【01】おにぎり坂


 二〇二〇年七月二十三日の放課後の事。

 朝から降り続いていた雨はあがり、呼吸をするたびに蒸し暑い湿気が鼻孔から肺へと侵入する。

 頭上には、相も変わらず重苦しい鉛色の雲が漂っていた。

 そこは、県庁所在地の海に程近い、古い町並みの通りであった。

 沿道には昭和の時代を感じさせるような背の低いビルやアパートが建ち並び、海の方へ向けて、なだらかに下りの傾斜が続いている。

 その歩道を行くのは茅野循と桜井梨沙であった。

 もちろん、心霊スポット探訪……であるのだが、今回はいつもとおもむきが異なっていた。

「……昔、この辺りに大きな砂丘があったらしいわ」

 そう話を切り出したのは、茅野であった。

「……だから、この辺りの土地は割りと傾斜が多かったりするのだけれど」

 そこで、隣を歩く桜井が「ふうん」と、いつものような気のない返事をした。

 すると、茅野が前方を指差す。

「あれね……」

 それは前方十メートルほどの右側だった。

「あそこか……」

「ええ。“転んだ人は死ぬ”と言われる呪われた坂よ」

 古びたアパートとコンビニの狭い隙間には、二十メートルほどの古びた石段が延びている。

 登った先は通りの裏手にある公園の敷地内に通じているようだった。

 二人は、その古びた石段を見あげた。

「そりゃ、死ぬよね。転んだら。こんな急勾配きゅうこうばいだし」

 桜井が呆れ顔で笑い、肩をすくめる。

「まあ、この手の転ぶと“何時何時いついつに死ぬ”という坂道は、けっこうたくさんあるわ。有名なところだと京都の清水寺近くにある三年坂ね。この坂道で転んだ者は三年後に死ぬと言われている」

「そこは、ガチのやつ?」という桜井の質問に、茅野はあっさりとかぶりを振った。

「とうぜんながら医療技術が未発達だった昔は、転倒で負った少しの怪我でも命取りになる事はよくあった。そもそも、誰もくだんの坂で転んだ人を追跡調査して三年後にどうなったのか統計をとったりした訳ではないから……」

「まあ呪いじゃないか……」

「そう言う事ね」

 と、茅野は答えるが、どうにもその顔つきは、この日の空模様のように浮かないものだった。

 そんな彼女の隣で、桜井がネックストラップに吊るされたスマホで階段を撮影し、画像を貼付したメッセージを九尾のアドレスへと送信する。

 彼女に心霊絡みの画像を送りつけ、無理やり霊視させる……最近、定番となりつつある心霊探知法である。

 すぐにメッセージで返事があった。

 その文面は以下の通りである。


 『何なの? この階段。風情はあるけど』


 どうやら反応なしのようだった。 

 因みに、桜井と茅野は普段からあまり意味のない画像を定期的に九尾へと送りつけ、それをネタに雑談を交わすようにしていた。

 純粋に九尾とのやり取りを楽しみたいという思いもとうぜんあるのだが、唐突におかしな画像を送りつけて『あ、またあいつらやってんな』と気取られないためのカモフラージュである。

 意味のない画像の中に、本物の心霊絡みの画像を差し込む事で、九尾天全のリアルなリアクションを引き出そうという狙いである。

 なので、毎度同じ手段で強制的に霊視させられている九尾天全が間抜けという訳ではない事を本人の名誉のために、ここで明言しておく。

 閑話休題。

「取り合えず、予想通り、この階段はシロみたいだけれど……」

 茅野の顔は浮かない。

 そして、桜井が思案顔でうなる。


「うーん。じゃあ・・・何で・・岡村さんは・・・・・死んだ・・・んだろうね・・・・・?」


 彼女たちの同級生であった岡村十和子が自宅で首を吊ったのは、緊急事態宣言中の四月七日の事であったという。

 桜井と茅野は、この訃報を学校が再開された五月二十一日に、クラス担任の口から知らされた。

 そのときは、身近な知人の死に感慨深い思いを抱きながらも“そういう事もあるだろう”といった程度の感情しか湧かなかった。

 そんな訳で、さして親しい訳でなかった彼女に関する乏しい思い出は、ほんのつい最近まで新しく始まった日常の中に埋没していた。

 しかし、その岡村十和子について、興味深い話が二人にもたらされたのは、連休明けの七月二十二日の昼休みだった。




 それは、いつものオカ研部室であった。

 この日も、桜井と茅野にくわえ、西木千里の三人でテーブルを囲んで昼食を取っていた。

 特にこれといって特筆すべき話題もなく、いつも通り桜井と茅野がボケ倒し、西木が苦笑しながら突っ込むという、なごやかな風景が繰り広げられていた。

 そんな折りに、自作弁当の銀鱈ぎんだらの西京焼きを口元に運びながら、桜井が切り出した話が発端であった。

「……そういえばさ、西木さん」

「何?」と、西木は味噌焼きおにぎりを包んだアルミホイルをむきながら、桜井の問いかけに返事をする。

「心霊写真を撮るのに何かコツってあるのかな?」

「いや、私に聞かれても……撮った事ないし……」

 苦笑する西木だった。

「でも、これまで貴女が撮影した写真をつぶさに見直せば、一枚ぐらいは写っているかもしれないわね。何らかの霊が……」

 茅野はそう言って、コンビニのチキンサンドを一口齧ひとくちかじる。それから、甘い缶珈琲のリングプルを開けた。

 西木は困り顔で「そんな怖い事を言わないでよ」と、茅野の言葉に突っ込む。

 すると、そのすぐあとだった。西木がおもむろに何かを思い出したらしく、はっとした表情で手を止める。

「どしたの? 西木さん」

 桜井が怪訝けげんそうに首を傾げる。

 すると、西木は、ほんの少しだけ逡巡しゅんじゅんしたのちに口を開いた。

「……この前、まさに写真のデータを整理してたんだけど」

「お、ガチであった?」

「ううん、違うけどさ。えっとね、県庁所在地の海に近い方の公園があるでしょ? 大きな噴水とか、銀杏の並樹とか、園内にカトリックの霊園もあるところ」

「ええ。解るわ。あの公園ね」と、茅野が頷く。

 一方の桜井は話を聞いているのかいないのかよく解らない顔をしていたが、いつもの事なので話を進める。

「今年の二月の終わりかな? テストが終わった直後なんだけど、ちょっと、その公園で、撮影しにいったの。部のみんなで」

 ちょうど、データを整理していた際に、そのときの写真が出てきて思い出したのだという。

「そこで岡村さんを偶然、見かけてさ」

「岡村さんって、あの……」

 桜井の言葉に西木は神妙な表情で頷く。

「そのときの彼女の様子が少し変で……」

 そう前置きをすると、当時の記憶を反芻はんすうしながら語り始めた――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る