【01】警告


 桜井梨沙と茅野循が石段を登り終え、鳥居のトンネルから外に出ると、そこには木々に囲まれた薄暗い境内があった。

 すぐ右手に苔むした手水場ちょうずばがあり、石畳の参道が本殿まで延びていた。

 その本殿の裏手に、民家の瓦屋根と錆びついたテレビのアンテナが見える。どうやら、この神社を管理する宮司の住居があるらしい。

 そして、参道の中間には、阿吽あうんの形の狛狐こまぎつねが向かい合っている。

 桜井は狛狐のたもとで足を止めると、怪訝けげんな表情で首を傾げた。

「この狐さん、何か変だねえ。顔がしゅっとしてる……」

 彼女の言葉に、デジタル一眼カメラを構えた茅野が応じる。

「これは、どちらかというと、恐らくジャッカルではないかしら……」

「え!? ジャッカル!?」

 意外だったらしく、桜井は目を丸くする。

「ほら。背中にみのを背負ったような模様がある」

「本当だ……」

「ジャッカルは狐によく似ていて、漢字を当てると、野球の“野”に干し草の“干”で野干やかんという漢字を当てるわ」

「野干……この村の名前だ!」

 その桜井の言葉に茅野は頷く。

「まあ日本で“野干”という言葉は狐の異名として使われる事が多いのだけれど。それから、荼枳尼天ダキニてんの乗り物としても知られているわ」

「だきに……てん?」

「荼枳尼天は、元々、ヒンドゥー教では黒の女神カーリーの眷族けんぞくで、人の死を予言し、人肉を喰らう恐ろしい夜叉やしゃだとされているわ」

「人肉を喰らう……それは、腹パンしないと」

 桜井がボディーブローを虚空に向けて打つ。

 茅野はくすりと微笑み、解説を続ける。

「……ただ、荼枳尼天は、仏教において、大黒天により調伏ちょうふくされて、屍肉ならば食べてもよいという許可を得たの」

「ふうん。大黒様が言うんなら仕方がない……」

「日本では真言密教の尊天として呪術とも深い関わりがあり、その信仰はときに外法とされる事もある危険な女神よ」

「それは、ヤバイね」と言いつつ、例のごとく特におくした様子を見せない桜井であった。

「それで、狐というのは、野山に晒された屍肉を喰らうスカベンジャーで、昔は死を予兆する動物とされていた。そういったイメージが荼枳尼天との混同を招き、狐を使徒とするお稲荷様との習合を招いたと言われているわ」

「ふうん。つまり、ここのお稲荷様は荼枳尼天って事なのね」

「まあ、ざっくりとまとめるとそういう事になるわ。元々、お稲荷様は五穀豊穣ごこくほうじょうの神様である宇迦之御魂神うかのみたまのかみであったのだけれど、時代が進むにつれ、様々な神様と習合され、ありとあらゆる神格を獲得していった……」

「つまり、他の神様との合成によって、強いスキルをどんどん継承していった……みたいな」

「そうよ。荼枳尼天との混同も、その中の一つね」

「お稲荷さん、すげー」

 と、感心した様子の桜井。

 すると、そこで、おもむろに境内の方から声が聞こえた。


「詳しいのぉ……」


 桜井と茅野がそちらに視線を向けると、白い作務衣さむえを着た小柄なおきなが近づいてくる。

「誰だろ?」

「この神社の宮司ぐうじではないかしら?」

 翁は二人の元まで来ると朗らかな笑みを浮かべながら問うてきた。

「お主ら、狐狸無山へ登りに来たのか?」

「ええ。そうです」

 と、答える茅野。

 嘘は吐いていない。

「……ならば、あの山の裏側にある工場の跡には、絶対に行っちゃなんねえぞ?」

「何で?」

 桜井がきょとんとした表情で聞き返す。すると、翁は目を弓なりに細めたまま、その理由を述べる。

「あの工場には、恐ろしいお化けが住んでいるっていう噂があってのぉ……」

 桜井と茅野は顔を見合わせる。

「お化けって、ヤマナリサマ?」

「そうじゃの。あの工場は、おかしな人死にが相次いで起こっての。今から三十年前、閉鎖に追い込まれた。ふもとの村のもんは、ヤマナリサマの祟りじゃって信じておる」

 再び桜井と茅野は顔を見合わせる。

 すると、翁はくるりと背を向けて一言。

「そうでなくとも、なーんもない場所だ。建物も古いし、危険だから近づいちゃなんねえぞ?」

 そう言って、再び歩き去ってゆく。

 桜井と茅野は「はーい」と右手をあげて元気よく返事をした。そのまま翁を見送る。

 翁は、本殿の裏手にある民家の方へと姿を消した。

「……どう思う?」

「まあ、常識的に考えれば、お化け云々というのは、間違いなく廃墟に立ち入って欲しくないが為の方便なんだろうけれど……」

 そう言って、茅野はスマホを取り出し、指を滑らせる。

「……出てきた。あながち、出鱈目でたらめという訳ではないみたいね」

 桜井に画面を見せた。そこには、ネットニュースの記事が表示されていた……。




 『狐狸無山中の廃工場で焼死体 肝試しで発見』


 2020年2月11日


 11日午前0時30分ごろ、30年近く前に廃墟となった狐狸無山中にある清掃工場跡に肝試しで侵入した県外在住の10代の男女3人が、黒焦げとなった男性の遺体を発見した。自殺か事件かは現時点では不明。警察は被害者の身元の特定を急いでいる。




「けっこう、最近だね……」

 桜井が記事を読み終わると、茅野は再び指を滑らせる。

「……ただ、この工場、廃墟マニアの間では、それなりに有名で写真なんかもブログにアップされているのだけれど、心霊スポットだという話は見られないわね。さっきの宮司さんが言っていたような、工場が現役の頃にあったという人死にの話も見当たらない」

「ふうん……」

 と、話を聞いていない風の返事をする桜井。

「まあ、その工場が閉鎖されたのは三十年も前の話だし、何かの事故があっても関係者が口を閉ざしてしまえば、ネットに記事が残っていない事も考えられるけれど……」

「で、どうする? 循」

「それは、もちろん……」

 茅野は悪魔のように微笑んだ。


 ……翁の警告虚しく、二人は廃工場へと向かう事にした。

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