【02】ゲーム開始


 それは、桜井梨沙と茅野循が野干村へと向かう前日の夜。

 二〇二〇年七月十八日の事だった。

 県庁所在地の繁華街にある焼き鳥屋『福鵬ふくほう』の小ぢんまりとした店内だった。

 カウンター内の焼き場から漂う肉汁と醤油タレの焦げる香が食欲をそそり、立ちのぼる白い煙が壁に並んだ木札のメニューをかすませる。

 しかし、店内の客の入りは、週末のアフターファイブであるにも関わらず、四割程度といったところであった。

 この現状を見るに病禍の影響は、さして感染拡大が深刻化していない地方都市においても如実に表れている事が見て取れる。

 わずかな客たちも、料理や酒に舌鼓を打ちながらも、それほど盛りあがってはいない様子であった。

 だが、そんな自粛ムードに反旗をひるがえすような、乾杯の声が奥座敷のふすまの向こうから響き渡った。




「かぁー……久し振りだわ」

 と、言ってジョッキの底を座卓に叩きつけたのは、いかにも体育会系出身といった体格のよい男だった。

 彼の名前は有藤京介ありとうきょうすけ。現在、二十五歳。

 その彼の言葉に応じたのは、明るい髪色の軽薄そうな男であった。

「まあ、リモート飲みも気楽でいいけど、やっぱり生飲みだよな」

 彼は水沼悠馬みずぬまゆうま。有藤とは高校の同級生であった。

「てか、生飲みって、何なのよ、もう……変な言葉、作らないでよ」

 水沼の肩を平手で叩き、ヘラヘラと笑うのは七海瑞希ななみみずき

 ボブカットでクールな印象の目元が特徴的な女だった。

「そういえば、二人とも……」と、有藤が水沼と七海の顔を見渡して、話題を切り出した。

「篠澤と連絡取ってる?」

 篠澤麻友子しのさわまゆこもまた、この三人の高校の同級生であった。

 彼女は県内に腰を落ち着けた有藤らとは違い、高校卒業を切っ掛けに都内の私立大学へ進学。そのまま向こうで就職した。

「一応、アドレスは知っているけど……」と七海。

 それを聞いた有藤は「おっ。俺にも教えろよ」などと言い出す。

 すると、七海は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「まゆ、今、カレシいるみたいだよ?」

「おおう……」

 有藤が沈痛な表情で頭を抱えた。それを見た水沼が手を叩き爆笑する。

 続いて七海も、有藤までも、笑い声をあげた。

 そうして、三人の笑いがひとしきり静まったあとだった。

 水沼は、ふとその事を思い出す。

「そういえばさあ……」

「なになに?」と、七海はお通しのきゅうりと、塩昆布の和え物を口へ放り込んで咀嚼そしゃくする。

 有藤もジョッキの柄を握りしめたまま、水沼の話を聞く構えだった。

「篠澤と言えば、あの仔犬、どうなったんだっけ?」

「あの仔犬……?」

 有藤が眉間にしわを寄せた。七海も目線を上にして記憶を手繰る。

「ほら、あの足に怪我してた……確か篠澤が家に連れて帰ったとかいう」

 すると、そこで襖が開き、その向こうからマスクをした店員が姿を現す。話が途切れる。

「はい、お待ちどうさま。串もり三人前と、ライス大盛り一つ……」

「ライス大盛りって、誰よ……?」

 と、呆れ顔をする七海。

 有藤が飼い主にしかられた大型犬のような顔で「ごめん、俺……」と、右手を小さくあげた。

「だよね。あんたしかいないよね」

 七海が半眼で有藤をめつける。すると、水沼が勢いよく右手をあげて、店員に向かって言った。

「僕も、ライス大盛り」

「あんたもかい!」

 七海はすかさず突っ込む。

 それから、三人は久々の外飲みで思いきり羽目を外して泥酔する。

 そのため、この日の彼らの記憶は、この辺りで途切れていた――。




 その空間の壁や天井の到るところには、配管が縦横無尽じゅうおうむじんに這い回り、ほこりにまみれた蜘蛛の巣が張っていた。

 遥か昔に動きを止めたファンのプロペラ、壁に並んだ用途不明のスイッチ、鎖に繋がれた巨大なバケットと、その操縦室……。

 窓は板で塞がれており、わずかに外から射し込む自然光以外の光源はない。

 床は砂埃すなぼこり蝙蝠こうもりの糞にまみれ、野生動物の足跡がそこらじゅうに浮き出ている。

 そんな中で、最初に身体を起こしたのは、体格のよい男であった。

 彼はしばらくぼんやりと周囲を見渡したあと、自分の手や顔についた汚れをはらい落とし、立ちあがる。

 そして、更に周囲を見渡して、他の三人が倒れている事に気がついた。

「お、おい……水沼? 七海?」

「んん……京介?」

「え、ヤダ……何であんたらが……」

 二人とも寝惚ねぼけているらしい。

 そして、四人目が起きあがり顔をあげた。

 デニムのジャケットにロングワンピースを着た垢抜けた格好の女だった。

「お前、篠澤か!?」

 と、声をかけられ、その女は大きく目を見開いた。

「京介くん? 何で……? それにナナちゃんと……水沼くんも……」

「まゆ!?」

「ちょっと、これ何なんだよ……てか、ここどこだよ!」

「知るか!」

「落ち着いて、ちょっとッ!」

 自分たちが見知らぬ場所にいる事に気がついたらしい四人は、一気にパニックにおちいる。


 ……その様子を、少し離れた物陰から見つめる男が、嫌らしい笑みを口元に浮かべながら呟いた。

「さあ、“ざまぁ・・・”の始まりだ……」

 彼の名前は北野啓大きたのけいた。有藤、水沼、七海、篠澤の四人とは、高校二年生まで同級生であった。

 北野は右手に大振りの剣鉈けんなたを握りしめ、音を立てぬように物陰から移動し始めた。

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