【13】誰も信じない



 『実戦で最強は?』


 よくインターネットや酒の席で繰り返し議論されるそれらの命題が、本当の実戦において何の意味もなさないという事を茅野は思い知る。

 いわく、あの格闘技が最強だ。

 曰く、あの選手が最強だ。

 曰く、あの動物が最強だ。

 女は男に勝てない。子供は大人に勝てない。老人は若者に勝てない。結局、勝つのはウェイトの重い方だ、リーチの長い方だ……。

 それらは、おおむね正しい。

 しかし、正解ではない。

 実戦は競技のように、ヨーイドンで始まる訳ではない。

 対峙する者それぞれで勝利条件や目的も異なる。

 場所や状況も一定ではない。

 当然ながら決まったルールすらない。

 それらの不確定要素次第で結果は如何様いかようにも変わる。それが実戦である。

 身長一メートルと半分の女子高生が、平均的な日本猿の三倍を越える体躯の化け物を踏み殺した。

 何の冗談だ……誰しもが鼻で笑う事だろう。

 しかし、茅野循は、その一部始終を目にしてしまった。

 そして、カメラが破壊されてしまった事を猛烈に悔やんでいた。

「……梨沙さん、私は今日、貴女から実戦の本質というものを学ばさせてもらったわ。素晴らしい戦いぶりだった」

「それは、どうも」

 と、桜井は、茅野の惜しみない称賛に対して、やぶの中に沈んだまま動かない猿を見おろしながら答える。

 そして、その毛むくじゃらの身体を持ちあげ、縁側の上に乗せた。

「そんな事より、記念写真、撮ってよ」

 まるで、観光スポットを訪れたときのような言いぐさである。

「そうね。この伝説を後世に伝えなきゃ……」

 と、リュックの中からスマホを取り出そうとする茅野。なおも興奮冷めやらぬ様子で捲し立てる。

「きっと、ともえ板額はんがくとは、梨沙さんのような女性だったに違いないわ!」

「そんな、大袈裟な」と、苦笑する桜井。

 すると、次の瞬間だった。

 縁側に転がっていた猿の上半身が跳ねあがる。

「ぬおわっ! びっくりした……」

 桜井が驚いて仰け反る。

「まだ生きてる!」

 茅野も飛び退いて、ペッパースプレーを構えた。

 猿は折れた首を揺らし、きいきい……と弱々しく鳴きながら、縁側から飛び降りる。

 そそくさと隈笹くまざさの藪の中を四つん這いで駆けて、山毛欅ぶなの木の横を通り過ぎ、一回だけ立ちあがると二人の方を振り返る。

 その姿を二人は何食わぬ表情で、ぱしゃぱしゃとスマホで撮影していた。

 すると、猿は負け惜しみのような声で「きぃ」と鳴いて、蔵の裏手にある山林の向こうへと姿を消した。

「逃げた……」

「逃げたわね……」

 桜井と茅野は、何とも言えない表情で顔を見合わせた。

「首をへし折っても、死なないという事は、まともな猿じゃないね」

「これは、九尾先生案件かしら?」

「でも、霊ではないみたい……」

 と、桜井がスマホに指をはわせる。

「写真にちゃんと、写っている」

「取り合えず、生存者を連れてキャンプ場まで戻りましょう。もう少し村を探索したかったけど、これ以上は流石に危険よ。猿があの一匹とは限らないし」

「そだね」

 二人は蔵の方へと向かった。




「いったい、何なの?」

 柊明日菜は戸惑っていた。

 サークルメンバーたちの狂気……大猿による殺戮さつりく……そして、その大猿をいとも容易く撃退してみせた謎の二人組の少女。

 情報量が多すぎて頭がついていかない。

 もう恐怖心などというものは彼方へと吹き飛んでしまった。

 どんどん……と、蔵の玄関の裏白戸うらしろどが打ち鳴らされた。

「ごめんくださーい」

 気の抜けた声が聞こえる。まるで、友だちの家に遊びに来たときのような……。

 取り合えず、敵意はなさそうだ。

 柊は階段口を塞いでいたバリケードをどかし始める。

 すると、再び戸が打ち鳴らされ「私たちは怪しい者ではないわ」という声がした。

 いや、怪しいだろ……心の中で突っ込んでから、いったん玄関上部の窓際まで向かう。そして、大声で叫んだ。

「今、階段を塞いでいるバリケードをどかすから、ちょっと待ってて!」

「了解よ!」

 ひさしの下から黒髪の少女が顔を出し、両手を振って叫んだ。

 そのあとで、もう一人の小柄な少女の声が聞こえる。

「もう、めんどくさいから、この戸、ぶっ壊していい?」

「一応、やめてあげましょう」

 黒髪の少女が突っ込んだ。

 取り合えず柊は、窓際を離れる。

 本当に、この二人は何なのだろう……。

 再びバリケードを撤去し始めた。




 キャンプへと戻る最中、黒髪の少女はずっと何だかよく解らない話をしていたが、小柄な少女は明らかに話を聞いていない顔をしていた。

 それでも黒髪の少女は話を止めず、お陰で柊は“見ざる、言わざる、聞かざる”でお馴染みの三猿の源流が古代エジプトにある事を知る。正直、どうでもよかった。

 それよりも、あまりにも平然とした様子の二人がますます不気味に思えた。

 この二人の少女はどう考えても普通ではない。一見すると、そこらの山にいるようなハイカー染みた格好をしているのだが……。

 ともあれ、拍子抜けするほどあっさりと、キャンプ場へ辿り着く。

 柊はアウトドアチェアに腰をおろし、昨日の出来事を振り返る。

 やはり、どうしても現実だとは思えない。しかし、あの悪夢から飛び出してきたような、二人の少女は目の前に確かに存在した。

 取り合えず、警察に電話をかけようとスマホを手に取る柊だったが……。

「待って!」

 黒髪の少女に止められる。そして、彼女はとんでもない事を言い始めた。

「私たちの事は、警察に言わないで欲しいんだけど……」

「え、いや、そんな無茶苦茶な……」

 柊は困惑した様子で眉間にしわを寄せると、小柄な少女が、さも当然といった様子でのたまった。

「だって“通りすがりの女子が猿の化け物を倒した”なんて警察に言っても信じないでしょ」

「いや……」

 本人が言うなよ……と、思ったが、柊は突っ込まなかった。もう、本当に疲れていたのだ。

「まあ、私たちで、しかるべき場所・・・・・・・に通報はするから」

センセ・・・の方で何とかなるといいけどね」

 “しかるべき場所”と“先生”

 それらの謎ワードが、柊の脳内でグルグルと回転し始める。

 すると、黒髪の少女は、どこぞに連絡を取り始める。しばらく、状況説明などのやり取りを繰り返し、通話を終える。

 そして、再び柊に向き直って言った。

「取り合えず、今回の件は、指示があるまで口外しないで欲しいそうよ」

「あたしたちは、今日、この場所にはいなかった。いいね?」

 小柄な少女が念を押す。

「え、ああ……うん……」

 怖かったし面倒だったので、頷くしかない柊であった。

 すると、二人は空いているアウトドアチェアに腰かけ、何と驚く事に弁当を食べ始める。

 柊は呆気に取られ、小柄な少女の食いっぷりを眺めていると「食べる?」と訊かれた。

 とうぜん、首を横に振る。

 食欲など湧くはずもなかった。




 二人の弁当が空になった頃だった。黒髪の少女が手首に巻かれたミリタリーウォッチに目線を落とす。

「それじゃあ、私たちはもう帰るけど、そろそろ、事情を知る警察関係者が来るらしいから安心して」

「えっ」

 当然ながら戸惑う柊。

 すると黒髪が怪訝けげんそうな顔をする。

「あら、何かしら?」

「いや……帰るって……」

「大丈夫よ。先生・・によれば、この河原のキャンプ場は安全らしいわ。ここにいれば安全よ」

「いやいや。えっ……えっ……本気で帰るの?」

「うん。面倒だし」

 小柄な少女は、にべもなく言った。

「どうせ後から呼び出されて聴取はされるだろうし……」

 そう言って、黒髪の少女は右手をひらひらと振る。

「じゃあ、そう言う訳で」

「お元気で」

 小柄な方が頭をぺこりとさげた。

 そして、二人は本当に駐車場へ通じる坂道の入り口の方へと歩き去ってゆく。

 その後ろ姿を見て柊は思い出す。

 UFOや宇宙人の目撃者の元に現れる黒衣の二人組に関するアメリカ発の都市伝説を。

 きっと、この二人の少女も、そうした存在なのかもしれない。柊は背筋を震わせて己の肩を抱いた。

 もちろん、彼女の盛大な勘違いである。


 そのあと、柊は河原にやって来た事情を知る警察関係者たちに事の経緯を嘘偽りなく話した。

 すると「その二人組はどこにいるのか?」と、問われたので正直に「帰った」と答えると、警察関係者たちは一様に頭を抱えていた。

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