【09】噛み合わない会話


 帰り際、美術教師に岡村の家の住所を教えてもらおうとしたが、拒否されてしまう。

 そうした個人情報の管理体勢が厳しいのか、単純に桜井と茅野が信用されていないのかは微妙なところであったが、それならばと再び水嶋明子を頼る事にした。

 すると、あっさりと家の住所を教えてもらえたばかりか、アポイントまで取ってもらえた。

 何でも岡村の父親は、ちょうどシフトが夜勤らしく、二十九日の十八時ぐらいまで時間があるという。

 そんな訳で二〇二〇年七月二十九日の放課後、二人は制服姿のまま、藤見駅から電車に乗り佐々野へと向かう。桜井は行きがけに花屋で購入した仏花を持ち、茅野は岡村十和子の作品が入った紙袋を右手に提げて。

 因みに水嶋についてきて欲しいと頼んだが『彼氏とデート。無理』のツーワードで却下された。

 そうして、佐々野の駅裏から郊外を目指して歩いていると、古い民家や自動車整備工場などが建ち並ぶ道の先に橋が見えてくる。

 全長二十メートル程度のその橋を渡った左側に、二宮健太の遺体発見場所があった。

 既に警察の姿はなく、本当に凄惨な事件が発覚した現場なのかと疑わしくなるほど何もない。

 ただ土手の下のやぶが踏み荒らされており、そこに最近、大勢の人間が踏みいった事が一目で解った。

 橋を渡っている最中、桜井が踏み荒らされた藪へと視線を向ける。

「あそこら辺だよね? 二宮っていう人が見つかった場所」

「そうね」

 首肯する茅野。

「でも、まあ、取り合えず遺体発見現場の方はあとにして、岡村さんの家に向かいましょう」

 二人は橋を渡り、いったん岡村宅へと向かった。




 岡村宅は、二宮健太の遺体発見現場のすぐ近くにあった。直線距離にすれば四百メートルもない。

 桜井と茅野は、その風化したブロック塀の門を潜り、波板の玄関ポーチ内へと足を踏み入れる。

 桜井が引き戸の右手についたインターフォンを押した。しかし、いっこうに反応はない。

「……梨沙さん、これ、たぶん電源が入っていないわ」

「おお。なるほど」

 茅野の指摘を受け、桜井が玄関の引き戸に手をかけて開ける。

「ごめんくださーい」と声をあげた。

 返ってきたのは陰気な静寂だけだった。

 薄暗い三和土たたきを見渡すと、大きな男物の靴と、小さな女物のスニーカーや革靴が整然と並べられている。

 まるで岡村十和子がまだ生きており、この家にいるかのようだった。

 桜井が何とも言えない表情で並んだ大小の靴を見つめていると、茅野がおもむろに三和土の中へと足を踏み入れる。

 そして、腰を屈めて何かを拾いあげた。

「循、それは……?」

 桜井が尋ねて茅野が答える前に、上がりかまちの奥へと延びた廊下の向こうから、熊の着ぐるみといった印象の大柄な男が小走りでやってくる。

 彼が岡村十和子の父親の進であった。

「ああ……ごめん、ごめん、ちょっと、トイレに入っていて」

「こちらこそ、突然、申し訳ありません」

 茅野が謝罪の言葉を述べると、進は照れ臭そうに笑いながら話を切り出す。

「君たちが、水嶋さんから連絡のあった……」

「はい。娘さんの同級生だった茅野循と……」

「桜井梨沙です」

 二人は慇懃いんぎんな調子で頭をさげた。

 そして、茅野がイラストボードの入った紙袋を渡す。

「これが美術室に遺されていた娘さんの作品です」

「いや、わざわざすまないね」

 と、紙袋をにこやかな笑顔で受け取り、桜井が抱えた花束に目を止める。

「その花束は……?」

「ああ。できれば仏壇に手を合わせたいと思いまして」

 と、茅野が言うと、進は眉間にしわを寄せ首を傾げる。

 数秒間、思案顔を浮かべたあと「ああ……」と、ようやく桜井たちの意図に思い当たったらしく口を開いた。

ああ・・……十和子の・・・・

「そうです、そうです」

 茅野が頷くと、進は申し訳なさそうに笑う。

「すまないが、うちはカトリックでね。仏壇はないんだ」

「では、十和子さんのお墓はどこに?」

「ああ、十和子の墓は、大夫原だゆはらカトリック霊園にあるよ……」

 と、進が口にした霊園の名前は、あのおにぎり坂の公園にある霊園の名前だった。

 再び浮上したあの坂との関係性に、桜井と茅野は驚いて顔を見合わせる。

「……どうしたんだい?」

 怪訝そうな顔で尋ねる進に対して、笑って誤魔化す桜井と茅野。

 すると、進も特に気にした様子はなく、二人を招き入れようとする。

「取り合えず、立ち話も何だから、お茶でも一杯」

 茅野は桜井と視線を合わせて、

「……では、お言葉に甘えて」

 と、その誘いを受け入れる。

 二人は岡村宅へとお邪魔する事にした。




 岡村宅の居間の空気は冷ややかで湿っていた。

 中央の大きな座卓を取り囲むように、古ぼけた安物の調度類が並んでいる。

「いや、わざわざ、すまないね。菓子箱のお菓子も食べていいよ」

 そう言って、進は湯気立つ茶碗を座卓に置く。そして、並んで座る桜井と茅野の対面に腰をおろした。

「……それにしても、わざわざ忘れ物を届けてくれるような親切な友人がいただなんて、ちょっと安心したよ。あの子は人見知りだろ?」

「ええ、まあ……」

 茅野は苦笑して誤魔化し、桜井は特に何も言わず、ずずず……と、茶碗につがれた緑茶をすする。そして、菓子箱のルマンドに手を伸ばしてパクつき始めた。

 そこで、茅野が話を切り出す。

「私たちも娘さんから、お父さんの話は聞いていますよ。ずいぶんと仲がいいみたいで」

 すると、進は興味深げに身を乗り出してきた。

「僕の話? 例えば、どんな?」

「彼女が美術部に入ったのは、お父さんの希望だったとか」

「ああ……」

 と、進は手を叩いて笑う。

「そうそう。僕も十和子も美術が好きでね。因みに僕は、こう見えても美術教師だったんだ。もう、ずっと昔の事だけどね……でも」

 そこで、いったん言葉をにごらせる。そして、照れ臭そうに微笑むと、再び口を開く。

「家族の事情で、辞めちゃって。……だから、娘の十和子にも絵を描いて欲しくてね」

 桜井は「ふうん……」と相づちを打って、緑茶をすする。

 教職を辞した理由は気になった。しかし、“家族の事情”などと言われると、どうにも突っ込みにくい。

 茅野はひとまず話題を変える事にした。

「娘さんは、フィンセント・ファン・ゴッホが好きなようでしたが、それもお父さんの影響でしょうか?」

「ああ。僕のいちばん好きな画家だよ。彼の孤高の人生には胸を打つ感動がある……」

「彼の作品で、いちばん好きなものは……」

「ゴッホが描いた花魁だね」

 岡村十和子の個人サイトのアイコン画面に使われていた絵である。

「当時の西欧では、ジャポニズムといって和風の意匠が、様々な芸術家に多大な影響を与えていて、例えば、あのクロード・モネなんかも……」

 ……などと、進はせきを切ったように語り始めた。




 進の西洋美術に関する話を適当に聞き流し、切りのよいところで岡村宅をあとにする。

 その帰り際の事だった。

「今日は、ありがとうございました」

「ごちそうさまでした」

 と、三和土で頭を下げる二人に向かって、進はにこやかな笑顔で言った。

「今日、二人が来た事は、娘にちゃんと伝えておくよ」

「は?」

「はい?」

 桜井と茅野は同時に声をあげた。彼の言葉の意味が解らなかったからだ。

 そして、進は更に意味の通らない事を言い出す。


今度は・・・娘のいるときにでも・・・・・・・・・遊びにおいで・・・・・・

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