【04】偽者


 桜井が白ジャージ姿の男に腹パンをかましたあとだった。

 茅野は情報収集がてら、飲み物を買うと言ってコンビニの方へ向かった。

 桜井は彼女にアイスカフェオレを頼み、そのまま駐車場の入り口付近で、駆けつけた警官に事情を説明する。

 腹パンに関しては「やり過ぎ」と軽く怒られはしたが特に問題にならず、身分証明をして連絡先などを聞かれたのちに解放された。

 茅野はまだコンビニの店内だったようなので、車へと戻って待つ事にした。

 扉の鍵を開けて運転席に腰をおろす。ばたん、と扉を閉めたところで……。

「いきましょう、梨沙さん」

「おわっ! 循、いたんだ」

 コンビニの店内にいると思っていた茅野循が、助手席に座っているではないか。

 驚く桜井を尻目に茅野はフロントガラスの向こうを真っ直ぐに見据えて言う。

「このままだと、この町は大変な事になる……」

「お、それじゃあ、何か知らないけど、だいたい解った感じ?」

 桜井がエンジンを掛けながら訊くと、茅野は首を横に振り、確信に満ちた表情で言う。


「……すべて・・・解ったわ・・・・


 桜井はサイドブレーキをおろしながら「ふうん」と気のない返事をした。




 銀のミラジーノが走り去ったあとだった。茅野は桜井に電話をかけようとするが……。

「くっ。スマホ、車の中に起きっぱなしだったわ……」

 仕方がないので、いったんコンビニの駐車場を離れて公衆電話を探す事にする。

 因みに茅野は、よく利用する各種アドレスをすべて暗記していた。

 それは、よいとしても、財布の中身を見ると十円玉が一枚しかなかったので、どうせならとコンビニでテレフォンカードを購入する。

 テレフォンカードなどといえば、旧世代の遺物のように思えるかもしれないが、未だに売ってるところには売っている。ちゃんと利用もできる。

 レジでカードを購入したついでに、店員に公衆電話の使えそうな場所を尋ねる。すると、徒歩十分ほどの国道沿いに農協があり、そこに電話ボックスがあるのだという。

 茅野は礼を述べて、その農協へと向かうために、コンビニをあとにした。

 桜井の事ならば、さほど心配はしていなかった。

「物理が通じる相手なら、逆に今頃、私の偽物の方が悲惨な目にあっていそうだけれど……」

 もしも、物理が通用しないタイプだったとしたら。

 茅野は、色々と最悪の事態を想像するが……。

「まあ、梨沙さんだし、何とかするでしょう」

 やはり、大して心配はしていなかった。

 しかし、それでも、万が一という事はある。何よりの策にまんまとはまって分断させられたのが、滅法気にくわない。

「今回の怪異は、中々やってくれるわね……」

 などと、独り言ちて獰猛どうもうな笑みを浮かべる茅野。国道沿いの歩道を力強い足取りで進み、件の農協に辿り着く。

 駐車場の隅にあった電話ボックスの中に入り、桜井のスマホの電話番号を素早くプッシュする。

 四回目の呼び出し音で、通話が繋がる。

『もしもし、循!?』

「梨沙さん、無事かしら?」

『うん。循は……って聞くまでもないね。それより、これはどういう事なの!?』

 随分と慌てた様子の桜井の声。その背後でざわざわと草木のざわめく音が聞こえる。

「恐らく、私たちは既に何らかの怪異に遭遇しているわ。それがどのタイミングから始まったのかは解らないけれど……」

『……何で、あたしたちが……そんな……』

 心もとなげな桜井の声。茅野の右眉がぴくりと釣りあがる。

「ところで、梨沙さん」

『何? 循……』

「私の偽物はどうしたのかしら?」

『ああ、何か変な事ばかり言い出して怖かったから、車を停めて逃げ出してきたよ……今は外にいる』

 茅野は「はあ……」と馬鹿でかい溜め息を吐いて「クオリティ、ひっく……」と呟く。

『ねえ、循……これっていったい何なのさ? あたし、怖いよ』

 もう考えるまでもなく、電話の向こう側にいる相手は桜井梨沙の偽者であった。

「逆に背筋がぞわっとしたわ。さようなら」

『えっ、え? 循? ちょっと……』

 桜井の呼び掛けには答えず受話器を置いた。電子音と共にテレフォンカードが排出される。

「面白くなってきたじゃない……」

 茅野は冷静に、桜井梨沙へと化けたなにがしかについて瞬時に分析をする。

 まずこの怪異は、化けた対象の知識は使えても思考をトレースする事はできない。

 さっきのあまりにも・・・・・レベルの低い・・・・・・演技が・・・、その証明である。

 そして、恐らく過去の記憶から模範的な受け答えを探して真似する事もできない。つまり、化けた対象の記憶を利用するのに一定の制限がある。

「単なる猿真似という訳ね……」

 それならば問題はない。

 桜井も遅かれ早かれ、偽物だという事には気がつくだろう。現状で唯一気がかりなのは、彼女のスマホに電話をかけて、本人ではなく偽物が出た点であろう。

 しかし、今は相棒の無事を信じて最善の行動を取る以外にない。

 即座に腹をくくった茅野は九尾天全に電話をかけた。




 都内某所の占いショップ『Hexenladenヘクセンラーデン』にて。

 店内奥のカウンターに座り、頬杖を突きながらぼんやりとする九尾。

 しかし、このあと、常連の神楽坂から「相談したい事がある」と連絡を受けて彼女の来店を待っているところだった。なので、珍しくひまという訳ではない。

 そこへ鳴り響くスマホの電子音。

 手に取り画面を覗き込むと公衆電話からであった。

「誰からだろ……」と、首を捻った瞬間だった。

 猛烈に嫌な気配がスマホ越しに伝わってくるではないか。

「何なの……これ……」

 眉をひそめて十数秒迷い、九尾はようやく電話ボタンをタップして受話口を耳に当てた。

 すると……。

『九尾先生、茅野です』

「あ、循ちゃん」

『九尾先生、私は貴女の事を尊敬しているわ』

「な、何? いきなり、そんな……え?」と驚きつつも、まんざらではない様子の九尾であった。

 更に茅野が一気にまくし立てるように喋り出す。

『だから、お願いです。助けてください。心霊スポットに凸してとても怖い思いをしていました。あともう心霊スポットにいきません。これまでのおこないを凄く反省しています』

 あまりにも彼女に似つかわしくない言葉。しかも、涙声である。しかし、九尾は一瞬だけ騙されかける。

「ようやく、わたしの言う事が……」

 と、得意気な顔で言いかけて電話の相手が、あの茅野循である事を思い出した。

「い、いや、いやいやいや、怖い冗談はやめてよ、循ちゃん。というか、何をたくらんでるの?」

 恐る恐る尋ねると、受話口の向こうで茅野が鼻を鳴らした。

『どうやら、本物の九尾先生みたいね……』

「本物のわたし? どういう事なの? それに、この気配……」

 九尾が尋ねると、茅野はこれまでの経緯を語り始めた。

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