【03】エージェント


 それは、およそ四月前――二〇二〇年三月二十日の事だった。

 野干村の外れ。

 北野啓大の自宅二階にある彼の私室は、酷い有り様であった。

 食べ物の匂いと体臭の入り交じった甘ったるい腐敗臭が充満し、床には空の弁当容器やスナック菓子の袋、酎ハイの空き缶、汚ならしい衣類と共に、漫画本やゲームのパッケージが散乱していた。

 壁のカレンダーは何年も前のもので、日に焼けて色褪いろあせている。窓はほこりにまみれた分厚いカーテンによって、ずっと閉ざされたままだった。

 その部屋の中央で北野は不気味な笑みを浮かべながら半田鏝はんだごてを手にし、血走った目でローテーブルの上に置かれた基盤の回路を凝視ぎょうししていた。

 彼の不気味な含み笑いと共に、熱で熔けた銀色のしずくが落下する。

 その基盤は、時限爆弾の起爆装置であった。

 当初の彼は、自作した時限爆弾で自分の人生を台無しにした彼らを爆殺するつもりでいた。

 なぜ、そんな暴挙に出ようとしていたのか……。

 その切っ掛けは彼の父親の死にあった。

 北野は高校を中退して以来、ずっと自室に引き籠って暮らしていた。原因はクラスメイトたちとの不和である。

 彼は公衆の面前ではずかしめを受けて、学校へ行く事ができなくなってしまったのだ。

 有藤京介、七海瑞希、篠澤麻友子……忌々しい、クラスのトップカーストに君臨していたリア充軍団と、親友だった水沼悠馬。

 この四人のせいで北野は、学校を辞めて無職引きこもりに落ちぶれてしまった。

 そういった事情から、北野は両親を当てにして生活をしていたのだが、まず母が自宅の階段から足を滑らせて死亡し、立て続けに父親も他界する。

 社会経験や知識に乏しく、手に職もない北野には収入を得る手段がない。

 それ以前に、孤独で他者とまともな関係を築く事のできない彼に、現状を打破するすべはない。

 もう死ぬしかないと思い詰めるも、踏み台に乗って欄間らんまからぶらさがった首吊りの輪を掴んだ途端、ひざが震えて腰が抜けた。

 だから彼は、警察に捕まって死刑になるつもりでいた。自分で死ねないなら、他人に殺してもらうしかない。

 そのために、あの四人に死んでもらおうというのだ。

「有藤、水沼、七海、篠沢……死ね死ね死ね……」

 もう爆弾の方は、半時もあれば完成するだろう。

 すると、そのとき、玄関のインターフォンが鳴り響いた。

 居留守を使おうかと思ったが、中々しつこい。チャイムを連打されて苛立ちが込みあげ、指先が震えた。

「ああああーっ!!」

 獣じみた叫び声をあげて、半田鏝の電源を落とした。頭をかきむしり、立ちあがる。

 その間もずっとチャイムは鳴り続けていた。

 玄関へと向かい、サンダルを突っかけて扉を開ける。

「何だよ!? うっせえなッ!」

 開口一番、怒鳴りつけた。

 すると、扉口の向こうには……。

「すいません……お忙しいところ」

 まるで喪服のようなスーツ姿のせぎすの男であった。

 漆黒の髪をオールバックに撫でつけ、切れ長の細い目の奥には真っ黒な瞳が油断ならない輝きを放っていた。

「な、セールスならお断りだぞ!?」

 その北野の言葉に男は首を横に振り、右手を口元に当てて声を潜める。

「……もしかして、完成しました?」

 どきり……と、北野の心臓が跳ねあがる。男は口角を釣りあげ、どこか威圧的にも感じられる微笑みを浮かべる。

「それとも、まだでしたか? 例のアレ……」

「お、お前、いったい何の話を……」

 北野のこめかみから冷や汗が垂れ落ちる。当然ながら、爆弾を作っている事は誰にも話していない。

 言葉を失い、二の句をつげずにいると、男は右手の握り拳を上に向かって勢いよく開き「ぼんっ」と、破裂音を口から放つ。

 それで北野は悟った。

 この男、なぜか自分が爆弾を作っていた事を知っている……。

 最早、作業を邪魔された怒りは完全に消え失せ、底知れぬ恐怖が込みあげてくる。

 唇を戦慄わななかせ、凍りついた思考をどうにか働かせようとしていると、男は右手に提げた鞄の中から名刺入れを取り出して、その中から一枚を北野に差し出した。

「申し遅れました。ワタクシ、こういうものでして……」




 『21TH FOX SNUFF MOVIES』


 日本支部エージェント 亥俣太郎いのまたたろう




「トゥエニーワンス、フォックス……スナッフムービーズ……?」

 北野は名刺に記された英字を読みあげて眉間にしわを寄せた。

 アメリカの某映像会社と何か関係があるのだろうか。ロゴも何となく似ている。

 名刺を眺めたまま思い悩んでいると、亥俣と名乗った黒ずくめの男は、ずい、と扉口の向こうに右足を差し込んで舌舐めずりをする。

「ちょっとだけ、お時間、よろしいでしょうか?」

 うさん臭い。

 しかし、彼が爆弾の事を知っているとなると、当然ながらこのまま帰す訳にもいかない。

 北野は悩んだ末に、この亥俣という男を家へとあげる事にした。





 亥俣を居間に迎え入れた北野は、台所へと向かう。冷蔵庫を開けながら、声をあげる。

「烏龍茶でいい?」

 すると、居間の方から「お構いなく」という返事が聞こえた。

 北野は烏龍茶の二リットルのペットボトルをダイニングテーブルに並べたグラスにそそぎ込む。

「……んで、亥俣さんだっけ?」

「はい」

 北野はグラスを手に居間へと戻り、座卓を挟んで亥俣と向かい合う。

「その……あんたのとこは、あのアメリカの映像会社と何か関係があるの?」

 その質問に亥俣は「ぶっ」と吹き出し、首を横に振った。

「いいえ、とんでもありません。無関係です。ほら。何かが流行ると、それとよく似た名前のパチモノが出回ったりするじゃないですか……それと同じノリですよ」

「ああ。うん……」

 北野は亥俣の態度に内心で苛立ちを覚えながらも、質問を続ける。

「それで、何の用なの……? 僕に……」

 まず、相手の出方をうかがいたかった。

 爆弾を作っている事を知りながら警察に通報もせず、直接やってきたという事は、恐喝が目的なのだろうか。

 両親の口座には、ほとんど金は遺されていなかったが、この土地や家が目当てならくれてやってもいい……北野は、そう考えていた。

 それで代わりに爆弾の事について口をつぐんでいてもらえば、彼としてはまったく問題はなかった。

 しかし、亥俣は北野の想定の遥か斜め上の事を口に出した。


「……えっと、ですね。北野さんは“スナッフ・・・・フィルム・・・・”というものをご存じでしょうか?」

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