【06】復讐の狼煙


 北野は亥俣に案内され、管理棟の従業員向けの玄関から工場構内へと入った。

 荒れ果てたリノリウムの廊下を進み、その部屋へと連れられる。

 そこには、天井からプロジェクターのスクリーンがぶらさがっており、部屋の隅には壊れたブラウン管のテレビやVHSのデッキなどが乗った錆びついたスチールラックがあった。窓辺には、ベコベコに折れたブラインドが並んでいる。

 どうやら、元は会議室のような場所だったらしい。

 その部屋の中央に、折り畳みの長机がポツンと置いてある。

「……ささ。どうぞ、どうぞ」

 促されて長机の前に立たされる北野。

 そして、亥俣は長机に置かれた物を右から順番に指差す。

「ナイトゴーグル、ピンマイクとイヤホン、黒革の手袋、そして、鞘つきの剣鉈けんなた……これが、支給される装備品になります」

 北野は、ごくりと喉を鳴らす

 これから、本当に始まるのだ。

 冗談みたいな人殺しの宴が……その実感がようやく湧いてきて、武者震いが込みあげる。

「どうしました? 早く準備をしてください」

「ああ……でも、大丈夫なのかな?」

「何がですか?」

「僕、上手くできるかな? 有藤なんて、無茶苦茶、身体デカイし、こんな剣鉈一本で……」

「大丈夫ですよ。有藤さんがいかに体力に優れているといっても、大振りの刃物を前にすれば足がすくむにきまっています」

 亥俣はきっぱりと断言する。しかし、北野がごね始める。

「でもぉ……でもよぉ……僕、体力に自信ねえし……」

 元より運動は得意ではなく、長年の引きこもり生活での不摂生ふせっせいが祟っており、彼の身体能力は虫螻むしけらに等しいレベルであった。

 亥俣は流石に呆れた様子で、はぁ……と溜め息をつく。

「人殺しなら慣れたものじゃないですか」

「は? お前、いったい何を言って……何を……」

 北野は目を丸くする。すると、亥俣は悪戯っぽい表情で、にひひ……と笑う。

「ほら。FPS。いつもやってるでしょ? ばーん、ばん。それとも、アレですか? 最近はソシャゲで札束の殴り合いばかりで、そっちの方はやっていませんでしたか?」

「な、そ、それか……。いや、ゲームと現実じゃやっぱり……違うだろう」

 と、北野は胸を撫でおろしながら、当たり前の事を言った。

 すると亥俣は「しょうがないなー」と言って、懐から黒い金属の物体を取り出した。

 それを見た北野は、大きく目を見開き亥俣の顔を見た。

「それは……マカロフPM」

 マカロフPMはロシア製の自動拳銃である。

「銃殺は、あまり人気がないんですよねぇ……なので、銃ではなるべく相手の手足を撃ち抜いて、とどめは刃物でお願いします」

「ああ、ああ……解った。で、どうやって撃てばいいんだ?」

 すると、亥俣が実演してみせる。

「安全装置はここ……で、スライドを引いて、こう。思ったより反動が強いんで、グリップはしっかりと握ってください」

 そう言って、スチールラックのブラウン管に黒光りした先端を向ける。

 次の瞬間だった。

「うおっ!! いきなり撃つんじゃねえよ!!」

 鼻先に落雷でも落ちたかのように、北野は両耳を塞いで目を瞑り、飛びあがる。

 数秒後、再び恐る恐る目を開ける。スチールラックの周囲に散らばっていた硝子片を目にすると、北野は「おお……」と声をあげた。

「撃たないときは安全装置を必ずかけておいてください。あと、今の私のように調子に乗って片手撃ちをするのはやめてくださいね? まず命中しないでしょうし、下手をすると手首が外れますよ」

「わ、解った……」

「弾はあと八発です。どうぞ」

 北野は亥俣の手から受け取ったそれを、ズボンの腰回りに無理矢理ねじ込んだ。

「なに、どんなに度胸のある者でも銃声を聞けば、肝を潰すものです。これさえあれば、あなたは無敵ですよ」

 亥俣はそう言ってから、長机の方へと視線を移して北野を促した。

「……さあ、今度こそお願いします。他のスタッフたちも、既にスタンバイしておりますので」

「あ……ああ……」

 北野は支給された装備を身につける。そのあと、亥俣と共に会議室のような場所をあとにした。

 再び迷宮じみたリノリウムの通路を右に左にと歩き、方向感覚が麻痺し始めたところで、大きな両開きの扉の前に辿り着く。

 金属製で、そこだけやたらと新しく感じられた。

 亥俣はその扉の右側の壁にあったコンソールパネルを手慣れた様子で操作し始める。

「この向こうが会場になります。扉から真っ直ぐ進んだ位置に四人が倒れているはずです。薬で眠っていますが、そろそろ目が覚める頃だと思います。左の壁際に並んだ柱の影に隠れながら近づくとよいでしょう」

「ああ」と北野が返事をすると、亥俣が扉を開けた。その向こう側から底冷えするような闇が流れてくる。

「……ああ。最後に。この扉が会場の唯一の出入り口となっております。ゲームが完全に終了するまで、施錠させていただきますので、何か不都合がありましたら、ピンマイクにてお知らせください。……では、ご健闘をお祈りします」

 北野はごくりと唾を飲み込み意を決して、その闇の向こう側へと一歩を踏み出した。




 その空間の壁や天井の到るところには、配管が縦横無尽に這い回り、ほこりにまみれた蜘蛛の巣が張っていた。

 遥か昔に動きを止めたファンのプロペラ、壁に並んだ用途不明のスイッチ、鎖に繋がれた巨大なバケットと、その操縦室……。

 窓は板で塞がれており、わずかに外から射し込む自然光以外の光源はない。

 北野は柱の影から様子をうかがう。

 ゴミを集積する巨大な縦穴――バンカーの前に、ぼんやりと四つの人影が見えた。

 どうやら、現状が把握できず、パニックにおちいっているらしい。北野にはそう見えた。

 そこで、まず最初の一手をどうするべきか考える。

 右手の剣鉈を見つめ、一対四での接近戦は不利だと思い直す。

 それならば、と……いったん剣鉈を鞘にしまう。やはり、マカロフPMに頼るしかないと考えた北野は、腰から飛び出たグリップを握って引き抜く。

 震える指先で亥俣に教えられた通り、安全装置を外す動作をして両手で構える。

 マカロフPMは、あの有名なトカレフよりも、あえて弾丸の速度を遅くして、貫通力を落としてある。

 その結果、弾丸が人体を突き抜けないため、トカレフよりも標的に重傷を負わせやすくなった。

 まさに対人用のハンドガンである事を、北野はネットやゲームなどから得た知識で知っていた。

「ぎひひひ……死ね」

 ほくそ笑み、無造作に四人へと狙いをつけ、震える人差し指に力を込めた――。

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