【12】魔人誕生


 大正十五年――。


「何……!?」

 九尾天全は宿の電話室で受話器を耳に当てながら驚愕きょうがくする。

 宿に帰った九尾と岡田の元に、この一件で懇意こんいとなった警官からの電話があった。日の暮れたあとの事である。

 その第一声は、思わず耳を疑う衝撃的なものであった。

 それは、病院から火の手があがり、焼け跡から佐藤松子と思われる遺体が発見されたというものだった。

 警官の話の概要は以下の通りとなる。

 まず火元は佐藤松子の病室で、彼女の遺体はベッドで仰向けに寝た状態で発見されたのだという。

 遺体の顔面は酷く損傷しており、熱や煙で苦しんだ様子は見られなかった。

 この事から、彼女は失火前に絶命しており、他殺の可能性が濃厚であるのだという。因みに詳しい死因は、まだ解っていないのだそうだ。

 なお遺体の損傷が激し過ぎるがゆえに、指紋の確認は不可能であったらしい。

 そして、警官は、この一件と関わりがあるかは解らないが……と前置きをして、次の情報をつけ加える。

 何でも市内に住んでいた佐藤の学友が夜になっても帰って来ないと、家人から届出がされたのだそうだ。

 その学友の名前は宮藤サエという。

 佐藤松子とは同じ高等女学校に通う同学年らしい。

 更にその宮藤サエは、昼頃に「佐藤松子の見舞いに行く」と言って家を出たきりなのだという。

 確かに病院の面会者名簿には彼女の名前があり、記帳された時刻から佐藤松子と最後に顔を合わせた人物である可能性が高いらしい。

 警察は彼女を重要参考人として手配する方針なのだという――。


 話をすべて聞き終えた九尾は眉間にしわを寄せて目をつむる。

「……解った。それでは何かあり次第、また連絡を頼む」

 そう言って、通話を終えた。

 受話器を電話機の本体にかけて、電話室の外へと出る。

 すると、彼女の事を待っていた岡田が、不安げな眼差しを向けてきた。

「お嬢……いったい、警察は何と……」

「佐藤松子が死んだらしい」

 岡田は唖然とする。

「なぜ……」

「恐らく、逃げられた」

 九尾は確信していた。

 もう二度と彼女が自分たちの前に姿を現す事はないのだと……。




 絶え間ない震動と音。煙の香が鼻をつく。

 それは、真夜中をひた走る8620形の蒸気機関車だった。

 その客車の椅子に腰をおろし、暗闇にひたった車窓の景色をぼんやりと眺めるのは佐藤松子であった。

 彼女の服装は地味な和服で、髪はマガレイトに結ってあった。濃い化粧のせいか三つは歳上に見える。

 その窓硝子に映った赤の他人のような自分を見つめながら、佐藤松子は思い起こす。

 自分が一族を滅ぼそうと思い立った切っ掛けを……。




 松子が十二になり小学校を卒業したある日の事だった。

 叔母である本郷七重の提案を受けた母親から、自分が家を出て学校へと通わなければならないと聞かされたとき、彼女は泣きわめいた。

 それは単純に親や姉妹と離れなくてはならない事への不安と、未知なる世界に対する怖れからくる感情であった。

 松子は母親に理由を問い質す。どうして自分なのか、と……。

 母はその疑問にこう答えた。


『貴女が姉妹の中で、いちばん普通・・だから』


 三姉妹の中で梅子が“巫女”に選ばれた理由は、彼女の指が生まれつき欠けていたからだった。

 一眼一足の神である久延毘古くえびこを例に取るまでもなく、身体の欠損は神話や伝承の中でときに神聖のあかしだとされる。

 母親は一人だけ他とは異なる特徴を持って生まれた彼女に特別なものを感じたらしい。

 そして、次女の竹子は三人の中でもっとも器用で頭がよい。だから、母親は彼女を自分の側に置いておきたかったのだそうだ。

 したがって、自分を学校へ行かせるのだと……。

 これらの理由を耳にした松子は母の判断に納得しつつも、釈然しゃくぜんとしないものを感じた。まるで、お前はいらない子だと言われた気分におちいる。

 考えてみれば、儀式は姉妹が二人いればよいのだ。三人目は必要ない・・・・・・・・

 その考えに至ったとき、松子の心の中に小さく暗い炎が灯った。

 それは当初、自分を不必要とした母親への憎悪であった。

 しかし、その思いはいつしか大きく膨れあがり、一族全体への嫌悪に成長していった。



 それから学校へと通い始めた松子は、授業で習う事以外にも様々な知識を取り入れ始めた。

 医学、心理学、化学、物理学、数学、古今東西の語学、歴史、宗教、伝承、魔術や呪い等々などなど……。

 息抜きといえば小説を読む事ぐらいで、特に最初の三年間は、ほとんどの時間を勉強に費やす。そんな松子に対して、叔母の本郷七重は協力的であった。

 彼女に言われるがまま、高価な専門書や洋書、辞典などを惜しげもなく買い与えた。

 更に松子は実践的な呪術のやり方を、こっそりと妹の梅子から手紙で教えてもらい、それを同級生で試したりもした。

 お陰で彼女の学校では不審な死が相次ぎ、けっこうな騒動となったのだが、それはまた別な話となる。

 ともあれ、そうした研鑽けんさんを積む一方で、妹たちと手紙のやり取りを重ね、根気よく洗脳をほどこしていった。

 二人とも世間知らずの箱入り娘・・・・であったので、手懐けるのにさほどの苦労はいらなかった。

 また学校では宮藤サエと親密な関係を築きあげ、忠実な手駒へと育てた。

 彼女は女性同士の強い絆を描いたエス文学への憧れが強く、簡単に懐柔かいじゅうする事ができた。

 こうして、すべての準備を整えた松子は、まず手始めに竹子を言葉巧みに操り、母親の儀式を台無しにしてやる事にした。

 すべては一族を滅ぼすために……。




 機関車がどこかの駅へと停車すると、ぞろぞろと客が乗り込んできた。

 最初は閑散としていた車内も今は、七分ほどは埋まっていた。

「ここ、よろしいですかな?」

「ええ……どうぞ」

 鳥打ち帽を被った初老の男が荷物を網棚にのせて、佐藤松子の向かいに腰をおろす。

 そして彼は、にこやかな笑みを浮かべながら松子に問うた。

「こんな綺麗な若いお嬢さんが、長旅ですか……どこまでおいでで?」

 松子は少し迷ったが、気が向いたので会話に付き合う事にした。

「神奈川の相模まで……」

「ほう。そうですか。 そちらにお知り合いでも?」

「ええ……」

 嘘ではなかった。

 これから松子は叔母の知己であった呪術師の元に身を寄せようとしていた。

 叔母曰くその呪術師は、彼女たちと同じく朝廷に虐げられた別の“まつろわぬ民”の末裔であり、強い力を持っているのだという。

 その呪術師の名前は数寄屋幸四郎すきやこうしろう

 そして、物部天獄もののべてんごくと名乗り、相模湾岸を拠点に天傀教てんかいきょうという新興宗教の教祖をやっていたのだという。

 三年前の九月一日――関東大震災の日に行方不明になったとされるが、実はまだ生きているらしい。

 松子は彼に師事して力と知識を蓄え、一族を滅ぼす好機を窺う事にした。

 のちに、この出会いが、新たな呪詛と惨劇を巻き起こす事となる――。

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