【15】異常で不幸せな人生


 落ちた木乃伊の首を見つめる二人。

 実は緒沢が勢い余って木乃伊にもたれたときに、元々損傷していた首が限界を迎えていただけなのだが……。

 ともあれ、最初に長い沈黙を破ったのは茅野の方だった。

「……諸行無常しょぎょうむじょうね。力の加減を間違えてしまったわ」

 流石に申し訳なさそうな顔であった。

 すると、桜井が、初回で相手チームから先頭打者ホームランを食らった野球監督のように、両手をぽんぽんと打ち合わせる。

「しゃーない。切り替えてこう」

 そこで、意識を失っていた緒沢が目を覚ます。

 彼女の瞳に車椅子の前に佇む二人の少女と、もげた我が子の首が映り込む。

 その瞬間、緒沢は有らん限りの声で盛大に絶叫した。

「あああああ……神人! 神人っ!」

「おわっ! びっくりした」

「どうやら、お目覚めのようね」

 桜井と茅野が床に転がったままの緒沢の方へと目線を向けた。そんな二人を憎悪の籠った眼差しでにらみつける。

「この人殺し! よくも……よくも……私の息子をッ!!」

 最初は何を言われているのか解らず、桜井と茅野は小首を傾げて顔を見合わせる。

「いや、最初から死んでたし……」

「壊したのは悪いと思うけれど、人殺しはちょっと言い過ぎじゃないかしら?」

「五月蝿い! 神人を殺したのは、お前らだ! 人殺し! 人殺し! 人殺しめ……! ああ、早く首をくっつけないと……首をくっつけないと! 魂が漏れちゃう……漏れちゃうッ!!」

 桜井と茅野は困り顔で、もう一度、顔を見合わせる。

「駄目だよ、話にならない」

「そもそも、貴女に人殺し呼ばわりされる筋合いは一ミリもないのだけれど……」

 居直った茅野は、加地の死体へと目線を移す。桜井が「そだね……」と、げんなりした顔で応じる。

「取り合えず、収拾がつきそうにないから帰りましょう」

「とっとと、警察に通報しようか」

 倉庫の入り口の方へと歩き始める二人。

「ああ、待って! これをほどいて! 早く首をくっつけないと……」

 緒沢は地べたを這う虫のようにもがき、叫ぶ。

「お願い!! 早く生き返らせないと神人が死んじゃうのッ!!」

 しかし、必死の彼女を放置して、二人は扉口の前に立った。

「村の中に公衆電話があったわ。そこから通報しましょう」

 茅野が扉を開けた。彼女の言葉に桜井がいつもの調子で応じる。

「らじゃー」

 それから二人は、地下倉庫をあとにした。

 扉が閉まる音が響き渡る。


「誰か神人を助けてぇえええッ!!」


 その絶叫のあと、心底の絶望が彼女の口から溜め息と共に漏れた。

「あぁ……きみ……ひ……と……」

 すると、彼女の瞳はまるで硝子玉のように虚ろになって、何も映さなくなってしまった。


 ……このあと、緒沢恵は通報を受けて駆けつけた警察官に発見される。

 しかし、そのときには既に、彼女は受け答えができる状況になく、生きながらにして人形のようになっていた。

 以降も壊れてしまった彼女の精神が元に戻る事はなかった――


 


 緒沢恵の息子、緒沢神人がこの世に生を受けたのは奇跡であったといわれている。

 あの一九九九年六月二十七日、当然ながら母体が嚥下えんげしたシアン化合物の影響を胎児であった彼も受ける事となった。

 しかし、緒沢がすぐに毒物を嘔吐おうとした事や、教団施設を抜け出した徳元の通報により、レスキュー隊が素早く駆けつけた事など、いくつかの幸運が重なり、神人は命を落とす事はなかった。

 しかし、これが彼の異常で不幸せな人生の始まりとなった。




 シアン化合物の影響なのか、神人は生まれつき心臓に軽くはない障害を持つ事となった。

 それゆえに、彼は他の同年代の子供と同じように身体を動かす事ができなかった。

 もちろん、そうした障害を持っていても異常で不幸せという訳ではない。

 周囲の人間や自らの心構えで、人生などというものは如何様いかようにも輝きを増すものである。

 しかし、神人が不幸せだったのは、もっとも身近な人間であった母親の恵が、彼の生きる希望をことごとく吹き消すように立ち回った事だった。

 彼の毎日は、その母親によって幼き日から、御鏡真神の代わりとなる救世主メシアとなるための時間に費やされた。

 この世界がいかに絶望的で終わっているのか、博愛教会の教義と理念がどれほど素晴らしいものなのか、実の父親である御鏡真神がいかに特別な存在であったのかを恵から聞かされ続けた。

 その英才教育・・・・はとても厳しいものだった。何かちょっとしたヘマをするだけで、彼は虹の彼方クローゼットの中に閉じ込められた。

 そうして、中の壁に貼られた博愛教会のシンボルマークに向かって何時間も祈らされるのだ。

 また、神人はありとあらゆる俗世間の事に興味を持つのを禁止されていた。

 ネットはもちろん、ゲーム、漫画、アニメ、映画、音楽、小説……それらのすべてはくだらないものとして触れる事を許されなかった。とうぜんながら仲のよい友だちすらいない。

 そんな神人には母親の言葉以外の道標がなかった。それゆえに、基本的に彼は母親に対して家畜のように従順であった。

 しかし、小学二年の頃だった。神人が一度だけ母親に逆らった事があった。

 クラスの女子から誕生会に誘われたのだ。

 その子は変わり者の神人にも別け隔てなく接してくれていたので、是非とも彼女の誕生日を祝ってやりたかった。

 しかし、母親の返答は当然ながら否。

 珍しく食いさがったが厳しく叱責しっせきされ、その誕生会の当日、神人は強引に虹の彼方クローゼットへと閉じ込められた。

 件のクラスメイトが心配して電話をかけてくれたが、恵はその受話口に向かって怒鳴り散らした。もうウチの息子に近づくなと……。

 次の日、学校へいくと、クラスメイト全員に責められた。せっかく優しくしてくれた彼女に対して酷い仕打ちであると。

 まるで、母の所業が自分の責任であるかのように責められた。

 その日から、神人に関わる者は誰もいなくなった。誕生会に誘ってくれた女子にも無視されるようになった。

 そのまま神人は何一つ人生の楽しみを味わう事なく成長していった。

 しかし、彼はある日、知ってしまう。

 自分が・・・実の父親と同じで・・・・・・・・本当に・・・特別な存在で・・・・・・あったという事を・・・・・・・・……。

 そうして、二〇〇九年の九月十七日。

 緒沢神人は人生をやり直すために自らの命を絶った。

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