【13】壺の中


 二〇二〇年七月八日――。


「一番、安全なのは、真ん中かしらね……?」

 などと言ってから、茅野循は壁際に並ぶ三つの石碑のうち中央のものを指差す。

「梨沙さん、あの石碑をどかして頂戴ちょうだい

「らじゃー」

 桜井は壁際へと歩み寄り石碑を引き倒した。どすん……という鈍い音が地下室全体に鳴り響く。

 そして、倒された石碑の下には四角い穴が空いており、そこには壺がおさめられていた。どうやら相当古い土器らしい。円盤型の蓋がしてあり、中身を窺う事はできない。

「何これ……?」

 首を傾げる桜井。

「最初は土器だったのね」

 茅野が穴の中の壺を覗き込みながら得心した様子で頷き、両側の石碑を見渡して言う。

「梨沙さん、残りの二つの石碑も同じように倒して頂戴」

「がってん」

 桜井は左右の石碑を倒す。すると、その下にもそれぞれ同じような壺が納められていた。

「間違いないわね。元々はこうした壺の中に“禁后パンドラ”の儀式の爪や歯を入れていたのよ。名前を書いた紙もこの中に……いや、紙ではなく木簡もっかんである可能性が高いわね」

「ふうん……」

 桜井は気のない返事をしつつ、真ん中の石碑の下にあった壺を引っ張りあげて地面に置いた。

「たぶん、この中には人間の歯と名前の書かれた木簡が……」

 と、茅野が地面に置かれた壺の蓋に手をかけて力を込めるが案の定、開かない。

「どれ……」

 今度は桜井が壺の蓋を鷲掴わしづかみにして捻るとあっさり開いた。

 そして、壺の中をベッドバンドライトの明かりで照らす。

 すると、底の方に無数のコーンのような黄色の欠片が入っているのが見えた。

 それはすべて古い人の歯であった。

 その歯に埋もれるように、三枚の木簡が入っていた。

 どれも掌に隠れる程度の大きさで、表面にはそれぞれ墨で、


 “噤劶”

 “麓垕”

 “焚洉”


 と、書かれていた。

「この壺は三代に渡って使われていたっていう事かしら?」

「“林”と“后”は縛りなのかな……?」

 桜井の素朴な疑問に茅野は首を捻る。

「どうかしら。“禁后パンドラ”の話の中に出てくる儀式が失敗して全滅した一家の母親の名前は“紫逅”よ」

「“紫”と“禁”て形が何となく似てるだけで違う漢字じゃん」

「そういうところのセンスの雑さも、私が“禁后パンドラ”の嫌いなところよ。そもそも、パンドラという喚び名だって語り部たちが玄関のない家につけた呼称であって禁后の読み方じゃないはずよ。それなのに物語の冒頭で語り部は……」

 と、茅野が再びディスりモードに入り始めたので、桜井は全力で話を逸らしにかかる。

「あー、それよりも、循」

「何かしら?」

「鏡台の引き出しの代わりが、この壺だったとして、肝心の鏡はどこなの?」

 茅野はその問いを受けて得意気に胸を張る。どうやら、あっさりと話を逸らす事に成功したようだった。

「……鏡がすでに持ち去られている可能性は当然あるわ。でもおかしいと思わない? 梨沙さん」

「どゆこと?」と小首を傾げる桜井。

 茅野は右手の人差し指を立てて自らの感じた違和感について述べる。

「この地下室に入れたのは私が床板を踏み抜いて落ちたからよ」

「うん」

じゃあ・・・通常・・の出入り口は・・・・・どこにある・・・・・のかしら・・・・?」

「あ……」

 ここで桜井はようやく気がつく。この部屋には天井に空いた穴以外の出入り口がない。

 地下室なので、当然ながら窓もない。

 天井の他の部分や壁を照らしても、開閉できそうな部分は一見して見当たらない。

「まるで“禁后パンドラ”の家のようだね」

「あの話をなぞらえたように思えるのは、単なる偶然でしょうけど……」

 そこで茅野はぐるりと部屋全体を見渡した。

「恐らくは、この石垣の壁のどこかに隠し扉があるはずよ。たぶん、この地下室がいつ頃のものかは解らないけれど、さほど複雑な仕掛けではなさそうね。押せば開くような……」

 おもむろに茅野は壁際にそって歩き始める。

 そして、石碑が並んでいる場所の反対側で、ぴたりと足を止めた。その床と壁の継ぎ目からは水が染みだしている。

「……たぶん、ここじゃないかしら?」

 茅野は壁に目線を向ける。そこには、ドラム缶を縦に置いたぐらいの大きめの石垣がはまっていた。

 がしがしと靴裏を石垣に当てて押す茅野。

「動きそうだけど固い……。梨沙さん」

 そう言って石垣から離れた。

 すると、桜井が石碑の前に移動し「うりゃー」と気の抜けた雄叫びをあげて駆け出す。

 それから、茅野が足で押していた石垣に強烈な前蹴りをかました。

 ごとん……と、音がして石垣が壁より数センチめり込む。

 桜井は再び石碑の前に戻ると「もういっちょ!」のかけ声と共に助走をつける。そして、二発目の前蹴りが炸裂した。その直後であった。

 石垣が壁の向こう側に倒れ水音が鳴り響く。

「どうやら読みは当たっていたようね……」

 壁には屈めば通れるくらいの横穴ができていた。

 その穴を覗き込みながら、茅野はヘッドバンドライトで中を照らす。

 どうやら天然の洞穴のようだった。天井の低い登り坂が闇の彼方へと続いている。

 倒れた石垣は、壁の裏にくぼみがあり、そこにはまり込んでいるらしい。

「この穴の向こうに鏡があるの?」

 桜井も穴を覗き込む。

「間違いないわ」と茅野が答えると、桜井は何の躊躇ちゅうちょもなく、身を屈めて穴を潜り抜ける。

「ちょっと、様子を見てくるよ」

「気をつけて」

 茅野が桜井の背中に声をかけた。

 そして、しばらく経つと穴の奥から桜井の声が聞こえてくる。

「外に出た!」

 その声を聞いて茅野も穴を潜り抜ける。身を屈めて登り坂を進む。

 すると、すぐに空気の流れを肌で感じ、夜の匂いが鼻先をくすぐった。

 十メートルほどで、湖畔の周囲の茂へと出る。

 そこからは、あの廃屋の裏手と黒々とした湖がよく見渡せた。

 茅野は外へ這い出て立ちあがり、草むらを出た。すると、近くの木陰にいた桜井が口を開いた。

「んで、循……けっきょく、鏡はどこにあるの?」

 その問いに、茅野は悪魔のように微笑んで指を差す。

目の前に・・・・あるじゃない・・・・・・

「ええ……?」

 桜井が首を捻る。

 茅野の指先は湖を指し示していた。

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