【File34】山奥の廃工場
【00】表記ブレ
ずっと続いていた長雨が、束の間の休息に入った二〇二〇年七月十九日。
その日の朝、桜井梨沙と茅野循は県北の山間部にある
心霊スポット探訪である。
近くの河川敷にあった駐車場へと車を停めて、村内を
その『いかにも登山にきました』といった風な、ハイカー
恐らく、この二人を見て心霊スポットを荒らし回っているなどと初見で見破る事は、かのシャーロック・ホームズですら困難であろう。
それはさておき、二人が行く路地の沿道には古びた民家に混ざって、クリーニング屋や美容室、煙草屋、酒屋などが並んでいた。
どうやら村のメインストリートであるらしい。
しかし、どの店も営業している気配はなく、往来する人の姿もない。
「いい感じでひなびているねえ……」
桜井がふわりと
「それで、今回はどんなスポットなの?」
例のごとく『現地についたら説明する』と言われただけで、何も聞いていない桜井であった。
そのもったいぶった当人が得意気な顔で、ようやく説明を始める。
「……そうね。今回は心霊よりも、妖怪案件かもしれないわね」
「ふうん」
と、桜井は、いつもの話を聞いていないような返事で応じる。すると、茅野が前方を指差した。
「ほら。あれを見て。梨沙さん」
それは、通りの突き当たりだった。
丁字路になっているらしく、左右へ別れた道と正面の山肌に列をなす朱塗りの鳥居が
「神社……?」
「そう。まずは、あの神社へと行ってみましょう」
そう言って、茅野は意味ありげに、ほくそ笑んだ。
杉の樹が林立する斜面に苔むした石段が横たわっている。その石段に沿って朱塗りの鳥居が、まるでトンネルのような長い行列を形作っていた。
「中々、壮観ね……」
と、茅野は階段の登り口に立って視線をあげた。
その右隣で桜井が質問を切り出す。
「何で、こんなに鳥居をいっぱい並べてるの、これ?」
「それは、この鳥居が、神社への奉納品だからよ。願いが叶うたびに鳥居が奉納されて増えてゆく。つまり、鳥居が多ければ多いほどご利益のあった神社であるともいえるわね」
「なるほど……つまり、これが神社のパワーか……」と、得心した様子の桜井。
「こうした奉納鳥居は、京都の
「おいなりさん……」
食欲のこもった目つきで腹をさする桜井。
「じゃあ、この神社もおいなりさんなの?」
「そうなのだけれど……あれを見て。梨沙さん」
そこで茅野は口元をにやりと歪めて視線をあげ、先頭の鳥居に掲げられた
『亥也大明神』
……と、書かれている。
桜井は眉間にしわを寄せて首を傾げる。
「いのしし……なり? あれで、“いなり”って読むの?」
茅野が頷く。
「そうらしいわ。元々、“いなり”は“伊奈利”と古い書物では記されていて、そこから“稲荷”と書くようになったと言われているわ。他にも“稲成”や、“稲生”などの表記はあるけれど、“亥也”なんていう漢字を当てているところは、ここ以外にないわ」
「何か意味はあるんだろうけど……解らん」
桜井が難しい顔で、額に書かれた社名を睨みつけ、腕を組み合わせる。
「事前に九段さんに聞いてみたのだけれど、彼にもよく解らないそうよ」
九段昌隆は、柿倉町に住む郷土史家である。
「それは、よほどだね」
桜井が鹿爪らしい表情で言い、茅野は頷いた。
「ええ。それで、このすぐ近くに“コリナシ山”という山があるのだけれど……」
「こりなし……どんな漢字を書くの?」
「
「狐さんと狸さんがいない山……って事?」
「ええ、そうね」
と、茅野は頷き、
「伝承では狐狸無山には、“ヤマナリサマ”と呼ばれる恐ろしい妖怪がいて、狐も狸も恐れて逃げ出したとされているわ。だから
「ヤマナリサマ……今回の敵はそいつか……」
桜井が拳を構え、しゅっ、しゅっ……と、リズムよくワンツーを虚空に向けて打ち込んだ。
「で、そのヤマナリサマって、どんな奴なの?」
「さあ」
と、肩を
「一応、この辺りの伝承や昔話を調べてみたけれど、ヤマナリサマについての具体的な記述はまったく見当たらなかったわ」
「そなんだ……」と、少しがっかりした様子の桜井だった。
茅野は、くすりと笑い右手の人差し指を立てる。
「ただ、“ヤマナリ”というのは、この辺の方言で“
「人魂系か……投げ技は効かなそうだね」
と、桜井は眉間にしわを寄せる。
「近年でも、不審な人影や不気味な声が聞こえたり、迷いようのない場所で遭難しかけたといった体験談が、ネットなどに投稿されているわ」
「確か、前に山のスポットはやべーって、九尾センセが言ってたから楽しみになってきたよ」
「そうね」と、茅野は桜井の言葉に同意して、
「それで、このあと、その狐狸無山へと登ってみようと思うのだけれど。標高自体は八百メートル程度だから、たぶんお昼前には充分に山頂へつけるわ」
「……見張らしのいい場所でのお弁当……いいねえ……」
桜井が
「……取り合えず、せっかく来たのだから、お参りしていきましょう。安全祈願に」
「そだね」
二人は朱塗りのトンネルを潜り、石段を登った。
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