【06】取り敢えず殴る



 桜井は車でコンビニの駐車場を出たあと、国道をひた走る。そして、遠くに見えていた山がずいぶんと近くに見えてきた頃だった。

「……恐らく巨頭さんが復活しようとしている」

「巨頭さんって、あの伝説の?」

「そうよ。恐るべき存在よ」

「それは、なかなか面白い事になってきたね」

「面白い事……? ふざけている場合ではないわ。この町を救えるのは私たちしかいないのよ!」

「またまた、ご冗談を」

「冗談? 冗談ではないわ。巨頭さんは本当に“いる”の」

「……ふうん」

 桜井はフロントガラスの向こう側に目線を置いたまま気のない返事をした。

 そして、ぼそりと独り言ちる。

「これは、腹パンかなあ……」

「えっ?」

「いや、別に……」

 会話が途切れる。

 桜井はこのとき、茅野が何かおかしな霊に取り憑かれてしまったのではないかと疑っていた。

 どう考えても、助手席に座る茅野循の言っている事がおかしいからだ。

 しかし・・・茅野循である・・・・・・

 何かの冗談かもしれないし、何か重要な裏の意味があるのかもしれない。

「ところで、循」

「何かしら?」

「ハロウィンシリーズでマイケル・マイヤーズが出てこないのは?」

「三作目ね」

「『サスペリアPart2』『インフェルノ』『トラウマ』……この中で『サスペリア』の続編は?」

「『インフェルノ』」

「クライブ・バーカーが『ヘルレイザー』を製作しようと思い立った切っかけは?」

「『ロウヘッド・レックス』のクオリティがあまりにも糞だったから」

 すべて正解である。

「ふむ……」

 なかなか尻尾を出さないな……と思いながら、そこでふと気がつく。

 フロントガラスに映り込んだ助手席に、茅野の姿がない。

「そのパターンか……」

 いつから入れ替わっていたのかは解らない。だが、これだけは確信できた。

 この茅野循は・・・・・・茅野循ではない・・・・・・・

「ちょっとね」

 桜井はウィンカーを出し、路肩に車を寄せて停車した。右横を長距離トラックが通り過ぎてゆく。

「何かしら?」

 と、茅野が言い終わる前だった。

 ぶん……という風切り音。

 運転席から放たれた左拳が茅野の横顔を穿うがつ。

 しかし……。

「消えた……」

 桜井の拳に手応えはなく、助手席の茅野の姿は影も形もなくなっていた。

「本物の循は……」

 スマホを手に取り、茅野に電話をかけようとする。しかし、シートの上に起きっぱなしになっていた彼女のスマホが目に入り、手を止める。

「さてさて……盛りあがってまいりました」

 桜井は楽しそうにほくそ笑みながら両手を揉み合わせる。

 もちろん、本物の茅野がどこへいってしまったのかは気がかりであった。しかし、今は相棒を信じる以外にないと、素早く思考を切り替える。

「まあ、循の事だし、熊さんに襲われたりしない限りはいけるでしょ」

 そう独り言ちて、いったんコンビニへと戻る事にした。




 再び都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン

 茅野から、清戸に伝わる伝説、そして桜井と離れ離れになった経緯を聞かされる。

『その巨頭地蔵の祠を去年、YouTuberが勝手に開けたのだけれど……怪異の原因はそれかしら? それとも、今年は赤獅子神楽が行われなかった事なのかしら?』

「どちらもね」

『どちらも?』

「恐らくは何かの封印が解けようとしているのだろうけど、この手の封印は簡単に解けたりしないように、二重、三重に施されている場合が普通なの。たった一つの禁を破ったぐらいでは、そう簡単に封印は解けたりしない。たぶん最初の切っかけはそのYouTuberだろうけど…… 」

『成る程。最初は小さな穴でしかなかったものが様々な条件が重なって、ついに大きく広がり、決壊してしまった……といったところかしら?』

「ええ。ただ……」

『ただ?』

 茅野が聞き返す。

 その声の後ろから伝わってくる気配を読みながら、九尾は慎重に言葉を紡ぐ。

「まだ、その封印は完全に解けた訳ではないわ」

『けっこう、自由に力を振るっているように思えるけど、これでまだ全力ではないのね?』

「残念ながら……」

 九尾は、そう答えて考える。

 これは、思ったよりもかなり危険な状況かもしれない。

 その怪異の目的は封印を破り復活する事だ。

 もし、そうなってしまえば、町全体にかなりの規模で何らかの被害が出るであろう事は明白であった。

 それほど、この電話越しに伝わってくる気配は禍々しい。 

 自分が向かいたいところであったが、神楽坂との約束を反故ほごにする訳にはいかない。

 なぜなら、神楽坂は霊に取り憑かれ易い体質の持ち主で、今回の案件もその手の厄介事・・・・・・・であるからだ。

 穂村に連絡を取り、向こうに住む狐狩りに対処を委ねるのが最善手であろう……が、それでも間に合うかは微妙に思えた。

「兎も角、少しでも相手の力を削いで、時間を稼ぎたいわ。協力してくれるわよね?」

 茅野たちに頼るのは非常に業腹ごうばらであったが、非常事態である。背に腹は変えられないと九尾は切り替えた。

 茅野の方もいつになく真剣な調子の九尾に対して事態の重さを悟ったようだった。

『当然よ。頼まれなくても協力させてもらうわ。……で、どうすればいい?』

「一番いいのは、赤獅子神楽を今からでも執り行う事だけれど……」

『それは、難しいでしょうね。いきなり余所者がやりたいと言ってやらせてくれるものではないでしょうし』

「兎も角、相手の弱点を突いて、敵を弱らせたいのだけれど」

 しばしの沈黙のあと、茅野が口を開く。

『……取り合えず、梨沙さんと連絡を取って、“本物の私が農協の電話ボックスで待っている”と伝えたいのだけれど』

「多分、わたしのスマホから連絡すればいけるとは思うわ。この怪異は、今のところ町の中にしか力を及ぼす事ができないみたい。町の外にいるわたしから連絡を取れば可能だと思うわ」

『ならば、お願い』

「他には?」

『そうね。それで疑問なのは、なぜ、私たちは、この怪異に目をつけられてしまったのかしら?』

 その茅野の質問に、九尾は受話口から伝わる禍々しい気配を読み取りながら答える。

「一つは、あなたたちが巨頭地蔵に興味を持ち、その町へと足を踏み入れた事により“相性”が、この怪異に寄ってしまった……」

 万物には“相性”というものがある。

 人の“相性”が、怪異の“相性”に近くなると、祟りや呪いといった霊障を受けてしまう。

 怪異に関心を持ったり、関連のある言動をとったり、えにしの場所に足を踏み入れたりすると“相性”が近寄り、霊障を受けやすくなる。

「それと、言いにくいんだけど」

『何かしら……?』

「たぶん、あなたたちは生け贄に選ばれたんだと思う」

『生け贄!? 本当!?』

 なぜか嬉しそうな茅野の声音であった。九尾は苦笑しつつ、特には突っ込まず、言葉を続けた。

「失った力を取り戻したいんだと思う。この手の存在は人の恐怖や絶望といった負の感情をかてとする。きっと、かなり危険な相手よ」 

 だから、本来なら桜井と合流したあと、町から離れろと言いたいところであった。

 しかし、非常に不本意ながら、現状では二人以外に頼れる者がいない。

「それで、この怪異の正体だけど……」

 と、言いかけた九尾の言葉を茅野がさえぎる。

『それなら、最初から、だいたい・・・・解っているわ・・・・・・

 その言葉を聞いて、九尾は思った。

 やはり、味方になれば、これほど心強い存在は他にいない。

 悔しい事に……。

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