【09】金貸し


 工場の正面左側には収集車用の入り口であるシャッターが並び、右側には管理棟があった。

 その管理棟の玄関へと桜井梨沙と茅野循は向かう。

 コンクリートのステップが武骨なひさしの下まで続いており、その向こう側に両開きの扉があった。

 鍵はしまっていたが扉の硝子は割れており、簡単に構内へと侵入を果たす二人。

「しかし、あの生首は、けっこうリアルだったよね」

「そうね。ただ生首のあとに、鼠の死骸では、少々、物足りなさを感じるわ」

「だよねえ……」

 などと、怪異に駄目出しをしながら、荒れ果てたリノリウムの廊下を進む二人。

 その壁や床や天井には、赤いペンキで……。


 “帰れ!”

 “来るな!”

 “死ね!”

 “殺すぞ!”

 “呪われろ!”

 

 ……などと、物騒な言葉で埋め尽くされていたが、既に二人は反応すらしなくなっていた。

 そうして、桜井と茅野は、その両開きの扉の前に辿り着く。

「多分、この先は工場の中だと思うけれど……」

「循……あれ……」

 桜井が扉の右側の壁を指差す。

 そこにはコンソールパネルがあった。

「この扉のやつかな?」

 しかし、液晶画面は真っ黒で電源が入っている様子はない。

 茅野がそのコンソールパネルに近づいて観察する。

「梨沙さん、これ、瓦落多がらくたを壁に貼りつけただけみたい」

 どうやら、インターフォンか何かのコンソールパネルをダクトテープで壁に貼りつけたものらしい。

「誰かの悪戯?」

 首を傾げながら、桜井がべりべりとパネルをはがす。

 すると、おもむろに両開きの扉が少しだけ開き、その隙間から、ぬっと、何かが顔をのぞかせた。

 それは、赤ら顔に尖った耳。ざんばらの髪から突き出た二本の角。

 明らかに鬼であった。

 その鬼は、二人の方へ爛々らんらんと輝く双眸そうぼうをぎろりと向けて言う。

「帰れ……さもなくば、取って食」

「うりゃあーっ!」

 そこで、扉から突き出た鬼のあごに、桜井梨沙のアッパーカットが着弾する。

 ばすん、と鈍い音が鳴り響き、赤い飛沫しぶきが天井まで飛び散った。扉がばたりと閉まる。

 そして、扉前の床に、べちゃり……と、落下したのは、割れた西瓜すいかであった。

「つい、反射的にやってしまった……」

 桜井が右手をぶらぶらさせながら言った。

 すると、扉の向こうから、誰かの忌々しげな声が聞こえた。

「おそげえ娘どもだ。きっと二つ岩の金貸しの手下に違いない……おそげえ、おそげえ……」

 その声は次第に遠ざかり、小さくなってゆく。

 そして、扉の向こうにあった気配はなくなり、完全に静寂が訪れる。

「循……」

「何かしら?」

 茅野はデジタル一眼カメラの映像を、スローモーションで確認しながら桜井に応じる。やはり、扉の隙間から顔をのぞかせたのは西瓜だった。

 どうやら棒か何かに刺した西瓜を扉の向こうから、何者かが突き出したらしい。

 その直後、桜井の鉄塊の如き拳が、西瓜にめり込んでたわませ、砕き割っていた。

「おそげえって何?」

「おそげえは、佐渡弁よ。恐ろしい娘って事ね」

「ふうん」と桜井。

 そして、扉を見つめながら首を傾げる。

「あたしたちの事を借金の取り立て人と勘違いしたのかな……」

「佐渡……二つ岩の金貸し……」

 思案顔をする茅野に桜井は問う。

「もしかして、だいたい解った感じ?」

「まだ何とも言えないわ」

「そっか、まだか」

「ただ、佐渡と二つ岩の金貸しで、思い当たるのは“団三郎狸だんざぶろうだぬき”ね」

「だんざぶろう……だぬき?」

 桜井が首を傾げる。

「団三郎狸は佐渡の相川町に伝わる化け狸の事よ。淡路島の芝宇右衛門狸しばえもんだぬき、香川の太三郎狸たさぶろうだぬきと並ぶ、日本三名狸に列せられる由緒ある化け狸ね」

「へえ……強そうだね」

 桜井が戦闘者の笑みを浮かべる。

「まあ、強いかどうかは解らないけれど、かなり狡猾こうかつな化け狸で、人間相手に金貸しをしていたそうよ。現在では二つ岩大明神として祭られているらしいわ」

「なるほど。さっきのやつは、私たちの事を、その化け狸の手下だと勘違いしたんだね」

「そうだと思うわ」

「でも……」

 と、桜井は扉を見つめながら疑問を提示する。

「狐狸無山には、狐も狸も恐れをなして逃げ出すほどのヤマナリサマがいるんだよね」

「そうね」

「さっきのがヤマナリサマだとすると、何で狸の事を怖がってるのかな?」

 茅野は「さあ」と肩をすくめる。

「やっぱり、団三郎狸と言えば有名な化け狸の親分だから、そこら辺の狸とは格が違うのではないかしら? もしかしたら、ヤマナリサマに山を追い出された狸たちが海を渡って団三郎狸を頼ったとか。それで団三郎狸からの報復をヤマナリサマは恐れているのではないかしら?」

「あー。何かありそう」

 桜井が得心した様子で頷く。

 すると、そこで茅野は、両開きの扉を鋭い目つきで見据える。

「兎も角、今までの事を踏まえると、“仮称ヤマナリサマ”は幻覚を操り、人語を解し、ある程度、人間の道具を使える怪異という事になるわ」

「知能はありそう。強敵だね」

 と、鹿爪らしい顔で頷く桜井の言葉に、茅野は頷いて同意を示した。

「取り合えず、この扉の向こうを探索してみましょう。話はそれからよ」

「らじゃー」

 桜井は返事をして、二枚の扉板に両手を突いて押し開いた。




 その空間の壁や天井の到るところには、配管が縦横無尽じゅうおうむじんに這い回り、ほこりにまみれた蜘蛛の巣が張っていた。

 遥か昔に動きを止めたファンのプロペラ、壁に並んだ用途不明のスイッチ、鎖に繋がれた巨大なバケットと、その操縦室……。

 床は砂埃すなぼこり蝙蝠こうもりの糞にまみれ、野生動物の足跡がそこらじゅうに浮き出ている。

「特に何の変哲へんてつもない清掃工場だけれど……」

「循、あれ!」

 と、桜井は指を差す。

 それは正面奥のバンカーの縁だった。

 床にうつ伏せで倒れる人影があった。

「何かの罠である可能性もあるわ。気をつけていきましょう」

 そう言って茅野は、リュックから飛び出たスタンロッドの柄を引き抜いた。

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