【12】不祥事


 それは岡村十和子が中学一年生のときだった。

 一学期の終わりの日の放課後、二宮健太からゴッホの古い画集をプレゼントされた。

 彼いわく、少し遅めの誕生日プレゼントらしい。

 何でいきなり……と、尋ねると、彼は照れ臭そうに笑って、答えをはぐらかした。

 とうぜんながら岡村はクラスメイトの男子からプレゼントをもらったと、父親に報告した。

 すると、その画集を捨てるように言われる。

 岡村は何の疑問も抱かず、父親の言葉に従う事にした。

 しかし、せっかくプレゼントを送ってくれた二宮の事を考えると、ゴミに出す事はしたくなかった。

 かなり迷った末に、その画集は自宅のガレージの二階に置いておく事にした。

 そこは物置になっており、壊れた家電やいらなくなった衣服、教科書などがしまってあった。

 岡村も、父親も、あまり立ち入らない場所だった。

 ここに入れておくならば、父親の意向に背く事にはならないだろう。そう考えた岡村は、父親が夜勤でいないその日の夜に、母屋の入り口からガレージへと足を踏み入れた。

 木製の階段をきしませ、二階へと向かう。

 そして、玄関近くの戸棚の中から持ち出した鍵で、簡素なシリンダー錠を開けて中へと入る。

 ほこりの臭いが鼻をつき、せ返りそうになった。

 手探りで入り口の脇にある電気のスイッチを押す。すると、古びた蛍光灯が瞬き、目映まばゆい明かりが灯った。

 岡村は扉口に立ったまま室内を見渡す。

 奥の壁際の棚や床には、段ボール箱やプラスチックの衣装ケースが乱雑に置かれている。壊れた乾燥機やブラウン管のテレビなどもあった。

 画集を置くならできるだけ目立たない場所がいい。そう思った岡村は奥の棚の右下にあった段ボール箱の中に放り込む事にした。

 部屋へと足を踏み入れて、その箱の蓋を開けた。すると、岡村は思わず目を丸くする。

「これって……」

 中に入っていたのは、折り畳まれた女物の衣服であった。

 岡村はその中の一枚を広げる。

 それは、鴬色うぐいすいろと白のワンピース。

「もしかして、お母さんの……」

 そこで岡村は気がつく。

 物心つく前に死んだと聞かされていた母親の、顔も名前も聞かされていない事に……。


 それから数日後だった。

 父親が休日のその日、夕御飯のときに母親の名前を訊いてみた。

 しかし、彼はぎこちない笑顔で「お母さんの話は、十和子が十八になってから聞かせてあげるよ」と答える。

「何で?」と問うと彼は、その答えをはぐらかした。

 そこで彼女は何となく悟る。

 なぜかは解らないが、母親の話はしてはいけないのだと……。

 それ以来、十和子は母親の事を極力忘れようとしたのだった――





 桜井梨沙と茅野循は、岡村十和子の日記をさかのぼるうちに、何とも言えない嫌悪感にさいなまされた。

 なぜなら、彼女と父親の関係があまりにも異常であったからだ。

 岡村は進路や部活の事だけでなく、日常のありとあらゆる事の判断を父親に委ねているようだった。

 そして、その質問に対する父親の答えのすべてが、彼女を孤立させて束縛するようなものばかりに思えた。

 岡村も多少の疑問は覚えつつも、すべてにおいて父親の言葉通りに従っていた。まるで洗脳でも受けているかのようだった。

 そして、極めつけはこれである。




 『無題』


 2015年11月3日23時58分投稿


 今日、二宮くんの告白を断った。

 理由を聞かれたので正直に「お父さんが駄目って言ったから」と告げると、彼は誰もいなくなった教室で怒り狂ってから泣いた。

 少しだけ胸が痛んだ。




「率直に言ってキモい」

「ファザコンなんてレベルじゃないわね。もしかしたら、岡村さんはマインドコントロールに近い特殊な教育を受けていたのかもしれない……」

 桜井と茅野は顔をしかめる。

「でも、これで、二宮健太と岡村さんのお父さんに遺恨いこんがある事は、はっきりとしたね」

 その桜井の言葉に茅野は「そうね」と頷いて同意する。

 そして、マウスを動かし、更に日記をさかのぼる。

 しかし、それ以上の新たな情報を得る事はできなかった……。




 次の日の昼休みだった。

 桜井と茅野は授業が終わると、いつものように部室へは行かず、体育教官室へと向かった。

 桜井がノックをしてから入り口の引き戸を開ける。

「失礼します」

 すると、自分の席で独り昼食を取っていた相田愛依が、一瞬だけぎょっとしたのちに溜め息を吐いて肩の力を抜いた。

「何だ。お前たちか……」

 再び食事を再開する。

 桜井と茅野が相田の元まで向かうと、彼女はいつものように鋭い眼光で二人をめつけながら問うた。

「それで、何のようだ?」

 因みに相田の昼食は、また手製のキャラ弁であった。

 しかし、ご飯の上に描かれたキャラの似顔絵は、金髪でオラオラ系の智也くんから、黒い長髪の眼鏡男子に変わっていた。

 これは、“推し変”だな……と、二人は何とも言えない表情で黙り込む。

 すると、その視線に気がついた相田が慌て出す。

「ちっ、違う……これは! と、智也くんは、殿堂入りしたのだっ! だから、他のキャラに愛をそそごうと……」

「まだ何も言ってませんけど……」

 と、苦笑する茅野。

「殿堂入りとか、そういうシステムなんだね」

 桜井の方は真面目に感心した様子だった。

 相田は頬を羞恥しゅうちの色に染めて、おほん……と、咳払いをする。

「そんな事より、何の用だ!?」

 これ以上、この件について追求しても仕方がないので、茅野は本題を切り出した。

「えっと、岡村十和子さんの事についてなんですけど……」

「ああ、岡村か……」

 相田の表情が沈み込む。茅野は質問を続けた。

「もしかして、岡村十和子さんのお父さんって、前にこの学校で美術教師をやっていたのではないでしょうか?」

 岡村の父親は、ことごとく自分の意思の通りに娘を動かしてきた。

 ならば、この藤見女子高校に彼女を進学させた事にも何か意味があるはずだと、茅野は考えたのだ。

 そこで桜井と茅野が認識する範囲で、もっとも古い時代の藤女子を知る相田に話を聞いてみる事にしたのだ。

 彼女は二〇〇五年に藤女子で教鞭きょうべんを取り、数年後に他所へと赴任し、また再びこの藤女子へと戻ってきている。

 単純に藤女子で教鞭を取った期間だけを比べても、同じく二人の知己である戸田純平よりも多い。

 そして、もしも相田が知らなければ、その辺りの事情に詳しそうな教職員を紹介してもらおうという魂胆だった。

「あー……岡村のお父さんか……」

 相田はどこか気まずそうに黙り込んだあと、質問を返してきた。

「また、何かその手の依頼でも請け負っているのか?」

 依頼を請け負っている訳ではなく、完全に自らの好奇心を満たすためであったが、二人は同時に頷く。

「……こんぷらいあんすで詳しくは言えないけど」

 桜井がつけ加える。すると、その言葉を聞いた相田は、諦めた様子で口を開く。

「お前たちには世話になったし、信頼もしている。しかし、一応は釘を刺しておくが、これから話す事は他言無用だからな?」

 鋭い眼光で凄まれ、若干ビビりながら了承の返事をする桜井と茅野。

 やはり、だいぶ馴染んできたとはいえ、まだ相田愛依の事が怖いらしい。

 その鬼教師はペットボトルの緑茶で喉を湿らせたのちに、茅野の質問に答え始めた。

「そうだな、これは教師なら誰でも知っている話だ。そして、私がこの学校に採用される前の話だが、当時も噂になっていた。不祥事で退職になった美術教師がいると……」

「それが、岡村さんのお父さん?」

 桜井の言葉に頷く相田。そして、再び茅野が質問を重ねる。

「では、その不祥事とは具体的に何だったかは解りますか?」

 相田は不愉快そうな顔で答える。


ああ・・生徒を妊娠させ・・・・・・・たらしい・・・・

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