【06】あのときの夢


 スマホに表示された岡村十和子の写真を鹿爪らしい顔でしばし見つめたあと、茅野は次の質問を口にする。

「じゃあ、二宮くんは? 二宮健太くんについても聞きたいのだけれど。彼も佐々中の美術部だったのよね?」

「ああ……」

 水嶋の顔色がかげる。どうやら、彼に関する事件の報道を思い出したらしい。

「……本当にね。四月に岡村が死んで、それで今度は二宮でしょ? ちょっと、怖いよね……偶然なんだろうけど」

「二宮くんは、岡村さんと親交があったのかしら?」

「あー……」

 水嶋は、いったん口内で言葉をさ迷わせる。

「さっき“美術部はみんな仲よかった”っていったけど、二宮は別だったかな……」

 そう言って、どこか気まずそうな笑みを浮かべた。

 茅野は、桜井と視線を合わせてから質問する。

「いったい、どういう事なのかしら?」

 水嶋が言いにくそうに言葉を紡いだ。

「いや……うーん……あいつさ、一年の文化祭のあとだったかな? 急に部活を辞めてさ」

「部活を辞めた? なぜかしら?」

 水嶋は肩をすくめる。

「さあ。さっぱり……」

 それ以来、彼の方から美術部員たちと距離を置くようになったらしい。

 理由を問い質そうとした者もいたらしいが、曖昧に誤魔化すばかりで、答えてはくれなかったのだという。

 それから徐々に彼との関係性は薄くなり、中学を卒業する頃には、まったく関わる事もなくなっていたらしい。

「……まあ、そうなる前は、割りと岡村ともよく話してたっけ。二宮のやつ」

「どんな話をしていたのか、覚えているかしら?」

「えー……」と水嶋は、しばらく目線を上にして記憶を辿る。

「ごめん。あんまり覚えてないけど、二人とも十八世紀とか十九世紀ぐらいの……」

「印象派とかポスト印象派とか、その辺かしら?」

「うん。その辺りの画家が好きだったから、たぶん、それに関する話だと思う」

 すると、そこで水嶋のスマホがメッセージの着信を告げる電子音を奏でた。

 水嶋が画面を見ながら指を這わせる。

「あー……ごめん。そろそろ、行かなきゃ」

 そう言って、申し訳なさそうな顔で笑う。どうやら、同じ学校の友だちと会う約束があるらしい。

 桜井と茅野は素直に礼を述べる。

「わざわざ、ありがとう」

不躾ぶしつけに色々と聞いて、申し訳なかったわ」

 水嶋は首を横に振る。

「いや。私も、岡村とか二宮の事、誰かと話したかったし。でも……」

「でも……?」

 桜井が首を傾げる。

「何か、やっぱり、話し辛くて……」

 誰かと語りたいが気が引ける。よく知った人間との話題にするには気まずいが、初対面の人間になら話せる。二人の死をいたむ気持ちはあるが、やはり他人事でしかない。

 つまり水嶋にとって、岡村十和子や二宮健太との距離感は、そんな程度という事なのだろう。

 そういった心情を何となく察した桜井と茅野は、ここでも岡村十和子の孤独を感じて、何とも言えない表情で顔を見合わせた。

 それから、彼氏と共にフードコートから去る水嶋の後ろ姿を見送りながら、桜井は口を開いた。

「循……どう思う?」

 その桜井の丸投げするかのような問いに、茅野は思案顔で答える。

「今のところ二人の接点は、やっぱり、おにぎり坂だけという事かしら。二人とも佐々野中の美術部だったと言っても、岡村さんと二宮健太が共に部に在籍していた期間は半年程度。それも今から五年も前の事だもの。今のところは、同じ美術部だった事が二人の死に関係しているとは思えないわ」

「うーん。九尾センセにも視る事ができなかっただけで、実はあの坂に超やべーやつが棲んでいたとか」

「でも、心霊関係だけ・・は、九尾先生は間違いのない力を持っているわ」

「そうだよねえ。心霊関係だけ・・は頼りになるからねえ、あの人は……」

 そこで茅野が飲み干した珈琲の紙コップを手にして立ちあがる。

「まあ、取り合えず、明日は我が校の美術部へとお邪魔しましょう」

「そだね」と桜井が茅野の提案に同意する。




 四月七日。

 岡村進は朝起きると台所へと向かった。

 すると、そこには誰もいない。

 流しの蛇口から水滴がそっと落ちた。

 進は居間との鴨居の上にかかった時計の文字盤を見あげた。七時四十三分。

 いつもなら、娘の十和子が朝食の準備を整え終わっている頃だ。

 岡村は眉間にしわを寄せて「何だよ……」と呟いた。

 いくら緊急事態宣言で学校がないからといって、寝坊をするのはよくない。

 しかし、この日は十和子の誕生日である。あまり口煩くちうるさく言って、機嫌を損ねられるのも面白くなかった。せっかく用意したプレゼントが渡し辛くなってしまう。

 取り合えず、進は娘の部屋へと向かった。

 引き戸の前に立ちノックする。

「おい、十和子。起きろ」

 返事はない。

「おい、もう朝だぞ?」

 返事はない。

 ここで、彼の第六感が不吉な予兆を感じ取った。ごくりと唾を飲み込んで喉を鳴らす。

「……開けるぞ? 十和子」

 引き戸を勢いよく開けた。

 すると……。

「あああぁ……そんなぁ……」

 ぐしゃりと踏みつけられたトマトのように表情を歪める進。まるで、足腰が砕け散ってしまったかのように、その場にへたり込んだ。

 それは戸口から左手だった。

 十和子が納戸の取っ手に結ばれた紐を首にかけ、中腰で尻を床から浮かせている。二本の脚は中途半端に開いたコンパスのようにぴんと伸びてかかとだけが床に擦れていた。

 なぜか鶯色うぐいすいろと白のワンピースを着ている。それは十八年前に他界した彼の妻のものだった。

 その首筋は千切れんばかりに伸びきり、顔色は青ざめ、表情は苦しみに歪んでいた。

 明らかに死んでいる。

 進は悲鳴をあげた――




 味噌汁の匂いが鼻をついた。

 岡村進は目蓋を押し開き、緩慢かんまんな動作で視線をあげる。すると、テレビ画面の向こうでニュース番組に出演している専門家が辛辣しんらつな調子で政府のコロナ対策を非難していた。

 そこで、進は自分が夕食前に居間の畳の上に横たわって、うたた寝していた事に気がついた。

 起きあがり、額を押さえてこめかみを揉んだ。

 また、あのときの夢だ……。

 しかし、すぐに進は首を傾げて独り言ちる。

「あのとき……?」

 “あのとき”って何だろう。いつの事だろう。その“あのとき”には何があったのか……思い出せない。無理やり思いだそうとすると頭痛がした。

 しばらく、ぼんやりしていると、台所の方から焦げ臭い香りが漂ってくる。

 進は立ちあがり、慌てて台所へと向かう。コンロにかけていた味噌汁の鍋が焦げついていた。

 急いで火を止める。そして……。

「駄目じゃないか、十和子。ちゃんと鍋の火を見ていないと……」

 進は台所の片隅に漂う薄暗闇へと向かって言った。


 そこには・・・・誰もいなかった・・・・・・・

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