【09】生け贄


 堅く閉ざされた目蓋を懐中電灯の光が貫く。

 その明るさの次に感じたのは、鼻孔から喉の奥まで届く黴臭かびくささだった。

 柊明日菜は目を覚ました。

 すると、まず目に入ったのは自分の脚だった。腰を落として項垂うなだれている事に気がつく。

 立ちあがろうとしたが上手くいかない。

 どうやら、後ろ手に木製の柱を抱えさせられ、両手首をビニールロープで繋がれているようだ。

 そこは、どうやら廃屋の和室らしい。お寺か旅館の宴会場のように広々としていたが、すっかりと荒れ果てている。

 恐らく廃村のどこかにある廃屋の中なのだろう。それは何となく理解できた。

 足元の畳はささくれて茶ばんでいる。天井付近の壁にかけられた賞状やモノクロ写真の額縁は傾き、蜘蛛の巣にまみれていた。床の間にはほこりが積もっている。

 右側には縁側があり、開け放たれた雨戸の向こうには荒れ果てた庭先が臨めた。

 大きな山毛欅ぶなが枝を伸ばし、背の高い隈笹くまざさが一面を覆っていた。

 その奥の薄い闇の向こうに、二階建ての堅牢けんろうな蔵が見える。

 そして、前方から射し込む明かりの中に、池田、森山、堤川、前沢、そして野島の姿があった。

「ねえ……これは、いったい何なの……?」

 誰もその柊の質問に答えようとしない。

 池田は右手にスタンガンを、左手には懐中電灯を持っている。

 隣の森山はリードを握っていた。

 そのリードは、彼の目の前で四つん這いになっている、前沢の首輪に繋がっていた。

 その前沢は、幼子のように目を腫らしてすすり泣いている。

 失踪したはずの堤川がいた。彼は鞘に入れられた刃渡り二十センチはありそうなナイフを手にしている。

 そして、ランタン型のLED照明を手にした野島美姫がさげすんだ微笑を浮かべていた。

「ちょっと! これは、どういう事なの! やめてよ! ほどいて!」

 柊がヒステリックに喚き立てるも、五人はその言葉を耳に入れた様子はない。

 訳が解らなかった。

 彼らの目的や、自らの置かれた現状……何もかもが意味不明だった。

 目に映るすべてに現実感がない。悪い夢のようとは、まさにこの事だと思った。

「ねえ、何とか言ってよ! こんなの、流石に冗談じゃ済まないよ……ねえ、ちょっと! 聞いてるのッ!! あなたたち!!」

 更に柊は喚き散らし、拘束衣に身を包んだ病人のように身体を揺する。

 すると、野島が面倒臭そうに鼻を鳴らし、一言。

「そろそろ、始めましょう。“絆の儀式”を」

「は?」

 何を言っているのか解らず、聞き返す柊。

 そもそも、野島がなぜここにいるのか解らなかった。

 彼女は足を怪我しているのではなかったのか……包帯の巻かれた彼女の右足首に目線を送る。

 すると、それに気がついたのか、野島が右足を少しだけあげて微笑んだ。

「これ? 嘘よ」

「嘘って……誰の為に……そんな……」

 柊は呆気に取られる。

 すると、野島は勝ち誇った様子で肩をすくめた。

あなたの為よ・・・・・

「は?」

「だって、あなた、私と二人きりになるのなんて嫌でしょう?」

「あ……」

 柊は悟る。

 この村に行ってみようという話になったときの事だ。

 野島は足の怪我を理由に河原で待っていると言った。

 そのとき、柊は河原で野島と二人きりになるよりは……と、他の四人と共に村へ行く事に決めた。

 その判断は、野島に誘導されたものだったのだ。

 すべては、自分をこの村に来させる為に仕組まれていたのだと知り、柊は愕然がくぜんとする。

「どうして……そんな……」

 すると、野島は聖女のように微笑む。

「すべては、愛の為なの……」

「本当なら拙者が、この村に行こうと言い出す予定でした」

 と、池田が声をあげる。次に堤川が口を開いた。

「因みに俺が途中で消えたのは、姫を……あんたじゃないよ? 兎に角、姫を迎えに行く為だよ。渓流を渡ってから村に着くまでの山道は、かなり迷い易いからね」

 そして、今度は森山が語り出す。

「あと、あんたが前沢を嫌がって、勝手に別行動を取ってくれたときは笑いを堪えるのに必死だったよ。また手間が省けたってね」

「いや、おまえ、あのとき、普通に笑ってただろ。気づかれないかヒヤヒヤしたぜ」

 池田が突っ込み、森山がヘラヘラと笑いながら首を横に振った。

「いやいや、池田くんがあんなドヤ顔かますからさぁ……」

 二人はまるで、町でばったり出合って雑談をし始めた知り合い同士のように顔を見合わせて笑う。

 そこで、野島が口を開いた。

「じゃあ、そろそろ始めましょう」

 池田と森山がぴたりと黙り込む。堤川が前沢から一メートルくらい離れた場所にアーミーナイフを置いた。そして、また元の場所に戻る。

 野島が前沢に向かって言った。

「拾いなさい」

 しかし、前沢はすすり泣くばかりで、彼女の言葉に従おうとしない。

「早く」

 野島が少しだけ強い口調で言うと、渋々といった調子で前沢はアーミーナイフに手を伸ばす。膝立ちのまま、鞘を抜いた。

「こっ、これって……」

 前沢が視線をあげて問う。

 すると、野島は『こっぺりあ』の姫君らしい威厳の籠った調子で柊を指差しながら言った。


「それで、あの女を殺しなさい」


 言葉を失った様子の前沢。

 柊は首を傾げながら問うた。

「ねえ、何を言ってるの……?」

 すると、野島がミュージカル女優のように、両手を広げながら朗々ろうろうと声を張りあげる。

「あなたはねえ、私たち『こっぺりあ』の絆を深める為の生け贄になるの」

 野島が前沢との絆を深める為に考え出したイベント……。

 それは“前沢に柊を・・・・・殺させて秘密を・・・・・・・共有する・・・・”事であった。

「う、嘘だろ……」

 泣き笑う前沢。

 野島は、ゆっくりと首を横に振った。

「なあ、冗談だろ?」

「冗談じゃないわ」

 前沢の表情が凍りつく。

「ううぅ……嫌だ……嫌だッ!」

 再び泣きわめき出した。

 そんな恋人に向かって、野島は吐き気がするほどの甘ったるい声で言った。

「大丈夫。私も、池田くんも、森山くんも、堤川くんも、あなたがこの女を殺した事は一生の秘密にするわ」

「嫌だッ!! 許してくださいッ!! ごめんなさいッ!!」

 絶叫する前沢。野島が優しく語りかける。

「この女は、みんなで穴を掘って埋めるの。みんなで共犯になれる・・・のよ。それで、私たちは元の『こっぺりあ』に戻って日常へ帰るの。ヒデくんの手で邪魔者を殺すのよ……」

「嫌……嫌だッ!! 嫌だぁああ!!」

 そこで前沢が、おもむろに立ちあがった。野島に切りかかろうとする。

「うわあああっ!!」

 すると、堤川が野島の腕を引いて後ろに退かせる。

 続いて森山がリードを勢いよく手繰り寄せ、彼の手からアーミーナイフを奪った。思い切り突き飛ばす。

 彼の身体が畳の上に叩きつけられた瞬間、ほこりが舞う。

「ううぅ……」

 背中を丸めて起きあがろうとする前沢に、池田がスタンガンを押し当てた。青い火花が散る。

「おい! 前沢氏! オメー、仮にも、俺たちの中から姫に選ばれた男なんだから、しっかりしてくれよ……なあ、オイ!!」

 池田が怒声をあげる。前沢の悲鳴が轟く。

「頼むから、成長してくれよ、前沢氏! 姫に相応しい男になるんだよ! 俺たちの為にも……」

 もう一度、青い火花が散り、前沢が絶叫する。

 柊は直視できず、顔をしかめて目を閉じた。

 そして、再び目を開いたとき、全部が悪い夢だったら……。

 しかし、そのはかない希望はもろくも崩れさる。

「ねえ、ヒデくん……」

 野島はいとおしげな眼差しで、前沢を見おろす。

「もし、あなたがあの女を選ぶというなら、私はあなたを殺さなければいけないわ。あなたも、あの女と一緒に、埋めてあげる……そんなの嫌でしょう?」

「ううぅ……嫌だ。嫌だ……」

まま、言わないの。死ぬか殺すか。私か、あの女か。早く選んで?」

「嫌だ……畜生……嫌だ……」

 森山が、その彼の目の前に再びアーミーナイフを置いた。

「ねえ、ヒデくんも私への愛を示して? 私は、ここまでやった。次はヒデくんの番」

「やめてください……もう許してください……お願いッ!! お願いッ!!」

「大丈夫。ヒデくんは、私が好きになった王子様なんだから。私の運命の人なんだから。きっとできるわ。だから、お願い」

「うう……」

 前沢はアーミーナイフを拾いあげて立ちあがる。

 両手でナイフの柄を握りしめ、おぼつかない足取りで、柱で縛られ腰を落としたままの柊の方へ、歩み寄ろうとする。

 柊は首を横に振り、泣きじゃくる。

「こんなの……こんなの……おかしい……頭おかしい」

 すると、姫君の哄笑こうしょうが響き渡る。

「さあ! 早く殺して!! これで、私たちの絆は永遠になるのよっ!!」

「いやだ、いやだ、いやだ、いやいや……」

 叫ぶ柊。その頭上でアーミーナイフを振りあげる前沢。

「ごめん、明日菜ちゃん……ごめんなさい……俺、死にたくない……こいつら、ヤバイ。こいつら、本気だよ。だから、ごめん」

「助けて……お願い、助けて……」

「さあッ!! 愛の為にッ!!」

 その野島の声が合図となった。

 ナイフの切っ先が振りおろされようとした、その瞬間だった。


 ……ごつん。


 という、打撃音が唐突に鳴り響く。

 前沢の首が大きく右肩の方へかしいだ。刹那、森山の手からリードがすっぽ抜け、彼はふっとんで右手の方へ倒れ込んだ。

 同時に、ホットミルクのように生温い鮮血が柊の顔を濡らす。アーミーナイフが彼女の股の間に落下して畳に突き刺さる。

 ついさっきまで、前沢の立っていた場所に転がっていたのは、野球の硬球くらいはありそうな石であった。それは、縁側の向こうの庭先から投げつけられたものだった。

 その場にいた全員が、庭先の方を見た。すると、それは生い茂る隈笹の中にいた。

 不気味な猿のような顔が笑っていた。野島と池田が向けた明かりの中に浮かびあがっていた。

「あ、あいつだ……」

 森山がおびえた声音で言った。

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