【06】みなしのビルディングにて


 照明は薄暗く落ちていた。

 楕円形だえんけいのテーブルには、パーティ用の大皿やドリンクのグラスが並んでいる。モニターには、有名なアーティストの新曲紹介が流れていた。スピーカーのボリュームのつまみは最大になっている。

 そこは、みなしのビルディング三階のカラオケ『サフラン』ルーム07。

 その室内は惨憺さんたんたる有り様であった。

 ソファーや床に顔を押さえてもだえ苦しむ三人の男女が転がっている。それを冷酷な表情で見渡すのは桐場秋人であった。

 彼の右手には、防犯用の催涙さいるいスプレーが握られていた。

 そのスプレー缶を床に投げ捨てると、桐場は担いでいた大きなリュックをテーブルに乗せた。がちゃりと皿や食器が音を立て、中身の入っていたグラスがいくつか倒れた。

 しかし、彼はお構いなしに、リュックの中から大振りのバールを取り出す。

 そして、再び怨嗟えんさこもった目で、悶える三人を見渡し、彼らの頭部へとバールを振りおろしていった。

 悲鳴と湿った打撃音はスピーカーから流れる人気アーティストの新曲にかき消される。

 やがて三人の動きがおとなしくなると、桐場はリュックから携行缶けいこうかんを取り出して、その中身を室内に撒き始めた。

 立ち込める刺激臭。桐場も何度かむせ返る。

 そして中身が空になった携行缶を思いきりモニターに投げつけた。

 がしゃんと、けたたましい金属音が鳴る。

 すると、その瞬間、部屋の扉が開いて、黒縁眼鏡の男が顔をのぞかせた。

「おーい。盛りあがってる!? うっ。何この臭い……」

 室内の惨状を目の当たりにした彼は、口元を右手で覆いながら真顔になり、大きく目を見開いた。

 同時にモニターの横で佇んでいた桐場は満面の笑みで、黒いコートのポケットから取り出したオイルライターを点火した。




 【六月】は城塞都市フールの城門を潜ると、石造りの町中を進む。

 通りには人の群れが行き交っていたが、すべてNPCであった。プレイヤーキャラクターは【六月】のみである。

「桐場は遅れて会場に現れたらしいわ。応対した店員の証言によれば背中には、大きなリュックを背負っていたそうよ」

「その中に携行缶が?」

 桜井の言葉に茅野は頷く。

「それだけじゃないわ。のちに焼け跡から、催涙スプレーの缶と大きなバールが発見された。死亡していた三人の頭部には、打撲痕が見られたそうよ」

「うへえ」

 桜井が顔をしかめる。

 そして、画面の中の【六月】が、城塞都市フールの裏通りの一角に差しかかったときだった。

 茅野は大きく目を見開いて驚愕きょうがくをあらわにした。

 桜井も、一目でその異変に気がつく。

「循、これって……」

「ええ、梨沙さん。間違いないわ」

 【六月】の立つ場所は、本来ならば『火吹き山連合』のギルドホーム『酔いどれ火竜亭』の玄関があるはずだった。

 しかし、そこには茅野がよく知っている石造りの中世風の酒場ではなく、四角い五階建ての雑居ビルであった。

 その入り口の上部には金色の文字で『みなしのビルディング』と記してある。

「面白くなってきたじゃない……」

 そう言って、茅野は【六月】を動かし『みなしのビルディング』の入り口を潜り抜けた。

 内装はかなり細かい。二人とも現地にいった事がある訳ではなかったが、再現度はかなり高いのではないかと予想させられた。

 それはさておき、茅野は【六月】を右手のエレベーターの前に立たせる。すると扉が開いたので【六月】を中に進めた。画面に階数表示の選択肢が現れた。

 茅野は画面上のカーソルを『3F』に合わせる。

 【六月】を乗せたエレベーターが上昇して止まる。扉が開いたので【六月】を外へと動かした。

 すると、そこにあったのは、よくあるカラオケ店のフロントスペースだった。カウンターや奥に延びた廊下。その両側にはたくさんの扉が並んでいる。店員や客の姿はない。

 茅野はそのまま【六月】をルーム07の前まで移動させる。

「それじゃあ、行くわよ?」

 茅野が画面を見つめたまま言った。桜井も視線を動かさず緊張した面持ちで頷く。

「鬼が出ても……蛇が出ても……腹パンチ」

 その言葉のあとに【六月】は、ルーム07へと足を踏み入れた。




 犬の吠え声が、外から聞こえ始めた。 

 しかし、画面の向こうでは、ドワーフの楽団たちが軽やかにリュートやバクパイプを奏でていた。その近くで獣人族の軽業師が巧みなジャグリングを披露し始める。

 そしてフロア全体を見渡せば、様々な種族のNPCたちが円卓に着いて酒を酌み交わしていた。

 そこはカラオケ店の客室などではなく、よくあるファンタジーの酒場といった場所だった。

「どゆこと……?」

 桜井が画面を見つめながら首を傾げた。

「ここは『酔いどれ火竜亭』みたいね。懐かしいわ」

 と、目を細めて、茅野はフロア中央の円卓へと向かう。

 そこには、赤髪の盗賊と、黒髭のドワーフ、司祭冠をかぶったエルフのキャラクターたちが席に着いていた。

 画面に『このチャットに参加しますか? Yes/No』の選択肢が現れる。

「もしかして、この三人って……」

「そうよ、梨沙さん。彼らが私の所属していた虎猫遊撃隊のメンバーよ」

「噂は本当だったんだね」

「ええ」

 茅野は『Yes』にカーソルを合わせた。

 すると……。



 ※六月さんがチャットに参加しました。



 b/head『久し振り。六月ちゃん』


 セント・ジョージ『いつぶりだっけ?』


 カエデ『来てくれると思っていたわ』 



 などと、チャットログが表示される。

「黒騎士アレスがいないわ」

 茅野はキーボードをカタカタと叩く。



 六月『お久し振りです。みなさん』


 六月『黒騎士アレスがいないようですが』


 b/head『アレスは君のところに向かったよ』


 セント・ジョージ『ここにいる六月の君じゃなくて、君のね』



 そのログを見た桜井と茅野は顔を見合わせた。

 向かいの家の犬は未だに吠え続けている。


 b/head『あいつは、あの日以来、ずっと黒騎士アレスをやったままだ』


 セント・ジョージ『このゲームに囚われ続けている。そして俺たちも彼の妄執もうしゅうに縛られている』


 カエデ『彼に現実を見せてあげて。賢い貴女ならできるはず』


 b/head『俺たちを解き放って欲しい』


 セント・ジョージ『お願いだ』


 カエデ『助けて』



 すると、次の瞬間だった。

 画面上部に『メッセージが届きました』の文字が流れる。

 茅野はマウスを動かしてメッセージウインドを開いた。

 すると、そこには……。



 【送信者】黒騎士アレス


 『来たよ、六月』


 From:フジミシ



 それを見た桜井と茅野は息を飲んで顔を見合わせ、当然のごとく爆笑した。

「さあ、盛りあがって参りました」

 桜井が左掌に右拳を、ぱしん、と打ちつけた。

「サービス終了後も、ここまで楽しませてくれるなんて、クソゲーどころか最高のゲームよ。これ」

 茅野もご満悦だった。

 すると、犬の鳴き声をかき消すように、茅野邸の玄関の方から激しい物音が聞こえ始める。

 それは玄関のドアノブを外から強く揺する音だった。

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