【03】日常回


「それじゃ、行こっか……」

「そうね」

 桜井梨沙と茅野循は、肩を並べておにぎり坂の石段を登り始める。

 二人は石段の一段目へと同時に足を乗せた。次の瞬間だった。

「おおっとー」

「あらー」

 わざとらしく転んで両手を突いた。特に示し合わせた訳ではなかったが、考える事は同じであった。

 立ちあがりながら両手や膝を払う。

「まあ、一応はやっておかないと……」

「そうよね」

 二人で顔を見合わせて噴き出す。

 その直後だった。誰かが階段を降りて来る。

 薄桃色のポロシャツと草臥くたびれたデニム、黒マスクを顎下までずらしている。桜井や茅野と同年代くらいの男だった。

 その男は心ここに有らずといった調子の遠い目をしており、ふらふらとおぼつかない足取りで二人の横を通り過ぎようとした。

 すると、次の瞬間、男は右足を踏み外してしまう。

 短い悲鳴があがる。

 そのままでは、段差を転げ落ちるところであっただろう。

 しかし、すんでのところで桜井が彼の腰に手を回し、事なきを得る。

「セーフ……」

「あ、あ……ごっ、ごめん……ありがとうございます」

 男は顔を赤くしながら、しどろもどろになってバランスを取り直す。

「気をつけなければ駄目よ?」

 茅野が苦笑しながら声をかけると、彼はますます照れ臭そうにしながら「すいません……」と頭をさげて、足早に石段を降りていった。

 そのまま、コンビニの脇を通り抜けて表通りへと姿を消す。

「顔つきがずいぶんと危なかったけど」

「ヤクでもやってたのかもしれないわね」

「そーかもね」

 あっさりと流す二人であった。

 そうして、再び石段を登り始めた。




 おにぎり坂の石段を登ると公園の外周を取り囲む銀杏並木の遊歩道へと辿り着く。

 階段を登ったばかりの二人の前を、ジャージ姿の老婆とリードに繋がれたスコテッシュハウンドが通り過ぎてゆく。へっへっへっ……と、舌を出し、ご機嫌な様子であった。

「わんこ、可愛い」

「ちょっと、歩いてみましょう」

 二人は遊歩道を時計回りに公園を一周する事にした。

 もちろん、適当に撮った写真を九尾に送りつけながら“私たちだって公園の散策とか普通の事もするよアピール”に余念がない。

 九尾は特におかしな反応は示さず、目視でも特に気になる点はない。いたって普通の公園である。

 遊歩道の内側に立ち並ぶ銀杏の向こうには、花壇や植え込みや芝生の広場があった。その中央には、大きな塔状のモニュメントと噴水が見える。近隣の住民らしき小さな子供と、その親らしき大人たちが何組か遊び回っていた。

 そのまま、しばらく遊歩道を歩くと、左手にカトリック教会の霊園が見えてくる。

 学校の体育館より少し小さいくらいの広さで、古びた大理石の墓石が整然と並んでいた。

 遊歩道との間には背の高いフェンスが連なっており、入り口は厳めしい鉄格子の両開きによって閉ざされていた。

 鍵は開いていたが“関係者以外立入禁止”のプレートが掛けてある。

 その門前を通り過ぎながら、桜井がぼんやりとした声をあげる。

「のどかだねえ……」

「何の変哲もないとは、この事ね」

 茅野もどこか気の抜けた調子であった。

「これは、今回はハズレみたいだね。九尾センセも反応がなかったし」

「そうね。岡村さんの自殺の原因は、彼女の個人的な悩みによるもので、特に霊障などは関係ない……という事で終わりかしら?」

 そこで桜井が真っ正面に向かって唐突に鋭い眼差しを向ける。そして、びしっ、と右手の人差し指を突きつけ、


「おにぎり坂編、完!」


 ……などと、言い放つ。

 すると、茅野は「誰に向かって言ってるのよ……」と、苦笑して肩をすくめた。

「まあ、このまま、遊歩道を一周して帰りましょう」

「そだね。あと、せっかくだから何か食べていこうよ」

「なら、前から行ってみたかった町中華がこの近くにあるのだけれど……」

 茅野がスマホに指を這わせて言った。

 諸手もろてをあげて賛同する桜井。

「わーい! ラーメンと半チャーハン!」

「賭けてもいいけど、貴女の注文は絶対にラーメンと全チャーハンになるわ」

「そかなー?」

 こうして、二人は何事もなく帰路に着いたのだった。




 新しい週が始まった朝の事。

 茅野循はいつも通りの時間に起きると、身支度を整えてリビングへと向かう。

 キッチンには制服にエプロン姿の薫がおり、朝食の準備にいそしんでいた。

「あ、姉さん、おはよう。今日はどっち?」

「オムレツで」

 と、端的に答えてリビングのソファーに腰をおろす茅野。

 既にローテーブルには、クロワッサンやサラダなどが並んでいた。じゃがいものポタージュが温かな湯気を立ちのぼらせている。

 茅野はあくびを噛み殺し、ローテーブルのすみにあったリモコンを手に取って、テレビの電源を入れた。

 すると、チャンネルはローカル局のニュースで、キャスターが原稿をめくり、次のトピックへ移るところだった。


『昨日十八時頃、藤見市佐々野の河川敷で、男性が頭から血を流して死んでいるのを近隣住民が発見しました……』


「あら。ずいぶんと近い場所ね……」

 茅野はちぎったクロワッサンを口に運びながら画面を注視する。

 映像はスタジオから、その事件現場のVTRへと移り変わっていた。

 橋の上から撮影されたもので、右手の河川敷に何名かの警察関係者の姿が見えた。土手の上には、パトカーなどの関係車両が並んでいる。


『……死んでいた男性は、付近に住む高校生三年生の二宮健太さん十八歳で……』


 と、そこで画面の隅に被害者の顔写真が現れる。それを見て茅野は驚きのあまり、口の中に放り込んだばかりのクロワッサンの欠片をぽろりとこぼした。

 なぜなら、その二宮健太なる人物の顔は、先週の木曜日……七月二十三日に、おにぎり坂で転びそうになった男と同じだったからだった。

「そんな……。おにぎり坂は、普通の坂じゃなかったの……?」 

 呆気に取られ独り言ちる。ニュースのナレーションが、右耳から左耳へすり抜けてゆく。


『……現場の状況などから、二宮さんは何者かに殺されたものと見て、警察は捜査を始めました』


 あの階段でけた人間が二人も死んだ。

 これは単なる偶然なのか、それとも……。

 おもむろにスマホが震え、メッセージの着信を告げた。

 手に取って確認すると、桜井梨沙からだった。


 『循! ニュース見た?』


 どうやら、桜井も同じ番組を見ていたらしい。

 素早く『見たわ』と返信を送り、ほくそ笑む。

「ようやく、面白くなってきたじゃない……」

 このあと、茅野は手早く朝食を取って自転車に股がると、学校までの道を急いだ。

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