【13】復活


「ああ。生徒を妊娠させたらしい」


 憮然ぶぜんとした調子で言い放つ相田に、茅野は問う。

「その生徒の名前は知っていますか?」

「そこまでは、知らない。ただ……」

 相田は口の中で言葉をさ迷わせ言い淀む。職業倫理とオカ研の二人への義理との狭間で迷っているらしい。

 しかし、桜井に「ただ、何ですか? センセ」と、促されると渋々といった様子で、その重い口を開き始めた。

「岡村の父親も、その生徒……つまり、岡村の母親も学校を辞めたあと、親族の反対を押しきって、結婚したらしい。だが、けっきょく母親は出産間近の時期に、藤見市内で起こった交通事故に巻き込まれて死んだそうだ」

「えっ、じゃあ、赤ちゃんは……」

 桜井が予想外の展開に目を白黒させる。

「……赤ちゃんは無事だった。その赤ちゃんが岡村十和子という訳だ」

 その相田の言葉を聞いて、茅野は得心した様子で頷く。

「なるほど。よく解りました」

「役には立ったか?」

 と、相田に問われた茅野は満足げに微笑む。

「ええ。とても」

 そして、深々と礼をする。

「……色々とお話を聞かせていただき、ありがとうございました」

 桜井も続けて頭を下げる。

「じゃあ、センセ、お邪魔しました。あとは新しい男を・・・・・美味しく・・・・いただいてください・・・・・・・・・

「お、おう。いや、言い方」

 戸惑う相田を尻目に、二人は体育教官室をあとにした。




 桜井と茅野は部室へと向かうと、少し遅めの昼食を取る事にした。

 桜井は手製のロコモコ丼をがっつく。

 茅野の方は、毎度お馴染みであるコンビニのチキンサンドをかじりながら、スマホで何かを検索し始めた。

 しばらくの間、部室内には咀嚼音そしゃくおんのみが響き渡る。

 そうして、桜井があらかたロコモコ丼を食べ終えたあとだった。

「あったわ……」

 そう言って、茅野は甘ったるい缶珈琲を一口飲んだ。

「何が……?」

 と、桜井が聞き返すと、茅野はずっといじっていたスマホを掲げる。

「新聞のデジタルアーカイブを調べていたの。二〇〇一年の記事よ」

「どれ」

 桜井がその画面を覗き込む。すると、そこには……。




 四日の昼過ぎ、藤見市佐々野三丁目の交差点近くの歩道に軽トラックが突っ込むという事故が発生した。

 これにより、歩道にいた妊婦が重症を負い、ただちに病院へと搬送されたが間もなく死亡した。

 警察は軽トラックを運転していた自営業の男を自動車運転過失致死などの疑いで逮捕し、詳しい事故の原因を調べている。

 なお、妊婦の赤ちゃんの命に別状はなかった。


(2002・4・4 北越新聞より)




 記事を読んだ桜井が目を丸くする。

「この事故にあった妊婦が、岡村さんのお母さん?」

「ええ、たぶんそうね」

 茅野はそう答えて、チキンサンドの最後の欠片を口に押し込んだ。

 一方の桜井は、困惑気味に眉間へとしわを寄せる。

「岡村さんの誕生日って七日だよね? でもこの記事は、その三日前だよ?」

 そこで、ゆっくりと首を横に振る茅野。

これで・・・いいのよ・・・・もう・・だいたい・・・・解ったわ・・・・

「おっ」

 茅野循の口から“だいたい解った”という言葉が出た時。

 それは、本当に彼女がだいたいの事を解ったときであると、桜井梨沙はよく知っていた。

「それじゃあ、そろそろ最後の仕上げに入りましょうか」

 茅野がよこしまな笑みを浮かべた。

 桜井は極めて呑気のんきな声音で「そだね」と返事をした。




 娘である十和子の葬儀が終わったあとだった。

 進は居間の畳の上に腰をおろして、ぼんやりと窓から射し込む光の中に舞うほこりを眺めていた。

 何もする気が起きなかった。食事もいつから取っていないのか忘れてしまっていたが、腹は減っていなかった。

 忌引き休暇は明日で終わる。 

 しかし、もうどうでもよかった。仕事になど戻れる訳がない。死のうという気力さえ湧かないのだから。

 彼にとって、十和子は人生のすべてだった。

 無償の愛をそそいできたはずだった。

 いったい何がいけなかったのだろうか……進は何度目になるのか解らない自問自答を頭の中で繰り返した。

「とわこぉ……なんでぇ……」

 涙が滲み視界が歪む。

 すると、次の瞬間だった。


 ……お父さん。


 進は、その声を確かに聞いた気がした。

 悲しみに濡れた両目をまたたかせると、窓から射し込んだ光の帯の中に人影が浮かびあがった。

 それは、鶯色うぐいすいろと白のワンピースを着た岡村十和子であった。

「ああ……十和子ぉ。また・・復活してくれたんだね」

 進は再びむせび泣く。

 しかし、その涙に悲しみの感情は含まれていなかった。




 二〇二〇年七月三十日。

 夜勤明けのその日、岡村進はたっぷりと夕方頃まで寝て起きると、近所のスーパーへ買い物に行く事にした。

 身支度を整え、財布を持って玄関へ向かおうとしたところでぴたりと足を止める。

「おお、そうだった……」

 きびすを返す進。ダイニングへと向かう。そして、テーブルの上の折り畳まれたエコバッグを手に持つ。

 そして、開かれた戸口の向こう側にある居間へと向かって、にこやかに言った。

「また忘れるところだったよ。まだ慣れないなあ……」

 頭の後ろに手を置いて、進は照れ臭そうに笑う。

「あはは、そうだな。気をつけるよ。それより、今日の夕ごはんは何がいい? 僕はカレーにしようと思うんだが」

 うん、うん……と、相づちを打つ進。

「そうかい、解った。じゃあ、そうするよ」

 そう言って動き出す進。そして、ダイニングを出るとき、もう一度、居間の方へと向かって言った。

「じゃあ、行ってくるよ。十和子」

 それから玄関へと向かい、靴を履き替えて外に出る。

 すると、郵便ポストに二つ折りになった白い紙が挟まっている事に気がついた。

 チラシなどではなく、学生がよく使うルーズリーフだった。

 進は怪訝けげんに思いながらも、そのルーズリーフを抜き取り開いてみた。

 すると、そこには……。


 “今日の十九時に、お前が二宮健太を殺した場所まで来い”


 その文字列を目にした途端、進の表情が鬼のように歪む。

 彼は歯軋はぎしりをしたのち、そのルーズリーフをぐしゃりと握り潰してから、腕時計の文字盤を確認した。

 時刻は十八時四十五分だった。

 進は憤怒の形相のままガレージへと向かう。そして、工具箱からバールを取り出すと、それを腰に挟んで上着を被せて隠した。

 次に母屋へ通じた扉を開けて叫ぶ。

「おーい、十和子。ちょっと、遅くなるかもしれない」

 そうして、岡村進は二宮健太の遺体が発見された川原へと向かった。

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