【13】後日譚


 それは、八月十三日の朝十時頃だった。

 県庁所在地のファミリーレストランで桜井、茅野、西木がテーブルを囲んでいた。

 三人の隣の席では渋谷が写経から解放された橘と一緒に、二人の世界に入り込んでいた。

 どうやら、この一件が始まる前より二人の仲は親密になったようだ。

 その様子を横目で見てから、西木は茅野に問う。

「……で、茅野っち。今回は何をしたの?」

 茅野循があらゆる意味で並大抵ではない事はよく知っていた。

 しかし、それでもできる事と、できない事はとうぜんある。

 彼女には憑依ひょういした霊を何とかできる力などなかったはずだ。

 では、いったいどうやって、渋谷に取り憑いた杉川の霊をはらったのか。

 西木のその疑問に、茅野はたっぷりと甘くしたアイス珈琲をすすってから、スマホを手に取って指を這わせる。

「これよ……」

 画面を西木に見せた。それを目にした彼女は、思わず眉間に深いしわを刻む。

 それは男女が二人並んだ絵であった。

 男は紋付もんつ羽織はおはかま。女の方は白無垢しろむくであった。

 一見すると神前式の新郎と新婦を描いたイラストに見える。

 しかし、新郎の顔だけが実写を合成したものであった。

 まだ十代とおぼしき朴訥 ぼくとつそうな少年が満面の笑みを浮かべている。

 そして、白無垢姿の女の顔も、どうやら実写ではないが、何かのアニメキャラの合成のようだ。

 背景はなく、二人の頭上には『奉納ほうのう』と達筆な文字が書かれていた。その下部には『新郎・杉川正嗣』と『新婦・白鴉まどか』とある。

 更に画面の隅には、杉川の没年が記されている。

「これ……何?」

 と、西木が目線をあげて問うと、茅野の隣で朝っぱらからカツカレーをもしゃもしゃ頬張っていた桜井が、おもむろに口を開いた。

「“ムサカリ絵馬”って言うらしいよ」

「ムサカリ絵馬……?」

 西木には聞き馴染みのない言葉だった。

 茅野が解説を始める。

「ムサカリ絵馬というのは、 山形県の村山地方や、置賜おきたま地方にかけて行われている風習で、未婚のまま死んだ故人と、架空の花嫁の姿を絵馬にしたためて供養する冥婚めいこんの一種ね」

「冥婚?」

 西木は首を傾げる。

「未婚のままの死者に婚礼をあげさせて、あの世に送り出してあげる儀式の事よ」

「これ、茅野っちが作ったの?」

「ええ。新郎の顔に使った写真は杉川さんが、中学生くらいの頃のものだと思うわ……」

 素材は杉川邸に侵入したときにアルバムから拝借した。

「そして、新婦の顔は『キズダメ』のヒロインの阿僧祇なゆよ」

 そして、紋付き羽織り袴と白無垢の身体は、ネットで適当に拾った画像を使用した。

「こんな合成みたいなので大丈夫なものなの? そういうのって……」

「ムサカリ絵馬は基本的に専門の絵師が描く事も多いそうなのだけれど、昨今では、こうした合成写真を使ったものもたくさんあるらしいわ」

 そこで桜井が「儀式にも近代化の波だねえ……」と言って、真剣な表情でメニューを広げた。既にカツカレーは平らげたようだった。

「……兎も角、絵馬の方は、山形にある九尾先生の知り合いのお寺に郵送して、ちゃんと供養してもらったわ」

「まあ、実際に効果はあったんだよね……」

 と、苦笑しながら、いい雰囲気で語り合う渋谷と橘の方へと目線を向けた。

 二人はソーシャルディスタンスこそ保ってはいたが、それがなければ今にもひっついてしまいそうな勢いがあった。

 ともあれ、茅野が話を続ける。

「因みにムサカリ絵馬には“生きている人間を描いてはいけない”という禁忌きんきがあるわ」

「えっ、何で?」

 と、西木が尋ねると、桜井の呼び出した店員がやってきた。

 桜井はプリンアラモードを頼み始める。

 店員が立ち去ってから、茅野が禁忌の理由について述べる。

それは・・・絵馬に描かれた・・・・・・生者が死者に・・・・・・連れていかれて・・・・・・・しまう・・・からよ・・・

「ああ」

 と、納得する西木。茅野が右手の人差し指を立てて続ける。

「つまり、それだけ霊的な影響が強い儀式だという事ね」

 そこで桜井が、お冷やをクビリと飲んで言った。

「……そのお陰で、杉川さんも理想のヒロインと結ばれて、めでたし、めでたしって訳だね」

「でもさー……」と西木。

 まだ、どうにもに落ちない事があった。

「彼女と結ばれて成仏したっていう事は盗作の方は、どうでもいいって事なのかな? 心残りではなかった?」

 杉川の小説が盗作されていた事は、既に二人に聞かされていた。

 その西木の疑問に茅野は意味深な笑みを浮かべて肩をすくめる。

「さあ、それは、どうかしら?」

「九尾先生によれば、杉川さんの霊は元々、生前に自分と所縁ゆかりの深かった場所にわずかな影響を与えられる程度の力しかなかったらしいわ。でも、そのうちの一つである下駄箱に、理想のヒロインを思わせる渋谷円香が触れた事で、徐々に強力な霊へと覚醒していった」

「愛のパワーだね」

 と、桜井がどうでもよさそうに言った。

「……だから、当初は何とかしたくても、できなかったのではないかしら?」

「もしかして、茅野っちたちに、その辺りをたくしたとか……」

 西木の言葉に茅野は、ゆっくりと首を振る。

「解らないわ。解らないけど、もちろん、盗作の件はしっかりと追求してあげるつもりよ」

 そう言って、茅野は悪魔のように笑う。

「ただ、どういう形で、この事実を明るみにすればいいか、ちょっと迷っているのよ」

「いや、警察とかに言えば何とかなるんじゃないの? それか、こういうのは……特許庁とか? よく解らないけど……」

 そこで桜井が鹿爪らしい顔で口を開いた。

「いや、そういう風にちゃんと通報しちゃうと、あたしたちが杉川さんの家から持ってきた証拠の出所はどこだっていう事になって、ややこしい話になる」

「少なくとも私たちが、色々と怒られる・・・・可能性は高いわ」

 その茅野の言葉を受けて、西木は「ああ……」と、苦笑する。

 桜井と茅野が、杉川宅から持ち出したUSBの中にある彼の小説があれば、『キズダメ』の盗作を証明する事は容易たやすい。

 しかし、それを入手した方法に違法性がある事が不都合となる可能性もあった。

 因みに警察関係者である篠原結羽を頼る事も考えたが、怒られるのが面倒臭かったのでやめた。

「何にせよ、あの小説の権利を相続しているはずの杉川さんの遺族から訴えてもらった方が筋は通るのだけれど……」

 あの朝日野町の杉川邸の登記簿を見ても連絡先の変更はなく、引っ越したあとの杉川の両親の足取りは掴めていない。

 そのヒントはかなり乏しく、さしもの茅野とはいえ手を焼いていた。

「まあ最悪、匿名で通報でもよいのだけれど、万全を期すためにも、遺族の承諾は上手い具合に得ておきたいわ。だから、盗作の事をおおやけにするには、もう少し時間が掛かりそうなの」

「そっか……」

 と、西木は、この二人の獲物となってしまった盗作作家を心の中で哀れんだ。

 そこでプリンアラモードが運ばれてきて、一時的に話が中断される。

 桜井が相好を崩し、スプーンでプリンのてっぺんから生クリームごとすくいあげる。

 その直後、ふと動きを止めた。

「どうしたのかしら? 梨沙さん」

「いや……」

 と、桜井は西木と茅野の顔を見渡し、ぽつりと言った。


「今、思ったんだけど、あのムサカリ絵馬に使ったアニメのヒロイン……死んだりしないかな?」


 茅野は西木と顔を見合わせる。

 そして吹き出す。

「まさか。というか、アニメキャラがムサカリ絵馬の影響で? ヒロインは急に死んだりしないわ」

 因みにアニメの声優やイラストレーターなどの関係者に危険が及ばないかどうかは、九尾に確認済みであった。

「だよね。あはは……」

 桜井は自らの発言を笑い飛ばして、プリンアラモードに取り掛かった。




 八月十四日の十八時頃。

「いやっははは……先生! 先生は天才ですよぉ!」

 自宅リビングの布張りのソファーに座り、黒峰は右耳にスマホを当てて豪快に笑う。

 電話の相手は、てらいしゅうたこと寺井秀太であった。

 黒峰は上機嫌な様子で続ける。

「“キズダメ”の十三巻は、あれで行きましょう! この前、先生が電話でおっしゃっていた……」


 ヒロインを殺す。


 黒峰は、そのアイディアを初めに聞いたとき“ついにこいつ頭がイカれたか”と思ったものだった。

 しかし・・・なぜか時間が・・・・・・経つにつれて・・・・・・そうする事が・・・・・・必然であるかのように・・・・・・・・・・思えてきた・・・・・

 今ではもう、その展開こそが絶対唯一の最適解であるとしか思えなくなっていた。

「これは、覇権ですよ! 確実にいけますって!」

 そう思ったらいても立ってもいられなかった。

 すぐに寺井に折り返し電話をして、このアイディアを聞いたときの素っ気ない態度を詫びた。

「先生の作品が、この暗黒時代を生きる人々の心に光明をもたらすのです! あ、もうイラストの方のスケジュールは押さえてありますので!」

 受話口の向こうの寺井は、黒峰のテンションに引き気味であった。困惑した様子の彼の返事が微かに漏れ聞こえてくる。

「それで、執筆の方はどうです? 調子は。どれくらいであげられます?」

 黒峰は「うん、うん……」と相槌を繰り返す。

半月はんつき? 速いですね。もっと、余裕を見ても……え……大丈夫? 絶好調ですね! じゃあ、それで。取り敢えず、こちらで、それに合わせてスケジュール組みますので……」

 そして、黒峰は力強く断言する。


「これは、伝説の幕開けですよ、先生!」


 この会話の一週間後だった。

 出版社のホームページにて『傷だらけの俺を甘やかすだけの堕女神ちゃん』十三巻が十二月に刊行予定である事が告知される。

 しかし、黒峰と寺井は知らなかった。

 その十三巻が前巻以上に叩かれ、炎上という言葉では生温い地獄の業火にさらされる事など……。

 そして、あえて・・・十三巻の発売・・・・・・まで待って・・・・・茅野が投下した燃料・・により、その業火は核爆発級の熱量を持ってコンテンツを焼き尽くしてしまう事など……。


 結果、黒峰徹は出版社を首になり『傷だらけの俺を甘やかすだけの堕女神ちゃん』および作者のてらいしゅうたの名は、ライトノベル業界の伝説として語り継がれる事となった。






(了)

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