【07】巨頭の正体


 

 しばらくすると、農協の駐車場に銀のミラジーノが入ってきて、電話ボックスの前で止まる。

 運転席のサイドウィンドが下がり、その向こうから桜井梨沙が顔を覗かせた。

 茅野循は電話ボックスから外に出ると、銀のミラジーノに近寄る。

「私の偽者はどうしたのかしら?」

「パンチしたら消えた」

 その答えを聞いて、茅野は満足げに頷く。

「その容赦のなさ……間違いなく、梨沙さんね」

 そう言って助手席に乗り込んだ。

 すると、桜井がルームミラーに映る茅野の姿を確認してから言う。

「そういえば、あの偽者、鏡に映らなかったよ」

「それは、様式美だわ……」と茅野は感心した様子で頷き、桜井が「だね」と同意する。

「ところで、今回は、どんなやつなの? 九尾センセのメッセージで、ヤバいのが復活しようとしているらしい事は書いてあったけど、詳しくは循に聞けって」

「そうね。まずは道すがら話しましょうか」

 そう言って茅野は自らのスマホに指を這わせる。

「この国道沿いにホームセンターがあるわ。ちょうど隣に生鮮品を扱っているスーパーもあるわね。そこまで、お願い」

「らじゃー」

 桜井は車を走らせる。

「……で、けっきょく、今回の敵の正体って何なの?」

 その質問に茅野はあっさりと答える。

「巨頭さんの正体……それは、疫病神やくびょうがみよ」

「やくびょうがみ……って、『この疫病神め!』の疫病神?」

「そう。その疫病神ね。疫病神というのは、疫病えきびょうを司る悪神の事ね。疫病神は様々な姿で人間の前に現れるというわ。基本的には老婆やおきななどの姿に化けるみたいだけれど、ときには、鬼や人間の集団など複数人にも化ける事ができるらしいわ」

「神様とか、超強いじゃん」

 なぜか嬉しそうな桜井に、茅野はくすりと笑う。

「あの清戸の伝説は覚えているわよね?」

「ああ……確か、侍さんが死んだあと、町では疫病が流行ったんだっけ?」

「そうね」

「でも、それはよいとして頭の大きな化け物っていうのは何なの? 何か頭が大きな事に意味があるの?」

「もちろん、あるわ」

 と、言って、茅野はルームミラーを見ながら右手の人差し指を立てた。

「あれは、“アリス症候群”よ」

「ありす……しょうこうぐん……?」

「アリス症候群は、ものの大きさや自分の体の大きさが通常とは異なって感じられるなど、色々な主観的イメージの変容を引き起こす病気の事ね。名前の由来は、もちろん、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』からよ」

「ふうん。そんなのあるんだ」

「このアリス症候群の原因は様々なのだけれど、ウィルス感染による脳炎によっても引き起こされるらしいわ」

「ウィルス感染……つまり、疫病が原因って事だね」

「そうよ。そして、思い出して欲しいのだけれど、あの清戸の伝説は明和六年の話だったわよね?」

「うん」

「実はこの年、“稲葉風”と呼ばれるインフルエンザが日本で大流行した年でもあるの。二月頃に関西で流行し始め、徐々に関東方面にも広がっていった」

「ああ。確か侍さんは上方から来たんだっけ?」

「そう。恐らく彼は稲葉風によって引き起こされた脳炎により、アリス症候群を発症してしまった。錯乱した彼は木こりの一家を斬り殺してしまったんだと思うわ」

「うへえ……」と顔をしかめる桜井。

 前方にホームセンターとスーパーの看板が見えてくる。

「あ、でも、木こりの一家の死体は獣に食い荒らされていたって……あれは?」

「それは、侍が木こりの家を出たあと、本当に野生動物が死体を食い荒らしたのでしょうね。きっと時代的にニホンオオカミが犯人よ。『北越雪譜ほくえつせっぷ』という書物によれば、この近辺では、ときおり狼害ろうがいが起こっていたとされていたわ。この頃は日本中に掃いて捨てるほど棲息していたらしいし」

「狼って死体、喰うんだ……」

「そうね。ニホンオオカミの生態に関しては解っていない事が多いけれど、江戸時代の医師である寺島良安てらしまりょうあんの『和漢わかん三才図会さんさいずかい』で、“狼、人の屍を見れば、必ずその上を跳び越し、これに尿して、後にこれを食う”とあるから、たぶん食べるんじゃないかしら」

「餌におしっこ、かけちゃうんだ……」

 ちょっと、引いた様子でウィンカーを出す桜井。

 ホームセンターの駐車場に車を乗り入れる。

「じゃあ、侍さんが死んだのも、そのあと清戸村で疫病が流行ったのも……」

「全部、稲葉風のせいね」

「じゃあ、そのあと町で、頭の大きな怪物が現れたっていうのは……」

「アリス症候群、もしくは、単なる集団ヒステリーでしょうね」

 桜井が適当な空いているスペースに車を停める。

「本当に全部、疫病のせいなんだね」

「そういう事になるわね。そして、その病禍を招いたモノこそが、恐らく巨頭さんの正体よ」

「侍さんは“知り合いを尋ねてやってきた”っていう話だったけど」

「もしかしたら、そんな知り合いはいなかったのかもしれないわね。それか、その侍に疫病神が取り憑いていたのか……」

 茅野はそう言って、シートベルトを外して外に出る。桜井も続く。

 二人は広々とした駐車場を横切り、ホームセンターの入り口に向かう。

「やばいね。巨頭さんがもしも復活なんかしたら……」

 桜井が顔をしかめる。茅野も眉間にしわを寄せた。

「きっと、この町に何らかの疫病が蔓延まんえんする事になるでしょうね。単なるインフルエンザならまだマシだけれど……」

「コロナの時代か……」

 二人はうっそりとした顔でホームセンターの軒下を潜り抜けた。

「……んで、けっきょく、このホームセンターには何のためにきたの?」

 この桜井の質問に、茅野は悪魔のような微笑みを浮かべる。


「それは、これから、その疫病神と戦うための武器・・を作るのよ」


 そう言って、入り口近くにあったショッピングカートを引っ張った。

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