【08】日記
雨の中、グラウンド脇の部室棟へと向かう。
玄関の
そのとき、
「……確か、わざわざ、岡村さんが仲のよかった友だちと別れてまで藤女子に来たのって、お父さんに言われたからだったよね?」
「ええ」と、茅野が傘を折り畳みながら言葉を返す。
「まあ、親の意向を加味して進路を決めるというのは、解らなくはないけれど……親に言われて部活まで決めるのは、ちょっと不自然な気がするわ」
「だよねえ」と、桜井も同意する。
無理をせずに来津高校へ進学していれば……。
美術部ではなく漫画研究会に入部していれば……。
岡村十和子は、少なくとも孤独ではなかったのかもしれない。
そんな考えが頭を過った桜井と茅野は、やるせない気分になった。
「取り合えず、おにぎり坂の件とは、だいぶ脱線している気がするけれど、彼女の個人サイトを見てみましょう」
「そだね……」
それから、二人は部室棟の玄関を潜り抜けて、自分たちの巣へと戻った。
悪天候による寒々とした空気を吹き飛ばすような熱くて濃厚な珈琲を入れ、茅野はテーブルに着くとタブレットを取り出す。
電源を入れてネットに繋ぎ、澤井から教えてもらったURLを打ち込んだ。
ややあって、表示されたのは……。
“とわこのへや”
ホームページ製作サービスによって作られたサイトだった。
壁紙はモノトーンのチェック柄とシンプルで、無駄なものは一切ない。
ページ中央には“このサイトは私が書いた一次創作の漫画やイラストなどの個人的な保管庫です。ご自由に閲覧してください”と簡潔にサイトの説明が記してある。
その下部には、アクセスカウンターが表示されていた。
そこに並んだ数字は微々たるもので、このサイトの過疎ぶりを
そして、コンテンツのメニューは……。
“ぷろふぃーる”
“だいありー”
“さくひんおきば”
“あしあとちょう”
その下には更新履歴のログがあった。
何の捻りもない。
しかし、茅野は満足げにほくそ笑む。
「これは、かなり有益な情報が得られそうね」
すると桜井が首を傾げる。
「どゆこと……?」
「ほら、これ」と茅野は画面を指差す。
「最後の更新は“だいありー” 時刻は二〇二〇年の四月六日二十三時五十五分。彼女が死んだのが、四月七日だからまさに死の直前という訳よ」
「つまり、遺書か……」
流石の桜井も緊張した面持ちで、生唾を飲み込んだ。
茅野が“だいありー”をタップする。しかし、表示されたのはパスワードの入力画面であった。
どうやら、八文字から十二文字の半角英数字を入力しなければいけないらしい。
「まあ、それはそうだよね」
「三回間違うとロックが掛かるらしいわ」
「循、何とかならない?」
「まあ、ちょっと、考えてみましょうか。完全にランダムなパスワードだったらお手あげだけれど」
まずはヒントを探るために“ぷろふぃーる”を開く。
そこで、桜井と茅野は岡村が自らの誕生日に死んだ事を知り驚く。
「自分の誕生日に……」
「やはり、岡村さんが死を選んだのは、呪いや祟りではなく、個人的な悩みが理由であるような気がしてきたわ」
茅野は鬱々とした表情で
しかし、生まれた生年月日と名前以外の情報は何も記されていない。アイコン画面の方は、独特なタッチで書かれた和装の女性を描いた油絵であった。
「これも、岡村さんの絵……?」
タブレットを
「いいえ。これは、フィンセント・ファン・ゴッホが描いた
「ゴッホ、好きだったのかな?」
「確か、水嶋さんの話では、二宮健太と岡村さんは、十八世紀、十九世紀の印象派やポスト印象派についてよく話していたと言っていたわね。ゴッホもその中に含まれるわ」
「ふうん」
と、いつもの気のない返事をする桜井。
そのあと、茅野がパスワードの入力画面に生年月日の数字と彼女のイニシャルを足したものや、ゴッホに関連のあるワードに生年月日、没年などを並べたものを適当に入力してみるも……。
「やはり、駄目ね」
ロックが掛かってしまう。
茅野は気だるげな溜め息を吐いて肩を落とした。
すると桜井が逆転ホームランを打たれたチームの野球監督のように、ぽんぽんと両手を打ち合わせる。
「しゃーない。切り替えていこう」
「そうね。取り合えず、今日は、ここまでにしましょうか」
茅野が壁掛け時計を見あげる。桜井も同意して頷く。
「うん。バイトあるし」
二人は帰り支度を始めた。それから、部屋を出ると戸を施錠したのちに部室棟の玄関を目指す。その途中で、桜井がおもむろに話題を切り出す。
「……それにしても、未だにああいう創作の個人サイトってあるんだね。もう、だいたい投稿サイトとかにアップするのが普通だと思ったけどさあ」
「確かに、創作物を発表する場は、そういった創作系の投稿サイトやSNSへと移っている事は間違いないわ。閲覧者数はこうした個人サイトよりも得やすいだろうし、それで何かの拍子にバズれば一気にプロに……という可能性もある。ただ、そうした創作系の投稿サイトやSNSは大勢の人が集まりやすい分、不自由だったりする事もある」
「ああ。炎上したり、叩かれたり……SNSだと過去の投稿が流れて見にくかったりするよね」
「そうね。特に創作系の投稿サイトなんかだと規約などには明記されていないハウスルール的なものができあがっていて、それを考慮して作品を投稿しなければならない事が多々あるの」
「ああ。その場の空気とかノリを読まなければいけないって事だね?」
「そうね。例えば、これはイラストや漫画の話ではないのだけれど……」
「うん、何?」
「小説家になろうで、ある作者が、女性読者に人気が高い異世界恋愛カテゴリーに“異世界が舞台で色恋沙汰がらみの話だから別にええやろ”と軽いノリで、エログロで下品な内容の
「それは、駄目でしょ」
桜井がどん引きした調子で言った。茅野は沈痛な表情で頷く。
「案の定、盛大に叩かれたらしいわ。しまいにはタイトルや内容が卑猥であるという理由で運営に通報され、そのまま作品は公開停止に追い込まれたそうよ」
「単に、その作者がアホなだけじゃあ……」
うっそりとした様子の桜井の言葉に頷く茅野。
「まあ、そんな訳で、個人サイトならそうしたトラブルとは無縁だから、一般受けしやすい作品は投稿サイト、尖った作品は個人サイトと、使い分けている人はけっこういるわね」
「なるほどねえ……」
得心した様子で頷く桜井。
「取り合えず、明日の放課後は佐々野に向かいましょう。岡村さんの遺作を、彼女のお父さんに届けてあげるの。それから二宮健太の遺体が発見された河川敷も見ておきたいわ」
「じゃあ、職員室に鍵を返しに行くついでに、岡村さんの家の場所をセンセに教えてもらおうよ」
「そうね」
こうして、桜井と茅野は靴を履き替えて傘を差し、未だに降りしきる冷たい雨の中へと、その身を踊らせた。
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