【08】姫のお気持ち


 八月二日十七時五分――。


 野島美姫は森山竜夫から送られてきたメッセージを確認して首を傾げた。

 それは・・・スマホ同士を・・・・・・ペアリングして・・・・・・・圏外でもメッセージ・・・・・・・・・のやり取りを・・・・・・可能にする・・・・・通信デバイス専用・・・・・・・・アプリに送られて・・・・・・・・きたものだった・・・・・・・

 その彼女のいぶかしげな表情に気がつき、堤川治郎は声をあげた。

「どうしたの? 姫」

「いや。森山くんから、おかしなメッセージが送られてきて」

「何て?」

「茂みの中に、変な猿の化け物がいたって。だから、早く計画を中止して逃げようだってさ」

 野島がくすくすと笑う。

 堤川は何と反応したらよいのか解らず、曖昧な笑みを浮かべた。

「猿の化け物……? 訳がわかんねー」

「とりあえず、もうこっちへ向かっているみたい」

「ずいぶんと予定が早まりましたね」

「そうね。ここまでは、気味が悪くなるほど順調過ぎるわ……」

 そこで野島は肩をすくめ、足元に転がった前沢英人の事を見おろす。

 彼は手足をダクトテープで拘束され、ボールギャグを噛まされていた。釣りあげられた魚のように地面へと投げ出され「うー、うー……」とうめき声をあげている。

「ヒデくんが、全部悪いんだからね? あんな女にチョッカイを出そうとするから……」

 野島はしゃがみ込んで、前沢のあごを持ちあげる。

 そこは、あの『廃村の屋根の上で』で、語り部たちが怪しい影を目撃した村の広場だった。

 三人のすぐ後ろには、大きな屋敷の棟門がある。

「これは、あなたと私の未来の為なの。だから、もうすこし我慢して。ね?」

 すると、広場の向こう側だった。彼らの正面方向に延びていた道の先から、池田たちがやって来る。

 巨漢の森山の肩には、意識を失った柊明日菜が担がれていた。

「ねえ。それ、死んでるの?」

 野島が尋ねると、森山が首を横に振り、その彼の背中を池田が平手で叩いた。

「大丈夫です。チョークで落としただけです。こいつ、総合格闘技やってますから、そういう技のかけ方みたいなのは、心得てますし。……な?」

 森山は頷く。

 彼のようなオタクがアニメとかゲームの影響で格闘技を噛ったりしているのは、わりとよくある事である。

「……で、何なの? このメッセージ。猿の化け物って……」

 その野島の質問に、森山は柊の身体を地面にそっとおろしながら答える。

「何か、堤川くんと姫が、前沢くんを連れていったあとで、やぶの向こうから大きな猿みたいなのが、こっちをじっと見てて……」

「大きいって、どれくらいあったんだよ?」と、堤川。

 森山はしばらく考え込んだあと、彼の質問に答える。

「草の間から顔しか見えなかったから、解らないけど、たぶん人間ぐらい」

 すると、池田、堤川、野島の三人が吹き出して爆笑する。

「おいおい。顔しか見えなかったなら、本当に大きいかどうか解らないだろ? 何かの上に乗ってたから背が高く見えただけかもしれないし。どうせ普通の日本猿だって」

 池田の言葉に森山が反駁はんばくする。

「いや、でも、あの猿……ぼくの事を見て笑ってた……」

 そこで鼻を鳴らしたのは堤川だった。

「いやいや。猿だって、普通に笑うだろ。別におかしくはないよ。本当に何をビビってる訳?」

 すると、そこで野島が三人の顔を見渡す。

「そんな事より、とっとと始めましょう」

 そう言って、地面の上に寝そべったままの柊の顔を眺めながら、悪役令嬢のように笑った。




 柊明日菜がサークルに入会したあとの初顔合わせでの事だった。

 県庁所在地にあるファミレスで、彼女を一目見た野島美姫は思った。

 これは、まずい……と。

 柊の容姿は自分よりも数段優れており、性格にも嫌味がない。

 彼女が自分の地位をおびやかす存在になるであろう事は、簡単に想像がついた。

 このとき、野島が失う事を危惧きぐした“地位”とは“『こっぺりあ』の姫”ではなく“前沢英人の恋人”の方である。

 そもそも、野島自身の中では、前沢と関係を結んだ時点で、サークルの姫である事を捨てていた。

 『こっぺりあ』は、ずっと異性から見向きもされなかった彼女が、唯一女として扱われ、輝ける舞台であった。大切な居場所だった。

 とうぜん、彼女も馬鹿ではないので前沢英人と結ばれてしまえば、その大切な居場所が壊れてしまう事ぐらい理解していた。

 それでも、野島は前沢を選んだ。

 大切な居場所だった『こっぺりあ』をにえにしてまで選んだ前沢英人を、ぽっと出の女にかっさらわれるなど我慢できなかった。

 だから、野島は池田、森山、堤川の三人に、前沢と柊が二人切りにならないように監視するよう命じた。

 そして、あわよくば、三人の中の誰でも構わないから、柊と特別な関係になって欲しいとも……。

 池田たちは、未だに野島を姫としてあがめ、その姫を守護する騎士である自分たちに酔っていた。その忠義を利用したのだ。

 しかし、恋愛が苦手な三人ができる事といえば、単に柊を“姫”ともてはやす事ぐらいであった。案の定、前沢も柊に対して露骨なアプローチをし始めた。

 こうして、かつての姫をないがしろにして、新たな姫をもてはやす男子四人という構図が完成するに至る。

 野島にとって、柊が姫だともてはやされるのは気にくわなかったが、その状況は充分に前沢を抑制よくせいしてくれたので好都合であった。

 このまま現状を維持しつつ柊をサークルから追い出す……それが、当初の野島の目論見もくろみであった。

 三人に前沢を牽制けんせいさせつつ、野島は野島で彼女に対して刺のある言動を取り続ける。

 しかし、柊は見た目のリア充らしさに反して自己主張が得意ではなく、優柔不断でもあった。

 野島の意図に反してサークルを辞めようとしてくれない。

 そんな彼女に対して、野島はますます不信感と被害妄想を募らせる。

 このままでは、サークルに居座った柊によって、前沢が奪われてしまう……。

 かといって、攻撃の手を強めれば、前沢が彼女の味方につく口実を与えてしまう事となる。

 こうして、局面は膠着状態こうちゃくじょうたいおちいった。そのまま、コロナ禍に突入する。

 すると、サークルは活動休止状態になり、前沢と会えない日々が続く。

 そうなると、今度は野島の中で膨れあがった前沢への不信感が爆発する。

 このままでは、彼との関係が終わってしまうかもしれない。

 大切な居場所と引き換えに手に入れた恋が駄目になってしまうかもしれない。

 そうなるより先に、前沢と自分のきずなを深める新たなイベントが必要となる。

 そう考えた野島は、一計を案じる。

 今度は柊明日菜を自らの恋愛の贄とする事にした。

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