問いに、彼は「ふっふっふ……」と不気味にほくそ笑んで答えた。


「黒峰さん、あのヒロイン・・・・・・殺そう・・・


 脳の働きがついていかず、彼の言葉を理解するのが遅れた。

「あの、どういう意味です?」

 聞き返すと、寺井は確信に満ちた口調で答える。

「だから、ヒロインの阿僧祇なゆを殺すんですよ!」

 晴れやかな声。

 一方の黒峰は声を震わせる。

「ど、どうして……そんな……」

「簡単ですよ!」

 寺井は自信に満ち溢れた調子で己の考えを述べる。

「あのヒロイン、『ビッチ』とか『キチガイ』とか、十二巻で散々叩かれて人気がなくなったじゃないですか。だから、殺すんですよ!」

 それは、あんたが十二巻で、ぽっと出の男に惚れさせたからだろう……と、突っ込みたいのを堪えて、彼の話に一応は耳を傾ける。

「殺して、新しいヒロインを登場させる……これですよ!」

 駄目に決まっている。

 いくら仕事が適当で、見る目のない黒峰であっても、それは理解できた。

 ヒロインが急に他の男に惚れて、次の巻で急に何の伏線もなく死んで、新しいぽっと出のキャラが代わりにヒロインになる……そんな糞みたいな展開で読者が納得する訳がない。

 どーして、そうなった……意味が解らない……。

「難病とかって事にして死なせれば、きっと読者は感動しますよ! みんな、そういうのが好きじゃないですか!」

「はあ……」

 と、黒峰は生返事をしながら心の中で、こいつはもう駄目だな……と、見切りをつけるのだった。


「何が、ヒロインを殺そうだよ。アホか……」


 このときは・・・・・そう思っていた・・・・・・・

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