【12】猿真似


「循ッ!!」

 桜井の声が響き渡った。

 同時に豪雷のような音。

 茅野が仰け反ってふっ飛ぶ。背中から畳の上に倒れ込み、ほこりを舞わせた。

「循ー!!」

 桜井が茅野の方へ駆け寄ろうとする。

「……梨沙さん! 私は大丈夫よ!」

 咄嗟とっさに顔の前へと掲げたカメラに命中しただけだった。

 幸運が味方した形ではあるが、瞬時に桜井のカバーが間に合わない事を悟り、致命傷になりやすい頭部をガードするという、茅野の冷静な判断が手繰り寄せた最善の結果である。

「……それより、敵に集中して!」

 茅野は険しい表情で上半身を起こす。その彼女の近くには、破損したカメラのレンズと握り拳くらいの石が落ちていた。

 そして、冷静さを取り戻した桜井の元に第二投がやって来る。

 その彼女の頭部を正確に狙った投石をスタンロッドが弾き落とす。けたたましい金属音が鳴った。

 すると、直後に茅野が自分へと投げつけられた石を掴み、桜井の方へ下手したてで放る。

「梨沙さん!」

「がってん!」

 桜井は左手で茅野から投げられた石を空中で掴み取る。そのまま助走をつけて縁側から猿顔がのぞいた隈笹くまざさやぶへと投擲とうてきした。

「ていやー!」

 それは、まさにセンター最奥からホームをノーバウンドで撃ち抜くレーザービーム。

 しかし、猿は消防斧の刃の腹で、その一撃を受け止める。再びけたたましい金属音が響き渡る。

 そして、猿は煽り立てるように、歯をカチカチと鳴らして笑う。

 それを見た桜井が、ぼそりと呟いた。

「まるで、人間みたい……」

 すると、猿が低い姿勢で藪を突っ切り、猛然と縁側の桜井に目がけて突っ込んできた。

「梨沙さん!」

 茅野は次に、桜井が弾き返した石を拾い放った。それを再び左手で鷲掴みにし、迫り来る猿へと投げつける。

 猿は華麗なサイドステップを踏んで、この一投を易々とかわす。そこから、大きく跳躍して縁側に降り立った。

 人間離れした動きであったが、桜井梨沙におくした様子はない。

 猿は斧を大きく振りかぶり、彼女の頭上へと振るう。

 その一撃を半身になってかわす桜井。

 消防斧が縁側の床板を砕いて木屑を舞いあげると同時に、猿の左頬をスタンロッドが殴りつける。

 これで電撃を見舞えば勝ちだ……そう思われたが、青い火花は散らない。

 桜井も意外そうな表情をしている。

「そうか。さっきので……」

 茅野は悟る。

 あの猿の投石を弾き返したときに、どうやら故障してしまったらしい。

 ズボンのポケットに入ったペッパースプレーを引き抜きながら、安全ピンを抜く。

 縁側で桜井と向き合う猿の横っ面に吹きかけた。

 しかし、素早く猿は頭を屈めてかわす。床にめり込んでいた斧を抜き、大きく水平に薙ぎ払う。

 飛び退く桜井。

 猿も縁側から飛び退く。

 そして、肩を揺すりながら歯を鳴らす。 

 茅野が忌々しげな声をあげる。

「この素早さ、厄介ね。恐らく背を見せて逃げたところで、すぐに追いつかれてしまうわ」

「うん。ならば……やるしかない」

 桜井が無邪気に笑う。

 それは、彼女が本当にヤバいときに見せる笑みだった。

 第二ラウンドが始まる――。




 “それ”は戸惑っていた。

 まさか、投げつけた石を弾き返すなんて……。

 そして、反対に投げ返してくるなんて……。

 人間は弱くて臆病だ。

 歯を鳴らして笑っただけで恐怖し、斧を振り回せば背中を見せて逃げ出そうとする。いつもそうだった。

 しかし、この二匹の雌は何なのだ……。

 まったく怖がる様子を見せない。

 非力であるにも関わらず、猛然と立ち向かってくる。


 そして・・・斧が当たらない・・・・・・・……。


 力も素早さも、己の方が上のはずだ。

 なのに、なぜ当たらないのか。

 なぜ、相手の攻撃ばかりが当たるのか。

 “それ”は、そこはかとない恐怖を感じ始めていた――。




「何て事なの……」

 茅野循は戸惑っていた。

 一応は距離を大きく取りながら、いつでもペッパースプレーを噴射ふんしゃできるように身構えていた。

 しかし、当初の予想に反して、助力の必要がないほど、桜井梨沙が猿を圧倒し始めた。

 再び縁側で向き合い、攻防を繰り返す両雄。

 桜井は猿の斧による斬撃をひらりとかわし、スタンロッドで的確に猿の顔面を打ちすえる。

 攻撃が効いている様子はあまりない。しかし、猿はもう笑ってはいなかった。その表情には、あからさまな苛立ちと焦りの色が浮かんでいる。

 その心情を表すかのように、縦、横、斜めと、滅茶苦茶に斧を振り回した。

 それらを軽々とかわした桜井は、いったん距離を取り、猿を見据えながら不敵に言ってのける。

「己の五体以外の何ものかに頼みを置く……そんなんだから、駄目なんだよ」

「り、梨沙さん……どこぞの公園最強みたいよ……」

 しかし、茅野は桜井の言葉ですべてを理解する。

 確かに猿は、素早さも力も桜井梨沙を上回る。しかし、単に斧を力任せに振り回しているだけで、その攻撃は単調であった。

 更に、無駄に知恵があるせいか、猿は細かなフェイントにもいちいち反応してしまう。

 恐ろしいのは、そういった相手の弱味を見抜き、即座に利用する桜井梨沙の戦闘センス。

 そして、易々と勝利に至る道筋を再現してみせる技術とクソ度胸。

 まさに“天才”と評する以外にない異次元の領域であった。

所詮しょせん猿真似さるまね。どうぶつなのに“人間ごっこ”してるから勝てないんだ」

「き、今日の梨沙さん、何かの達人っぽいわ」

 人の言葉を理解した訳ではないだろうが、見下された事は理解したようだ。

 猿が怒りに満ちた吠え声をあげた。

 斧を振りあげながら、高々と跳躍ちょうやくする。

 しかし、その刃が縁側の天井に当たる。

 猿は空中で大きくバランスを崩した。そのまま消防斧を手放して背中から落下する。怒りに我を忘れた事による痛恨のミスであった。

 素早く上半身を起こすも、その瞬間、桜井の回し蹴りが側頭部に炸裂する。

 猿は吹っ飛ばされ、縁側から転げ落ちる。

 続いて桜井が縁側を飛び降りる。猿の喉元を容赦なく踏み抜いた。

 頸椎けいついのへし折れる音が鳴り響く。

「逆に野生むき出しで来られたら、あたしの負けだったよ」

 猿は地面に転がった裏返しの蝉のように、四肢をばたつかせると動かなくなった。

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